桓騎軍
かんきぐん
作中開始時点では秦国将軍・蒙驁の副将の軍だったが、合従軍編より後は老衰により蒙驁が前線に出られず、死後に秦国将軍に格上げ、さらに鄴の勝利後に六大将軍の軍に昇格している。
桓騎軍は桓騎一家と砂鬼一家に大別されるが、以下の記載は殆どが桓騎一家を対象としたものである(砂鬼一家の詳細はリンク先と下記の構成員を参照)。
主な特徴は野盗一家で構成されている点。
桓騎は元々秦の南方で野盗頭をしており、秦国から討伐軍が幾度となく派遣されたものの一度も敗れたことがない実力を有していた。
当時戦場で連敗続きにより討伐軍の大将になった蒙驁を捕縛し、捕縛状態の蒙驁が直接桓騎に自身の副将として戦わないかと誘われ、桓騎がそれをアッサリと了承した(桓騎自身にも広い世界で戦いたい意向があったためでもある)ことで、野盗団から秦軍に鞍替えした経緯を持つ。
また、桓騎兵の鎧には宝石などの装飾が見られるが、戦いで奪った財宝を身に着けているため。
なお、下記の構成員についてはオギコ・馬印を除いて自身の名前を冠する野盗一家を持つ。
軍全体として野盗よろしくヒットアウェイや奇襲といった戦法や桓騎が独自に創り上げた常識外れの奇策を得意とする。
作中では山陽の戦いや函谷関防衛、黒羊、影丘の戦いにて奇策で勝利している。
一方で正攻法は苦手、というよりほぼ経験がなく、函谷関防衛では成恢を討つまでの間に精鋭を引き抜いた事で自身の持ち場の侵攻を許した他、影丘では扈輒軍の兵数差が三倍に至り得意の奇襲が行える規模を超えたことで兵として招集した近隣の軍や玉鳳軍に壊滅的な損害をもたらし、さらに宜安や肥下での数の暴力が李牧の桓騎対策に繋がった可能性もある。
また元野盗の烏合の衆であるため、幹部以外は桓騎の下で甘い汁を吸いたいと思って集まっているだけで忠義は無く、戦況が悪化しすぎると自身の生命の方を優先して自分の一家を連れて戦から離脱する事もある。そのため厘玉は、一度戦況が悪化しずきても立て直す根性が無いのが桓騎軍最大の弱点と分析している(もっとも黒羊で見せた下記の火兎による素早い逃げや、影丘では脱走兵も考えた上での奇襲により勝利しているため、一概にデメリットとは言い難い)。
李牧によると、桓騎は蒙驁の副将として突如登場して、基本戦術を学ぶ間も無く戦に出て、桓騎の持つ先読みや心理戦に秀でた怪物じみた才能だけで数々の戦に勝ってきたことや、どの戦でも基本戦術を使ったことが一度も無いことから、『派手な心理戦の強さに隠れて、奇策以外の手段を知らない』のが桓騎の最大の弱点と言っている。
秦国軍の中でも特に強烈な特徴として略奪や虐殺などの非道を平然と行う点にある。
桓騎一家は元々野盗なので城内の金品財宝を奪い、黒羊戦では黒羊丘周辺の集落の住民を虐殺した。
砂鬼一家は、山陽戦では死体をバラバラにし、桓騎はそれを送りつけ魏軍の士気低下を狙うが、軍略にこだわり桓騎を非難した玄峰に対し「相手が嫌がることをやるだけだ」と桓騎は否定した。
黒羊戦では砂鬼一家の拷問により紀彗の過去を知った桓騎は、桓騎一家による虐殺後、砂鬼一家が遺体を用いて創り出した骸の像を送りつけ、紀彗ら離眼(りがん)軍を脅迫して丘から引きずり下ろした後に、丘を奪取して勝利した。
桓騎兵を除いた自軍に対しても容赦がなく、黒羊の時点でも桓騎軍に援軍に来た隊が消失していると河了貂が語った他、実際に同戦では慶舎を嵌めるために飛信隊が、影丘では桓騎の奇策のために近隣住民や玉鳳軍が潰れ役になっている。
そもそも桓騎自体が野盗時代に落としたある城の住民全員の首を自ら斬り落とした逸話から「首斬り桓騎」の異名を持つ残忍な人物であり、那貴が砂鬼一家の一人から聞いた話によると桓騎の中にある根源は「全てへの激しい怒り」であることらしく、非道な行為の動機と思われるが……?
一応フォローしておくと、桓騎や桓騎軍自体は「戦争の勝利のため」に残忍な行為を行ない、作中で描かれないであろう野盗時代はともかく、少なくとも作中では無意味な虐殺は行なっていない。
黒羊戦では戦いとは無関係の娼婦を近隣住民や戦いで敗れた城などから集めていたが、こちらは娯楽目的である。
また、黒羊丘とは無関係だが紀彗に対してのみ意味がある離眼城の住民虐殺は脅迫・進軍だけに留め、紀彗が離眼城へ向かった後は黒羊丘へ引き返した。
山陽戦では秦魏両軍で万単位の兵が死んだことで「痛みを分かち合わねぇとな」と言い総大将白亀西を討ち本陣を壊滅させ、影丘戦では雷土の殉職のためか数万人の扈輒軍捕虜の処刑を行ない、宜安では逃走経路を確保するために潰れ役になったゼノウ一家の兵を見て険しい表情を見せた。
山陽、汲、影丘ではお互いに兵数や死者数が多くなったと考えられる。
山陽は蒙驁の策のため潰れ役がいなかったから桓騎兵の死者が多くなり、汲も合従軍の直後のため他の軍が興せない中で侵攻したため同じく桓騎兵の犠牲があったと考えられ、影丘は桓騎傘下の人物が拷問の末に殉職した仕返しとして虐殺を行なったと言えなくもない。
作中の動向を見る限りでは仲間が倒されれば倒されるほど敵軍が嫌がる拷問や虐殺に徹して勝利を重ねてきたと見ることもできるだろう。
以上から国外(特に戦績が明かされている魏と趙、成恢が討たれた韓)はもとより、秦国内の軍および為政者からの評価も悪い。
桓騎を六大将軍に任命する際も反発意見が出た程。
嬴政はあくまで中華統一を狙う関係で許容しているが、扈輒軍の虐殺以前から人を殺しすぎるやり方に対して不快に思っており、影丘戦後の虐殺に伴い桓騎軍の元へ直接赴き問い詰めた(この時は桓騎の対応はともかく、摩論の弁明や昌平君の評価により事なきを得た)。
対毐国反乱軍では昌平君が、鄴攻略では王翦が身体の切断や殺害を禁じる指示を桓騎に行なうくらいには、相手に容赦がない。
ただし後者では金品の奪取については制限しておらず、作戦に無関係だから許容していると思われるが、わざわざ明言するあたり桓騎軍からの反発を避けるため、あるいは桓騎軍を熟知している故の措置とも考えられる。
また、黒羊戦で無関係の集落を襲撃したため羌瘣が桓騎兵を斬り殺したなどの理由から飛信隊との相性は悪く、あくまで桓騎が上司のため指示には従うが、殆どの場合で信や河了貂が愚痴や文句をこぼしている。
なお、飛信隊が援軍に来ていた影丘戦では意図的に飛信隊を遠ざけた上で扈輒軍の虐殺を行なったという徹底ぶりであった。
変わったところでは火兎(かと)と呼ばれる野盗時代から使われている笛を使うことで、桓騎兵は一目散に退却できる。
この笛の音は「絶体絶命」や「完全包囲」を意味し、桓騎兵はこの笛の音を聴くと野盗時代に返り我先に、味方を踏みつけてでも逃げ出すこととなる。
桓騎曰く「側から見たら素人丸出しの逃げ方に見えるが、何だかんだで一番多く助かる逃げ方」とし、作中で雷土が使用した様子を判断が早いと好意的に見ていた。
作中で初登場した紀元前243年(始皇4年)時点では王翦とともに蒙驁の副将の軍隊として在籍し、山陽の戦いにて廉頗四天王の一人玄峰および総大将白亀西を討ち取り勝利に貢献、論功行賞の第一功を得た。
紀元前241年(始皇6年)、蒙驁・張唐とともに函谷関中央の防衛に臨み、韓の総大将成恢を討ち取り、魏・韓連合軍を無力化し函谷関防衛に貢献した。
紀元前240年(始皇7年)、蒙驁の死により秦国の将軍の一人となり、魏の城である慶都・汲を落とした。
紀元前238年(始皇9年)、嫪毐の乱にて函谷関から敗走する毐国軍を迎え撃ち、毐国王嫪毐を生け捕りにした。
紀元前237年(始皇10年)、黒羊丘の戦いでは総大将として飛信隊と共に慶舎軍と対峙。予想よりも圧倒的に少ない損害で黒羊を奪取した(この功績により秦国大将軍の一人になったと思われる)。
紀元前236年(始皇11年)、王翦・桓騎・楊端和からなる連合軍が鄴へ侵攻。序盤に鄴を包囲し、18日後に鄴の食糧がなくなったことで城門が解放されたため場内へ侵攻し、陥落させた。
紀元前234年(始皇13年)、六大将軍第五将に任命され、六大将軍の権限で近隣の軍を集め、犠牲を払いながらも進軍し趙軍総司令扈輒を討ち死させた。その後、数万人の扈輒軍の捕虜をすべて処刑する暴挙を起こし、嬴政が自ら前線に駆け付けて尋問した。だが、摩論の弁明と扈輒を討ち取り戦に勝利した功績で一応は不問となった。
紀元前233年(始皇14年)、年明け早々に平陽城を陥落させ、赤麗城を経て宜安城に侵攻したが、宜安城で三十万以上の李牧軍と交戦。夜中に紛れて逃げ切ったのに加え、飛信隊・楽華軍が宜安城を落とし入城できたものの、赤麗城防衛の失敗により宜安城を放棄。肥下を目指し道中の宜司平野で李牧軍と交戦するも、飛信隊(那貴と那貴一家を除く)、楽華軍、摩論一家、砂鬼一家、オギコを除き桓騎軍は無数の趙兵に阻まれほぼ全滅した。
戦後、摩論は桓騎の命により生き残った桓騎兵をまとめあげ傭兵団を結成、砂鬼一家は故郷へ帰郷した。
※階級は判明している現在の物。戦死者は最終階級の物。
蒙驁軍副官→秦国将軍→大将軍→新六大将軍第二将
彼の考え方や経緯が趙攻略編のテーマになっている節が見られる。
肥下の戦いでは虎白公を討ち、厘玉が戦死してなお李牧めがけて突撃するも、無数の趙兵の槍に腹部を貫かれ、李牧に振り下ろされた剣先は折れ、李牧に届かずに戦死した。
しかし、その死に顔は勝ち誇っているようにも見え、勝利を確信していたとも、死してなおも李牧に屈しない姿勢を表しているようにも見える。
五千人将(『戦国七雄人物録』より)→桓騎傘下将軍
桓騎軍随一の智将であり、桓騎軍全体の作戦立案を担当する軍師だが、桓騎には頭が上がらず、彼の意図が見えてないこともしばしば。
奇策を得意とする。
野盗時代からの配下で自称「紳士」と呼称し、常に丁寧な口調で話すが、どこか相手を見下す慇懃無礼な性格。名前が名前だからか料理が得意。
肥下の戦いでは前線に配置されていたが、桓騎の命令を受けたオギコとともに飛信隊に合流し撤退した。
69巻のおまけ漫画によると、桓騎一家を作るために黒桜に提示された条件である「雷土と摩論を手下にすること」を満たすため、桓騎が雷土を連れて摩論の下を訪れたのが最初の出会いであった。
摩論一家と雷土一家の勢力は五分五分の力を持つことから、まともにぶつかれば共倒れになった上で桓騎が漁夫の利を狙えると摩論を脅迫したが、摩論としては手下になる利点に乏しいため見返りを要求。
桓騎は一家の財の管理を一任することを提示し、摩論は私腹を肥やして一家を自分のものにできると考え、承諾した。
しかし雷土や黒桜を手下にした後も何度か裏切ろうとしていたらしい。
まあ作中の摩論の行動は桓騎の意図が読み取れず反感的な態度も少なくなかったため、雷土に比べれば裏切りやすいのはわかり易い方だろう。
ちなみに名前の初出は黒羊戦だが函谷関防衛にも登場していることから、アニメ第3シリーズではEDにクレジットがあり、雷土と同じ佐久間氏が声優を務め、第5シリーズでも同氏が続投することとなった。
五千人将(『戦国七雄人物録』より)→桓騎傘下将軍
摩論と同様に野盗時代から桓騎の配下。
配下からは「姐さん」と呼び慕われる女傑。弓の名手で一流の戦術家。
面食いで、部下の扱いは容姿で差がある。桓騎に惚れており桓騎の女になることを夢見ているが、死の間際に桓騎に断られた。
肥下の戦いでは李牧を討つために矢を放っていたが李牧を討てず、逆に趙兵の槍を腹部に受け致命傷を負い、桓騎の鼓舞の直後に力尽きた。
67巻のおまけ漫画によると、桓騎が砂鬼一家から離れた後で最初に訪れた野盗一家が黒桜一家だったらしく、桓騎に一目惚れして手下にされそうになった。
しかし68巻のおまけ漫画では黒桜の手下に目を覚まされ、雷土と摩論を手下にしたら手下になるという条件を付けた。
そして条件を満たした桓騎の手下になったが、手下になった時点では桓騎を殺して自分が野盗一家の頭になるつもりだったらしい。
ところがおまけ漫画のオチとして「それから何度か雷土と摩論が裏切ろうとした」とあるものの、黒桜が裏切ろうとしたとは一言も書かれていないことから、最期まで桓騎の手下のままだったようだ。
五千人将(黒羊)→桓騎傘下将軍(武城以降)
桓騎軍最強の武力※かつ随一の獰猛さを誇り、死地にも嬉々として突っ込んでいくため、戦狂いとまで言われるゼノウ一家棟梁。
蒙武よりも一回り大きい体格(比較対象は桓騎や雷土になるが、上記のED映像を見ると体格差がわかり易い)と、野牛の首を素手で捩じ切る程の膂力、そして常に濁点を付けた口調の持ち主。
ゼノウ一家は力押しの場面では最大の働きをするが、「戦闘民族」と言われる程の戦狂い度と気に入らなければ味方ですら殺してしまう凶暴さのため、桓騎ですらゼノウ一家には滅多に近寄らず、桓騎兵からは『桓騎軍の中でも最もやばい二つの一家の内の一つ』と言われている。
肥下の戦いにて奮戦したが消耗したことで、上和龍との一騎打ちで胴体を斬られ瞬殺されたように思われたが実は死んだフリをしていたようで、桓騎の呼び声とともに上和龍の顔を片手で握り潰して結果的に相打ちとなった。
※『キングダム公式ガイドブック 戦国七雄人物録』に掲載されている武力だけで見るならゼノウの武力は桓騎と同等の93となっているため、ゼノウ一家全体で武力最強と解釈する方が適切である。
五千人将(黒羊)→桓騎傘下将軍(武城以降)
粗暴な性格だが、戦況を見極めることに長けており、野盗時代に培った知恵と経験を駆使する。
その実力は高く、かつて桓騎が雷土とその一家を取り込もうとした時には相当苦労したらしい。
現在は桓騎の考えが読めなくても黙って信じるなど信頼が厚い。
ゼノウとの連携が多く、黒羊編では左翼軍大将として紆余曲折を経て中央丘にいた趙軍を襲撃し、鄴編では鄴へ到着した疲労困憊の李牧軍をゼノウ一家と迎え撃った。
扈輒軍との戦いでは右翼軍を指揮し龍白を誘い出し討つが、その最中に駆け付けた竜布に捕らえられ扈輒軍本陣に連行、凄惨な拷問の末に死亡した(扈輒が直接討った訳では無いため、雷土などの遺体を見た桓騎は摩論に対し「何人だ?」と問い、後の大虐殺に繋がった)。
68巻のおまけ漫画によると、桓騎一家を作るために黒桜に提示された条件である「雷土と摩論を手下にすること」を満たすため、桓騎が黒桜の次に訪れたのが雷土一家であった。
桓騎は毒を塗った猪肉を振舞い、雷土に殴り合いの勝負を持ちかけるが、雷土の体に毒が回ったことで体が動かせずに桓騎の勝利に終わり、桓騎の中で最初の手下となった。
しかし摩論や黒桜を手下にした後も何度か裏切ろうとしていたらしい上、上記のように一家を取り込むには苦労しているため、桓騎との衝突も少なくなかったことが窺える。
また、69巻のおまけ漫画では嬴政に詰問された後も雷土の死によって気落ちしていたらしく、衣央が慰めるために桓騎の天幕を訪れていたことが明かされている。
おまけ漫画までを含めると、悶着も少なくなかったとはいえ桓騎にとって最初の一家の一員である雷土の存在がいかに大きいか理解できるようになっている。
第3シリーズでは担当声優が摩論と同じになった。
第5シリーズ現在、キングダムの登場人物では最多のキャスト変更がなされている。
千人将→桓騎傘下将軍
精鋭騎馬隊指揮官。得物は双剣。曲者揃いの桓騎軍の中では比較的良識派。
黒羊編では桓騎軍と飛信隊が衝突した際、那貴と入れ替わりで桓騎軍に一時加入していた尾平を割って入らせたことで同士討ちを阻止した。
肥下の戦いでは最後まで桓騎の傍で奮戦するも、虎白に片腕を切り落とされ、無数の趙兵の槍で腹部を貫かれ戦死した。
拷問係を担当。常に覆面を被って素顔を見せず凄まじい死臭を見に纏い、斬り取った指や耳で作られた装飾品を身につけており、桓騎兵から「砂鬼に捕まることが中華一の不運」「拷問し遺体を弄ぶ」「ゼノウ一家と並んで桓騎軍の中でも最もやばい一家」と言われている。
全員が同じ覆面を被っていることから個人の特定は不可能なため、砂鬼一家とまとめて呼ばれるのが常。
那貴によると砂鬼一家は桓騎軍最古参との事だが、摩論や黒桜ら幹部らも含め詳しい事は知らず、桓騎も砂鬼一家とはいつも距離を取っている。
その実態は上記の通り桓騎軍ではあるが桓騎一家ではないというもので、経緯は不明だが桓騎一家が蒙驁にスカウトされる際に砂鬼一家も同行し、これらをまとめて桓騎軍と称されることになったと考えられる。
非戦闘員の位置付け(このため桓騎軍における階級は最後まで明かされなかったが、騎兵同様に馬で移動する)らしく、拷問が関わらない時は危険な状況への関与は無い模様。
肥下の戦いでも前線に配置されず、飛信隊・摩論・オギコとともに桓騎の最期を見届けた。
千人将
落ち着きがなく馬鹿っぽい言動が多いものの、腕っぷしは確かで馬術にも長け、桓騎への忠誠心は厚いことから桓騎に気に入られ信頼されている。
桓騎が千人将に抜擢した理由は「面白いから」。
オギコ自身に野盗一家はないため、彼の軍は「オギコ軍」と呼称する。
肥下の戦いでは、桓騎の命令によりオギコの直感で桓騎が不利と感じたため、摩論とともに飛信隊に合流し撤退した。
担当声優はまさかの秦国の大王と同じ。
- 馬印(ばいん)
将校
摩論軍所属の伝令兵。
伝令として飛信隊の信や河了貂との絡みが多い。
- 朱摩(しゅま)
将校→桓騎傘下将軍
桓騎の側近の1人であり、桓騎の懐刀で、一家は桓騎軍の中では大きくは無いものの、1人1人がゼノウ一家と同等以上の武力を有する武闘派集団。
影丘の戦いでは終盤に桓騎と共に扈輒軍本陣に奇襲を仕掛け、扈輒の近衛兵団を殲滅し扈輒を討ち取るのに大きな活躍をした。
肥下の戦いでは、李牧を守ろうとして立ちはだかったカイネを圧倒したが、李牧に顔面を突かれて戦死した。
- 氾善(はんぜん)
将校
攻城戦専門であり、函谷関の戦いで呉鳳明が作った井蘭車を目にした事で、設計と製造を繰り返して独自に井蘭車を製作した。だが、移動途中に揺れたりふらつくなどの問題があり敵からは「ふざけた井蘭車」と言われてしまっている。
本人は自身が作った井蘭車に「紅春(こうしゅん)」と命名しており、今の井蘭車は六代目である事から「六大紅春」と言っている。それを聞いた桓騎曰く「六大将軍みてーだな」。紅春の名の由来は氾善が昔告白して振られた女の名。
この説明から察する人もいるだろうがオギコとともにギャグ要員である。
肥下の戦いでは宜安城攻略のため別働隊として行動していたため李牧の奇襲に遭わず、命からがら逃れた飛信隊と、同じく前線に配置されなかった砂鬼一家とともに宜安城を侵攻。
肥下の戦いでは前線には配置されなかったため生き残っている。
離脱者
桓騎軍千人将→飛信隊千人将
常に飄々としていて冷静沈着な性格だが、一度キレると本人曰く「雷土よりもおっかない」という。
彼を含め隊員は元野盗であることから、隠密・斥候などに長けている。
黒羊編では、桓騎軍で行なっている隊の入れ替えをするために、尾平隊の代わりに飛信隊に加わる。
初日の飛信隊の失態によって桓騎から信の右腕を持ち帰るよう言われた際、自身の責任と言ったことでことなきを得て、四日目には信の檄に感化し逃げる慶舎を横撃し、慶舎を信に討たせる貢献を果たす。
戦後、飛信隊の器の大きさに惹かれ転属するも、肥下の戦いでは桓騎一家と自分の関係性を思い出し、桓騎軍が趙軍に囲まれる中、桓騎と最期を共にするため一家もろとも飛信隊から離脱。
桓騎との挟撃を目論み雲玄を討ったものの、雲玄の攻撃により利き手に深手を負い、趙兵の槍を腹部に受けて戦死した。
飛信隊百人将
黒羊戦で那貴との交換で桓騎軍に加わったが、終戦後に飛信隊に復帰した。
アニメ第5シリーズのEDは桓騎軍を意識した歌詞となっている他他、黒羊編以降の桓騎を踏まえた上での歌詞であることも明かされている。
また、EDの映像も桓騎軍で構成されている(桓騎が零した酒に信が映り込むのみ例外)。
このためかは不明だが、飛信隊の活躍が中心となる4話と黒羊を舞台としていない13話では流れず、EDのパートでは替わりにOPが流された。
以下、ネタバレ注意
野盗がひしめき合うある山々の中で、親に売られたり、売られた先で傷つけられて山に逃げ込んだりした子どもの集落があった。
常に大人の野盗に傷つけられ殺されながらも、殺人せずに野盗として細々と彼らは生きてきた。
ある時13歳くらいの桓騎が瀕死の状態で発見され、流れ的に集落に居座ることとなったが、大人の野盗の下っ端に集落を攻撃されたため、桓騎が中心となって皆殺し。
その後その一家の集落に忍び込み、酒を盛り寝込んだ頭目を暗殺したことで追っ手とのイタチごっこが始まったものの、桓騎は追っ手の死体をバラバラにし腹の臓物を木に括るなどした。
桓騎は「この中に入ってみろ」と集落の子たちに告げたが、彼らは当然入れる訳が無い。
しかし桓騎も分かっていた、「ここまで頭おかしなとこまでやれば近づかない」。
「力のねェ奴は頭使わねェとな」
「普通のことやって生き延びられないなら」
「誰もやれないことをやらねーとな」
「この先この仲間(お前達)が誰一人傷つけられないための手段だ」
集落の子たちが桓騎から教わった生き延びるための知恵、それが砂鬼一家の始まりである。
つまり桓騎こそが砂鬼一家の最古参である。
やがて桓騎は砂鬼一家の当時の女頭目・偲央と男女の仲になったが、ある時桓騎を脅威と感じた紀巴という城邑の城主が彼女を拉致、凌辱・拷問によって偲央は凄惨な死を向かえてしまう。そこから桓騎は変貌し、桓騎は砂鬼一家を離れた。
その後、その報復のために桓騎一家を結成し、大軍をもって紀巴を攻め落とし、その捕らえた城内の全員の首を桓騎自らが撥ねた。
これが「首切り桓騎」の真相である。
余談だが、山陽攻略編の蒙恬の回想と肥下戦後の摩論の回想で斬首の描写が見られるが、構図としてはほぼ同じであるものの、蒙恬の回想では不敵な笑みに見えていたのが、摩論の回想では口元の半分がコマ割りの関係で半分ほどしか見えず、真顔で斬首しているようにも見える。
蒙恬は桓騎のことを全く知らないため投降兵さえ殺しまくるという残忍な性格という情報だけで嬉々として斬首しているように想像したと思われるが、摩論の視点でも笑顔に近い構図ではあるものの、その詳細がぼかされたことで、摩論もまた桓騎の真意に気付けなかったことを表現しているのかもしれない。
砂鬼一家が桓騎一家と関わらせないようにしているのは、桓騎としては砂鬼一家を自分が最後に帰るべき「故郷」と捉えていたため。
例えどんなに残忍な虐殺などを行なっても、自分が誤っていても、自分の在り方を維持できる拠り所として砂鬼一家を「守っていた」と言った方が妥当だろう。
嬴政が桓騎に大虐殺後に直談判した後で桓騎の天幕に衣央が居たのも、偲央の経緯と重なることから、桓騎の帰る場所に帰ったという解釈もできる……と思ったら69巻のおまけ漫画によると衣央が桓騎を慰めるために自ら天幕に入ったことが語られている。
しかし衣央は桓騎に身体を触られもしなかったことから衣央を異性とは見ておらず、「仲間」と捉えていたことがうかがえる(唯一異性として見ていたのは姉の偲央だけだったと言える)他、それでも衣央とだけなら呑めることを鑑みると、桓騎一家よりは衣央の方が「呑む」行為一つをとっても心情的な距離感が近かったのは確かである。
ちなみに、桓騎一家は上記の通り元々は報復のために結成したが、そもそも桓騎のカリスマ性の根源は拷問によって凄惨な死を向かえたものの、それまでに桓騎の人生に光を与えていた偲央にある。
偲央が桓騎に見せた光は桓騎の心を絶望に落とし込まず怒りとして現れている。
そしてその光は桓騎に家族愛を与え、報復を終えた後も桓騎一家を家族として捉えていた。
桓騎は回想で砂鬼一家を「仲間」、肥下では桓騎一家を「家族」と表現していることからもうかがえる。
ちなみに、腹部を刺された後の黒桜との会話で桓騎が桓騎一家を「家族」と認識したのは雷土の死がきっかけのようで、それまでは桓騎もまた桓騎一家が自分にとって何なのかを作中では見失っていた。
桓騎や桓騎軍の戦術及び思想を現代社会の思想に当て嵌めると、新自由主義に相当すると考えられる。
桓騎というどこからともなく現れた天才により野山での生活を生き抜いた野盗一家は、さらに広い世界(桓騎の中では「砂鬼一家と目指す故郷」)を目指して蒙驁の誘いに乗った。
そして仲間(山々の野盗一家も戦いの度に補充している可能性がある一方、補充の中には秦の真っ当な軍人も含まれると思われる)が増え尚も勝利を重ねるその姿に対して高いカリスマ性で表現される立ち位置なのは、良く言えば「若き起業家のサクセスストーリー」「野盗という社会的弱者による下克上」と言えるかも知れない。
実際、『キングダム』の作風も理由に含まれるが、桓騎を好意的に見る読者は起業家や経営者にも多く見られる。
ヒカル(YouTuber)氏がわかり易い。著書『心配すんな。全部上手くいく。』は桓騎の台詞が元ネタであり、作中では桓騎が特に好きと語る経営者である。
また凝り固まった軍人の描き方(王翦や李牧などのような軍略至上主義のキャラクター)は、現代に生きる現代に生きる読者としては理解しづらい面もあり、軍事物に疎い読者にとっては桓騎の出す成果がわかり易い点でも好評だったと思われ、実際に桓騎は『キングダム』で一、二を争うほど高い人気を誇っている。
一方で、戦争という大義名分で敵も(桓騎一家を除く)味方も大量に殺し、近隣から女性を集め娼婦にしては凌辱すら厭わないスタンスは悪く言えば自分たちだけ生きて助かれば良い考え方と言える。
桓騎軍の下っ端が特に分かりやすく、これを現代に例えるなら「高給を期待して入社したが、やる気が無かったり能力が低かったりなどの理由で低賃金労働を強いられる労働者」「株式配当を期待するだけの企業に対して何らの貢献も無い自称投資家(少なくとも金融市場以外の経済実態を鑑みない人物)」辺りだろうか。
桓騎は虐げられてきた弱者のために許容しているが、作中の「世界」がそれを許容するとは限らない。
当然、桓騎軍の面々を虐げてきた弱者は悪であろう。
しかし桓騎の思想である世界の大半の中間層も悪いとし、中間層を陵辱や虐殺すれば解決するのは無理がある。
その中間層の中には桓騎軍によって陵辱や虐殺を受けた被害者あるいは遺族(作中では白亀西を討たれた魏・成恢を討たれた韓(ちなみに桓騎が討たれると国内が沸いたとされる)・最も被害の多い趙)も当然含まれ、彼らが桓騎軍を認めてしまうと桓騎の怒りの対象である中間層や弱者を生み出しかねない二律背反が生じてしまう。
作中ではこの想定こそしていないが、少なくとも大半の中間層に対して自分の行いによって警鐘を鳴らし、弱者に対して問題意識を向けるようにしたのは確かで、桓騎が討たれる直前に「中身が普通(中間層の思想と同じ)で夢や理想を追い求めるが、お互いに剣を持ち続ける限り下層の人間が血を流し続けるから絶対に何処にも辿り着かねェ」(弱者の視点に立たず武器を持ち続け争っても世界の構造は変わらない)と李牧を批判している(下記の曲のAメロに相当すると考えられる)。
上記のように、桓騎と、側近として近しい厘玉・黒桜・那貴の最期は『キングダム』全体で見ても異例の「無名」の人物による「集団戦術」での戦死である。
対して桓騎一家としては出番に乏しい朱摩とゼノウは、名前のある武将によって戦死している。
つまり桓騎に近しい人物ほど、不特定多数の人物の攻撃で最期を迎えており、既存の最期の描かれ方とは真逆となっている。
というのも桓騎が作中でやってきたことはまさに捕虜か民間人かに関わらず「無名」の人物の大量虐殺であり、桓騎軍の最期として因果応報の関係にある。
ちなみに趙で名前のある武将を桓騎一家が直接討ったのは、夏満と虎白(桓騎)、上和龍(ゼノウ)、雲玄(那貴)、扈輒(朱摩)、龍白と曹還(雷土)。
影丘と肥下に集中しているが、どちらも潰れ役(悪く言えば無名の秦国の軍人)が隠れ蓑、あるいは機能しないために桓騎一家が出張らなければならなかった戦いでもある。
桓騎は総大将、黒桜は弓も使うため武将との直接対決は行いにくい事情があり、結果として相対したのは「無名」の趙兵に集中していた。
この関係か作中で桓騎以外の桓騎軍の人物が趙兵側に名前を呼ばれたことはほぼない(雷土が扈輒に拷問される時が唯一)。
飛信隊については劉冬のように羌瘣が五千人将でも名前が知られている点を踏まえると矛盾しており、桓騎軍の「無名」性もまた意図的に描かれていると考える方が筋だろう。
また、桓騎の怒りの対象が「世界」のほぼ全てであるため、無名の人物によって討たれることは、その「世界」に否定されたことを意味するといった考察も見られる。
以上を踏まえた上で桓騎と李信の関係性を解説すると、李信と飛信隊は確かに桓騎と桓騎一家にとっては侵略者であるにもかかわらず夢や理想を振り撒く『典型的な理想論でイキる自分たち以上の大悪党』であった。
一方、仲間を大切にする姿勢(実際に那貴も「仲間」として受けられられたために飛信隊に移籍している)を持ち合わせ、「戦争を止めるために民間人を相手に陵辱や虐殺を行わない」のは、桓騎一家とはアプローチこそ対照的な一方で、李信や飛信隊は武功や民間人に手を出さないことにより名前が拡がるために、まさに桓騎が行おうとしている中間層に対する警鐘を鳴らす行為と同様の結果をもたらす可能性を示しているのである。
また、李信は宜安城から赤麗城に向かう際に罠と見抜いたが桓騎も李信以上に罠と理解している描写もあり、考え方が似通っている面もある。
結局は桓騎による反面教師的なアプローチか李信による可能な限りの最大幸福を目指すアプローチかの違いに過ぎないが、先述の桓騎軍の「無名性」も相まってどちらがより大多数の中間層に自分の声が届くのかを鑑みた時に、李信に賭けたかったというのはあるだろう。
オギコの伝言では最初に「下僕 信」と言って経緯を説明し、作戦指示は「飛信隊 信」と改めて肩書を変えて伝える構成にしているが、特に前半については自分と同じ直感を感じられる李信だからこそ残す仲間を託せる、つまり信頼できるという意思の表れ(「バカ」という罵倒も仲の良い人物やある程度分かりあった人同士でも普通に使われる表現である)であり、実際に桓騎が言及している通りである。
第5シリーズEDの歌詞は、桓騎及び桓騎軍が戦う理由が端的に表現されていると考えられる。
ただしCメロは桓騎軍というよりは、李牧側の視点で、李牧の苦悩と考える方がわかり易い。
「乱心と歓喜の狭間に揺れる心満たす快楽」については、「乱心」は乱信(桓騎の死後の番吾も含め李信を中心に戦わなければならない様)あるいは「李信」の捩り、「歓喜」は桓騎のダブルミーニングを示し、「心満たす快楽」は李牧にとっては「国民を人質に悼襄王並びに幽繆王の快楽に付き合わされている」とも捉えられるため、暗君に対する苦悩も示していると解釈できる。
総じてCメロは「信(李信)と桓騎による趙攻略と趙国王の自己中心性の板挟みになりながら戦い続けても世界を何も変えられない李牧」を示しており、作中の描写も含めると李牧のような強者が弱者を利用し戦争を行い血を流させている現状が何千年と続きながらも、大多数の人間が見て見ぬふりをしている(あるいは変えたいと考えはしても誰も動かず傍観者で居る)ことに対して桓騎は「怒り」を覚えていると考えられる。
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