概要
漫画『キングダム』にて、史実の合従軍の契機となった東郡(とうぐん)設置を元にした話である。
三百人将になった信の他にも史実の重要人物である王賁・蒙恬が初登場する他、趙攻略編で更なる活躍が見込まれる王翦・桓騎の戦いも本作で初めて描かれる。
アニメ第2シリーズはその殆どがこの戦いの顛末を描いている(詳細は後述)。
以下はネタバレになります。閲覧には十分注意してください。
秦趙同盟
紀元前243年(始皇4年)、馬陽の戦いにおける王騎の死により武威の失墜を招き、各国が秦の国境を侵し始め、秦国内で今こそ奮い立たねばならぬと思っていたこの頃、趙の宰相・李牧が来秦することになった。
この経緯として、秦国丞相・呂不韋は秦で権力を手にする前は韓・趙で商人をしていたが、悼襄王から寵愛を受けていた春平君に金の工面をしたことがあったため、彼らは顔なじみだったという。
そして呂不韋は何を思ったのか、春平君に「2人の力で秦趙の国交を少しずつ回復させよう」という旨の書簡を送り、春平君は悼襄王が喜ぶと考え来秦したが、あろうことか呂不韋は春平君を拉致し、「春平君を返して欲しくば宰相自ら迎えに来させろ」と悼襄王に脅迫した。
悼襄王は春平君を寵愛していたので、要求を呑み李牧に迎えに行かせようとした。
ここで李牧という人物は、趙の宰相であると同時に六大将軍・王騎を討った趙三大天の1人であり、秦国にとっては必ず討たねばならない怨敵でもある。
つまり李牧の立場で考えるとわざわざ自分から殺されに行くようなもので、悼襄王の対応は無茶振りに等しいが、拒否しても斬首を言い渡すので、結局公孫龍と共に軍を率いて来秦した。
昌平君はこの一報を前線で戦う飛信隊隊長・信に送り、王騎の矛を受け取った彼に対するせめてもの温情として、会談中に李牧を討つように指示した。
信は不意打ちのような討ち方では王騎にあわせる顔がないと拒否したが、馬陽で辛酸をなめた蒙武や騰は殺る気満々だった。
当時の秦趙の関係は上記の通り劣悪なのに対し、李牧軍の王宮の出入りも認められていた他、両軍に帯剣が許されたことから、端的に言えばこの会談は、戦場が王宮というだけで事実上の戦であった。
会談前は両軍とも(秦側は李牧、趙側は呂不韋に対して)圧倒されていたが、李牧と呂不韋は笑顔で会話を始め、呂不韋はこの間に李牧がどういう人間か見極めていた。
そして呂不韋が言い放ったのは、やはり李牧殿にはここで死んでもらうであった。
呂不韋は自身を欲の塊と考えており、彼にとって自分を小心者、あるいは強欲な人間ではないと評した李牧は、恐ろしく強大に見えたのである。
だが、この事態は李牧も予想しているため、李牧がどうやって切り抜けるかを見ることにした。
李牧は中華の地図を広げ、秦国の軍略家として話し始めた。
春秋戦国時代末期とされるこの頃、中華は韓・魏・趙・楚・燕・斉・秦という戦国七雄に分かれ、200年以上もの間存続していた。
だが、彼らの国力で均衡を保っているわけではない。
ある一国を全力で侵攻しようとした時、別の隣国が侵攻してくる危険があるため、お互いがお互いに手が出せず滅ぼせないのだった。
具体的には、国力だけで見るなら弱小と位置付けられる秦の隣国・韓は、中華統一を目指す上では真っ先に滅ぼせそうなものだが、韓を侵攻しようものなら魏や趙が大挙して秦を侵攻するため、韓は滅びないのである。
だが、先に魏を侵攻し、魏を滅ぼした(または魏が韓を助ける余力がないくらいに弱体化させた)後に韓を侵攻する際、趙が韓を助けないようにすれば韓を滅ぼすことができると、李牧は提案した。
また、趙宰相・李牧としては、趙が燕に侵攻する際、目下の問題は秦が侵攻してくることにあるため、趙が燕を攻めている間、秦には手出ししないよう要求した。
まとめると、秦が魏→韓と侵攻するなら趙は手出しせず、趙が燕を侵攻するなら秦は手出ししない、これが李牧が提案した秦趙同盟である。
ところが、呂不韋はこれだけでは僅かに李牧の命と釣り合わないと断り、城の1つである韓皋(かんこう)という城を無償で明け渡すよう提案した。
この城は、秦・趙・魏の3国の国境に位置し、李牧が宰相になった直後に軍事的重要拠点として巨大な城を建造しており、建設に関わる李牧としては取られるのが苦しい場所だった。
他の城を李牧は提案するも拒否され、李牧の命と秦趙同盟および韓皋の明け渡しの2択を強いられ、最終的に秦趙同盟が結ばれた。
魏の大攻略と輪虎の暗躍
紀元前242年(始皇5年)、蒙驁を総大将とした20万を出兵させ、山陽地方一帯を奪う大規模侵攻が始まった。
魏攻略の重要な位置につき更なる武功を挙げるために前線で躍起になる信だが、実はこの前線には既に同じ意図を持った隊が集結しつつあった。
ある時は玉鳳隊隊長・王賁に本陣を先に落とされた挙句、飛信隊を蟻呼ばわりされたため、彼らを出し抜くべく死体の山に身を潜めて本陣を落とす作戦も行った。
またある時は、楽華隊隊長・蒙恬が玉鳳隊の用意した井闌車を利用し電光石火の如く城を落としたことで、玉鳳隊と飛信隊の手柄が奪われたこともあった。
その城の攻略直後に城下町で秦軍が住民を凌辱した際に、信が千人将・乱銅を斬ったのを密かに蒙恬が助けたこともあった(これにより武功とは違った形で飛信隊の名が魏国で伝わることになる)。
1つ目と2つ目の城は楽華隊と玉鳳隊の武功が大きかったが、偶然にも3つ目の城で飛信隊が彼らを上回る武功を挙げることができた。
その知らせを聞き、下僕出身の郭備千人将が飛信隊・信に接触し激励したが、その夜輪虎によって郭備も含めた8人の千人将が殺された。
さらに3日後の進軍では厳重な体制が敷かれていたが、秦の将軍の1人が輪虎に討たれてしまう。
この奇襲に対する追撃のため山中で飛信隊は輪虎と戦うも、決着はつかず輪虎は撤退した。
輪虎と対峙した信は、彼が何者なのかを他の武将たちにも聞かれ、蒙恬にも同じことを聞かれていた。
蒙恬が考えるには、元趙三大天・廉頗は魏に亡命して以来、魏王・景湣王から信用されてなかったため一度も挙兵していないという認識が中華全土にあったが、それが嘘の可能性を考えた。
そして伝者として現れた蒙武が伝えたのもまさにその通りで、今回の将軍は廉頗だったのだ。
さらに、蒙驁は廉頗と何度か戦っているが、一度も勝てなかったという。
蒙驁は魏の将軍が判明したことで大きなプレッシャーを感じ、一老兵に扮して草原で寝転がるのだが、そこに食料の兎を捕えた信が蒙驁を踏みつけてしまった。
信はその老人が総大将と知らず、老人が現実逃避をしていたと言うので話を聞いたが、信にはその悩みが理解出来なかった。
なぜなら、老人になってなお一発逆転の好機が生まれたって話だからである。
喧嘩とは最後に立っていた方が勝つのだから、次に勝ち逃げすれば総勝ちになるのだ。
これにより蒙驁が覚悟を決めた翌日、軍の再編成を行うため、新たに千人将を任命する。
当初は王賁・蒙恬の2名を千人将にして終わりの予定だったが、先の趙の戦いも含めた武功を含めた蒙驁の独断によって、信も臨時千人将に任命すると言う。
ただしこれは周囲の反感を買う要素にもなるため、千人将なら3つ以上、将軍なら1つ以上の首級を挙げる(達成できなければ伍長に降格する)ことを条件を加え、飛信隊は臨時千人隊、信は臨時千人将となり、副将楚水(そすい)など郭備隊の700人が加わった。
廉頗四天王
秦軍が魏に侵攻して2か月後、廉頗が決戦の地・山陽に到着した。
この時点で蒙驁の副将・王翦と桓騎が落とした分も含め9つ前後の城が陥落し、秦軍も山陽への行軍を速め、流尹平野に両軍が揃った。
片や秦軍は、白老と呼ばれる変幻自在の総大将・蒙驁に、元野盗頭・桓騎、自分が王になる願望を持つ王翦を中心とした3軍が布陣し、片や魏軍は、蛇甘平原の戦いで活躍した総大将・白亀西に、元趙三大天・廉頗と彼に従う廉頗四天王と呼ばれる4人の将軍(介子坊・輪虎・姜燕・玄峰)が布陣した。
初日の先鋒は、千人隊になった玉鳳隊を含む蒙驁軍と輪虎軍の対決で、急造した千人隊の千人将を殺す立ち回りで輪虎側が有利となり、次は王賁が狙われることになった。
王賁が深手を負い窮地に立たされた所で、次鋒の飛信隊の救援により難を逃れたかに見えた。
だが、魏軍の次鋒・玄峰の策により、戦場は煙幕で覆われ、魏軍の撤退とともに秦軍に矢の雨が降り注ぎ、装甲戦車の蹂躙が始まった。
信は玄峰の本陣を直接狙ったが、本陣直前で騎馬隊用の罠に嵌り窮地に立つ。
玉鳳隊の出現により再び攻勢に転じ、結果的に玄峰が撤退したものの、多大な被害が出たため初日は敗北に終わった。
2日目以降は、秦軍の左軍である王翦が姜燕を、同じく右軍の桓騎が介子坊を迎え撃ち、変化が起きたのは4日目。
桓騎軍は山々でゲリラ戦を展開し集団戦法で介子坊軍を翻弄しつつ、介子坊の本陣に殺した魏軍の身体をバラバラにし送り付けていた。
これを見かねた玄峰が介子坊の本陣に移動し、介子坊は桓騎軍の本陣を狙う。
だが、玄峰の本陣が手薄だったことで桓騎自らが魏兵に扮して玄峰を瞬殺し、以降桓騎軍は再び姿をくらました。
玄峰の討死は秦軍各所にも伝わり、信は蒙恬に連れられ王賁の3人と作戦会議をすることになった。
蒙恬と王賁は廉頗と四天王について調べており、王騎をもってしても本陣を突破され一太刀を浴びたほどの突破力を持つ輪虎を今回の中央軍では止められないことから、飛信隊・玉鳳隊・楽華隊の3隊で先制攻撃する作戦を企てたのだった。
本来、蒙恬は天下の大将軍を深く意識する人物ではない。
しかし廉頗が登場したことでこの戦は中華全土が固唾をのんで見守るものになり、ここで武功を挙げれば天下の大将軍として大きく躍進できる機会になる一方、この戦の敗北は身も蓋もない表現をすれば余所者の将軍が率いる軍に敗北する恥辱を受けることになる他、蒙恬にとっては祖父・蒙驁の死にも直結しかねない窮地でもあるため、本気を出さざるを得ないのである。
それ故に仲の悪い飛信隊と玉鳳隊であっても足並みを揃えて立ち向かわなくてはならなかったのだ。
開戦5日目の秦中央軍、蒙恬率いる楽華隊が輪虎の本陣を目がけて攻撃を開始した。
狙いは輪虎が魏に亡命した際に趙から連れてきた「輪虎兵」で、彼らを倒すことができれば蒙驁の本陣を突破できなくなる他、飛信隊・玉鳳隊の武力でも輪虎を討つのが可能になるという作戦だった。
楽華隊が輪虎兵を攻撃し数を減らしつつ、飛信隊と玉鳳隊も輪虎のいる本陣に到達し、輪虎の眼前に居る輪虎兵を2隊が引き付ける間に、信と王賁は輪虎と対峙した。
信が戦いの中で化け始めたことで輪虎を押し始め、輪虎の左手の指を斬ったものの、輪虎を討つことは出来ず、飛信隊は玉鳳隊とともに撤退した。
同じ頃、左軍の王翦軍として参加していた壁は王翦から臨時五千人将に任命され、崖上の囲地から狭路に密集した姜燕軍を攻撃。
狭路の姜燕を討てると確信し囲地を捨て崖下に軍を降りさせた所、姜燕軍の伏兵や別動隊が現れ璧軍は窮地に追い込まれた。
だが、戦の前から仕込んでいた王翦の伏兵によって囲地を再び取り返したことで、王翦が勝利した。
ところが廉頗が姿を現したことで、勝てる見込みはあったものの、王翦は絶対に勝つ戦しか興味のない人物なので、撤退した。
そして廉頗・姜燕の連合軍による追撃が行われ、その先で王翦が作り出した立派な築城に着いた。
築城により王翦は討てなくなった一方、この戦の中心と言える総大将・蒙驁の本陣の援護ができなくなったことで蒙驁の本陣の裏を突けるとも言えたため、この場を姜燕に任せ、廉頗は蒙驁に狙いを定めるのだった。
決着
開戦から6日目、輪虎が本陣に向けて突撃してきた。
「輪動」と呼ばれる挙動を行う彼らを止められない中、信は輪虎を一騎打ちにて止め、周りも止められた。
信が足を刺され騎乗が困難になり輪虎を引きずり下ろし、一騎打ちを見守る魏兵が愛国心のため信に不意打ちを仕掛けたが、楚水がそれを阻止し輪虎に殺意が向いたことで、輪虎は楚水を反射的に斬りつけた。
この一連の流れが輪虎に隙を与えてしまい、信は輪虎を斬ることに成功する。
だが、輪虎は未だ倒れず雨の中剣戟を続けるが、最後は信が輪虎の心臓を突いたことで決着した。
信と輪虎が死闘を繰り広げる頃、廉頗も蒙驁の本陣に現れ、蒙驁の要塞とも言える本陣を攻略することになった。
本能型のような勘に加え知略型の頭脳を併せ持つ廉頗の前に蒙驁の策は歯が立たず、蒙驁の敗北は時間の問題となっていたが、この頃、桓騎軍は魏軍総大将・白亀西の本陣に辿り着いていた。
信と蒙恬は蒙驁のいる本陣に向かったが、既に廉頗と蒙驁が一騎打ちをしていた。
蒙驁は廉頗が腰を上げたのは王騎が討ち取られた憤りが要因と考えた。
李牧や龐煖と言った無名の人物に討たれるのは、実質的に時代にのまれたと言えたからだ。
しかし、廉頗にとっては時代の流れなどクソくらえだと言う。
「老いようが病に伏せようが戦場に出たならば勝つのが鉄則」
「ふざけたこと言ってんじゃねェっ!!」
信はそれまで感じていた廉頗に対する重圧を跳ね除けて叫んだ。
信は輪虎を討ったと言うと、廉頗は激高し矛を振り下ろしたが、剣で止められ殺すには至らなかった。
廉頗は歩みを止めなかったが、蒙驁が制止させた。
玄峰も輪虎も討たれ、廉頗の一撃は信すらも受け止める。
だが、それは時代が次の舞台に進んでいることを示していても、六大将軍や三大天が活躍したあの時代を色褪せさせるものではない。
王騎と呑み交わした時にも言われたように、あの時代は既に完成されていたのだ。
それでも廉頗は時代の流れなど知ったことかと一蹴し信に迫るが、蒙驁は、その男は王騎の最期に立ち会い、王騎から矛を託された人物だと言って制止させた。
廉頗は信に問う。王騎の最期について。
敗戦の将となったが武名を汚すことはなかったか? それとも無念の内に顔をゆがめて死んでいったのか?
信は「どっちでもねェ」と答えた。
強者が強者に討たれ時代が続いていく。だから乱世は面白いと笑って逝った。
その姿は誰もがあこがれる天下の大将軍の姿、堂々たる英雄の姿そのものだったと。
廉頗は悟った。
確かに王騎は時代は完成したと言っていたものの、彼自身には未練があった。
彼が復帰するのに相応しい新しい戦いを見出したものの、その最初の一歩で挫かれてしまったが、それでも全てと折り合いをつけて笑って逝けたのだ。
蒙驁が攻撃を開始する直前に介子坊も到着し、さらには魏の本陣から狼煙が上がったことで、桓騎が白亀西を討ったのが両軍に伝わった。
介子坊は蒙驁を討てば戦況を五分五分に戻せると進言し秦軍を攻撃するが、廉頗は止めじゃと言い放った。
戦況を俯瞰した場合、魏の右軍は未だ山中にあり軍の立て直しが難しいのに加え桓騎軍の攻撃に遭う恐れがあり、中央軍は輪虎を失ったことで既に力はなく、右軍は姜燕が健在だが足止め程度の兵しか残していないのに対し、王翦軍はほぼ無傷であったことから、王翦軍が動けば魏軍の全滅もあり得る状況だった。
また、廉頗はあくまで余所者の将軍のため、白亀西を失ったことで戦力の立て直しに時間がかかるようで、戦を続けることで蒙驁や信などは討てるだろうが、それ以上に魏兵の死者数が膨らむ。
仮に同郷の趙軍で姜燕軍の兵数が多ければ上記の問題を解決できるため戦の続行も考えられるが、今回の場合は詰んだと判断したようだ。
このため廉頗は蒙驁に対し和睦を申し入れ、蒙驁が申し入れを受けたことで、和睦が成立。
結果として魏軍総大将・白亀西が討たれたため秦軍の勝利という結果で、この戦は終結した。
顛末
廉頗は、信が王騎から矛を受け取ったことで王騎の背を追う者と断じた一方、「完璧な時代」を築いてきた六大将軍や三大天と肩を並べることも追い抜くことも出来はしないと言った。
彼らが築いたのがまさに「完璧な時代」であるため、逆に言えば信たちがどんなに活躍しても"彼らがもしこの時代に居たならば"と常に疑問を投げかけられるからだ。
しかし、それでもなお彼らを追い抜く方法が1つだけ存在すると言う。
それは伝説の塗り替え。廉頗たちですら成し得なかった大業を果たすことができれば、歴史は信たちをあがめることができるだろう。
つまり、中華の統一である。
だが、それには多大な武力の他にも、血の大業の業(中華全土の戦争による罪)を受け止める王の存在が必要不可欠で、同じく話を聞いていた蒙恬は無理だと考えたが、信には無理ではないことを理解していた。
戦が終わったことで羌瘣は飛信隊から離脱し、いつ終わるとも知れない敵討ちの旅に出た。
廉頗は敗戦の将として、魏王・景湣王の計らいをもってしても死刑を回避するのが精一杯だったため、魏を追放され、楚に亡命することになった。
生涯現役を貫き、後に廉頗が趙に加勢しようとするも、ある事情から叶わず、結局楚で一生を終えることが明かされている。
信は本作で初めて論功行賞に参加することになる。
今回の戦果は輪虎を討ったことで正式に千人将になり、咸陽から再び魏軍の前線に復帰した飛信隊だったが、羌瘣が抜けたことから僅か3か月で千人将はく奪の危機が迫っていた。
本来は蒙恬の弟の軍師・蒙毅が入る予定だったが、蒙毅の事情により断られ、代わりに送られたのが軍師になるべく昌平君の下で勉強していた河了貂だった。
だが、飛信隊は結成から既に2年近く経過し、内部の絆は強くなっている反面、部外者(郭備隊すら加入からまだ3か月しか経っていない他、山陽戦後の加入者はさらに期間が短い)に対する反応が顕著になっていた。
このため、それまでを知らない貂に飛信隊を任せることは、信も渋っていたのだ。
だが、貂の初陣は勝利を飾ることができたと同時に、飛信隊も久々の勝利により実力を示せたことから、彼女が正式に軍師として信や飛信隊に認められた。
また、中華統一が実質的に信が天下の大将軍になるために必要になったことで、ここで信と嬴政の路が1つになった。
そして山陽に昌平君が現れ、東郡の設置を宣言した。
この奪取した山陽という地は魏と韓の2国が隣接していることから、山陽を足掛けに魏・韓を侵攻できる、秦にとっての重要拠点でもあった。
この時代、奪った土地は奪い返されるのが常であるが、昌平君の宣言が意味するものは、事実上の秦国となった山陽は絶対に手放さないという意思表示であると同時に、秦が領土拡大に力を入れるという他国に対する宣戦布告でもあった。
これによりまず動くのは趙だったが、趙が秦に牙をむく時、それは秦国にとっては想像を絶する規模の侵攻となった。
アニメ第2シリーズ
第1シリーズ同様に3クール構成だが、大きな戦いはこの山陽攻略のみである。
原作通り嬴政の過去や太后絡みの話、河了貂の加入と合従軍編に繋がる密談を盛り込み、第5シリーズ終了時点で最多の話数である全39話で構成されている。
しかし、このアニメの放映時点で原作では合従軍編が終わってなかったことから、第3シリーズの放映まではさらに7年(第3シリーズの完結まで考慮するともう1年)待つことになる。
上記の通り戦いが少ないのと第1シリーズに比べCGアニメーションの比重が少なくなったことで、第4シリーズまで見た場合に最も原作に近い作画と言われている。
また、第3シリーズ以降タイトルロゴが変更された関係から、原作同様のタイトルロゴは今回で一旦見納めとなる。
第1シリーズと比べ番組構成が異なり、OP→Aパート→アイキャッチ→Bパート→ED→次回予告で一貫している。
この内、次回予告は第1シリーズと異なりタイトルコールが入らなくなり、第3シリーズ以降は再び復活していることから、第5シリーズ現在唯一タイトルコールが入らないシリーズになっている。
内容はほぼ原作通りだが、太后と呂不韋のあるシーンはカットされ、同シーンの会話を立ち話に含めている。
余談
信が凌辱により同じ秦兵を斬り投獄された後、実は羌瘣も何人も秦兵と思われる人物を斬り殺し住民を助けているが、こちらの処罰は見られない。
今回の飛信隊メンバーの追加は、元郭備隊の700人で、この内楚水はこの時から羌瘣、渕につぐ3人目の副長として尽力することになる。
また、臨時とはいえ千人将に昇格したことで、この時点で信は既に壁と同格になっていたが、間もなく璧も王翦によって臨時五千人将になり、戦後に三千人将に昇格したことが合従軍編で明かされている。
なお、飛信隊の騎馬隊はこの戦が初出で、信は当初郭備が乗っていた馬に騎乗していた。
輪虎を討った直後に、500に及ぶ輪虎の別働予備隊に攻撃される危険があったが、羌瘣がその大半を斬ったことで飛信隊は難を逃れた。
この際、羌瘣は力を出し切ったことで倒れ、信に介抱される時に飛信隊の他のメンバーにも女性であることが知れ渡った。
この戦の直後に加入した河了貂も同様だが、鄴攻略前の時点で彼女たちの性別は少なくとも、飛信隊が所属する村々では知れ渡っている。
本来なら和睦とは、状況的に有利と思われる相手が不利な相手に対して行うものだが、中央軍の戦況としては蒙驁の左腕が切られ負傷しているなど廉頗に敵う状況ではなかったことから、秦軍が有利とは限らなかった。
このため局所で考えるなら戦況を五分五分にすることは可能どころか、中央軍を廉頗が皆殺しにした後で戦況を立て直す手間を秦軍も同様に負うことを踏まえると、蒙驁が居なくなった後で立て直せるかどうかで、秦軍の勝敗が変わってくる可能性もある。
兵数だけを見れば秦軍の方が有利で、数の暴力が通用するなら廉頗も倒せるかもしれない。
しかし、今回の秦軍には蒙驁以外に大将軍級の武将は居ない(蒙驁の副将はどちらも大将軍級の実力はあるが秦軍内部でも名がそこまで知られていない)ことから、立て直しができるかは怪しい。
要するに和睦を拒否した場合は両軍ともに甚大な被害が出たのは間違いなく、数押しで秦軍が勝てるとしても、以降の戦で人材に悩まされる結果を招く恐れもあるどころか、大将軍級の武将が不在なため下手をすれば魏軍が勝つこともあり得るのである。
この戦の勝利が合従軍の引き金になっていることも踏まえると、両軍の被害を抑えたのは結果的に最良だったと言えるだろう。
関係者
秦軍
総大将 | 蒙驁 |
---|---|
計画立案 | 昌平君 |
副将 | 桓騎 |
副将 | 王翦 |
将軍 | 土門 |
将軍 | 羅元 |
将軍 | 栄備 |
千人将 | 乱銅 |
千人将 | 郭備 |
臨時千人将 | 信 |
臨時千人将 | 王賁 |
臨時千人将 | 蒙恬 |
飛信隊副長 | 羌瘣 |
飛信隊副長 | 渕 |
飛信隊副長 | 楚水 |
玉鳳隊副長 | 番陽 |
楽華隊副長 | 胡漸 |
楽華隊副長 | 陸仙 |
百人将 | 崇原 |
百人将 | 田有 |
百人将 | 沛浪 |
百人将 | 田永 |
百人将 | 竜川 |
百人将 | 去亥 |
什長 | 澤圭 |
什長 | 尾平 |
什長 | 中鉄 |
什長 | 竜有 |
什長 | 松左 |
什長 | 魯延 |
兵卒 | 昂 |
兵卒 | 慶 |
魏国