合従軍編
がっしょうぐんへん
漫画『キングダム』において、秦国以外の六国(楚・趙・魏・韓・燕・斉)が結集した総勢50万にも及ぶ多国籍連合軍合従軍から秦国を防衛する一連のストーリーを合従軍編と呼ぶ。
史実で紀元前241年(始皇6年)に起こった函谷関の戦いをモデルとしており、中華全土が敵に回るという緊迫した状況の秦国を描いていることから、作中最大規模の戦いであると同時に、同漫画で特に人気の高いストーリーでもある。
アニメでは第3シリーズに相当し、公式上でも合従軍編と銘打たれている。
以下はネタバレになります。閲覧には十分注意してください。
紀元前243年(始皇4年)、春平君が呂不韋に拉致されたことで李牧が来秦を強いられた時、趙が燕に侵攻する際に秦が手出ししないことを条件に、秦が韓に侵攻する際に趙が韓を助けないという同盟(秦趙同盟)を結んだ。
これにより趙の侵攻が燕に注力されることで、秦もまた魏の侵攻に注力できることになり、紀元前242年(始皇5年)、秦が魏を攻撃し山陽などの20城を奪い昌平君が東郡設置を宣言した。
この山陽(東郡)と言う土地は魏と韓の二国が隣接していることから、山陽を足掛けに魏・韓を侵攻できる、秦にとっての重要拠点でもあった。
この時代、奪った土地は奪い返されるのが常であるが、昌平君の宣言が意味するものは、事実上の秦国となった山陽は絶対に手放さないという意思表示であると同時に、秦が領土拡大に力を入れるという決意表明でもあったのだ。
七国の勢力図を塗り替えかねない秦のやり方に危機感を募らせた李牧は同年、龐煖を総大将にして燕を侵攻し劇辛を瞬殺。
李牧は王騎と劇辛を討った自身のネームバリューと、五国と隣接するため領土拡大による影響も大きくなる憂いのあった楚の春申君と結託して、合従軍を結成した。
秦以外の6国が同時に秦に向けて侵攻を開始した。
秦の城を落としていくも、その城には目もくれず、秦の首都咸陽に向けて各国の軍勢が侵攻していた。
秦国滅亡の危機に瀕し思考停止に陥りそうになる咸陽だが、嬴政の檄と昌平君の冷静な対応、そして蔡沢の外交の力により、最も侵攻が遅れていた斉の軍勢を合従軍から離反させることに成功させた。
しかし依然として残る五国の侵攻を止めるべく数日の模擬戦の果てに、昌平君らは咸陽の目前にある中華最大の国門函谷関以外の防衛線を全て撤廃(つまり函谷関まで合従軍を招き入れ)、函谷関で迎撃する策を講じるのだった(函谷関の戦い)。
函谷関は東西の山々の間に位置し、咸陽を落とすには、山を突破するか函谷関の城門を開けるしか手段はないため、以下の配置で開戦した。
- 函谷関西側:燕軍(オルド)対王翦軍
- 函谷関正面:魏(呉鳳明)・韓(成恢)連合軍対張唐軍・桓騎軍
- 函谷関東側:楚軍(臨武君・媧燐・汗明)対騰軍(玉鳳と楽華も含む)・蒙武軍(壁も含む)
- 函谷関最東側:趙軍(慶舎・公孫龍・李白・万極)対麃公軍(飛信隊も含む)
※なお、今回の戦いの総大将・春申君と全体の作戦参謀である李牧は、合従軍各軍が見渡せる高台で指揮を執っている。
函谷関の戦い初日に騰が楚の臨武君、信が趙の万極を討つという大番狂わせが起こった上、合従軍から離反した斉が他国を侵攻する憂いもあったことから短期戦を強いられたため、楚の媧燐が作戦を立案し、2日目以降は将軍を出さずに、秦国兵士の弱体化を図ることとなった。
函谷関の戦い15日目、趙軍以外が大攻勢に入る。
燕軍は王翦の山岳要塞を突破し、魏軍は床弩車を用意し、楚軍は汗明が前線に出ると共に媧燐の動向で、戦場は大きく動いていた。
しかし結果としては、韓の成恢と秦の張唐が相討ちになり、楚の汗明が蒙武に討たれるとともに彼の軍が壊滅的な被害を被り、燕軍は主攻隊を失い攻勢に出られなかったことで、媧燐の作戦により函谷関の裏に侵攻していた楚軍を、王翦に止められた。
将軍をこの日までに4人失い、斉の動向による憂いもあったことから、燕軍を除いた全軍が、函谷関の戦い開始当初の配置まで退却。
函谷関の突破が困難となり秦国の事実上の勝利と思われたが……
函谷関の戦い16日目以降、函谷関では開戦当初の配置まで退却し、それから一歩も動かず睨み合いが続いていたとされる。
一方、17日目に、秦国南側の城が次々と落とされる事態が起こる。
なんと李牧が開戦前から別動隊を少しずつ、函谷関の最東側から秦国の南道へ送り出していたのだ。
函谷関の戦い20日目、着々と南道から迫り残り2日で咸陽に着くタイミングで、麃公軍・飛信隊・壁が李牧軍を迎撃したものの、龐煖との一騎打ちにより麃公が戦死。
失意の中で信たちは、李牧軍より先回りするように蕞に向かった。
その頃咸陽では、嬴政が大きな決断を下した。
それは嬴政が蕞の国民(この内3分の2は女性・老人・子ども)を自ら率いて戦うというのだ(これには咸陽を戦場にし李牧軍を迎え撃つ準備がないことや、呂不韋に無血開城の交渉材料として自分の首が狙われていた事情もあった)。
結果的に王都奪還編以来、戦場で久々に信・嬴政・河了貂の3人が揃うことになった。
開戦時点の兵の数は趙軍と、蕞の国民・嬴政率いる昌文君軍・飛信隊・麃公兵を率いることになった壁・後に昌平君の命で加勢した介億らを合わせてほぼ互角だが、蕞の開戦から数日後に趙軍は、合従軍の趙軍以外の各国の1000人ずつが加わり、4万程度に増えていた。
昌文君の推測では、蕞の国民・咸陽からの兵士と飛信隊及び麃公兵の残兵のみで戦い、粘ることができるのは8日が限界とされていたが、その根拠には楊端和率いる山の民の加勢が頭数に含まれていたためである。
身体の限界により突然死する者も居た中、実際の所は山の民の加勢が1日早い7日目だった。
山の民の加勢によって李牧は撤退を決意。
龐煖は山の民との戦闘を継続するも、信が一騎打ちに臨んだ。
麃公によって片腕を負傷していたこともあり最終的には龐煖も撤退し、蕞の防衛は終結した。
蕞の戦いが終わった6日後、李牧率いる趙軍が合従軍本部に戻ったことで、函谷関の戦いも集結した。
函谷関の戦いの開戦から少なくとも1か月は戦い続けていたことになる。
しかしここで合従軍の解散にはならず、春申君は合従軍を裏切った斉の侵攻を宣言。
だが、昌平君の命により蒙武が合従軍の背を攻撃したことで、斉を滅亡させるまでには至らず、合従軍も解散となった。
今回の信の功績は作中の論功行賞の通りで、飛信隊が3000人に拡充された他、副長の羌瘣の帰還によりさらに強化されたと言っても良い。
第2シリーズ放送開始から7年振りの新作となり、シリーズで初めて4月放映開始となった。
だが、放映開始当時の2020年4月当時に感染を拡大していたCOVID-19に伴い制作スケジュールに多大な影響が発生したため、第5話以降放送休止期間に入り、2021年4月に1話から仕切り直して放映された。
詳細はコロナ禍アニメ延期問題を参照。
7年ぶりの制作であるためか制作スタッフが総入れ替えされ、タイトルロゴやキャラクターの作画などが第2シリーズ以前から大きく変更されている。
本編の緊迫感を精巧に表現した作画や澤野弘之・KOHTA YAMAMOTO両氏が手掛けた劇伴は特に好評。
また、2021年の放送再開時に、放送終了後に不定期でキングダムニュースがTVアニメ「キングダム」公式YouTube Channelにて配信された。
シリーズで初めてOPも2曲となっており、共にBiSHが歌を担当した。
番組構成は、Aパート→OP→Bパート→アイキャッチ→Cパート→ED→次回予告で一貫し(ただし第26話はOPなし)、アニメ第1シリーズに近い構成となったが、次回予告はサブタイトルと高塚正也氏のタイトルコールのみとなった。
一方で、第1・第2シリーズと比べた場合に短い26話で終了しているが、この理由として羌瘣の敵討ちに相当する第25話・第26話も含め、この第3シリーズ全体を合従軍編という括りで宣伝している他、第26話放映直後に第4シリーズが公開時期まで確定していたことも踏まえると、今後のアニメ構成の都合と考えられる。
とはいえ、放送期間中に東京オリンピック(2020年)に関連した放送延期が2度行われたため3クールで終了した点は、第1・第2シリーズと同様である(2020年4月の第4話までの放映も含めたら実質4クールだが)。
ほぼ原作通りだが、原作では回想しか登場しない王騎を中心に一部描写が変更されている。
- 李牧が蕞に向けて侵攻する際、壁も麃公・飛信隊と一緒に李牧軍を追っていたが、壁が蒙武軍を抜けて彼らに同行した経緯については不明である。麃公・飛信隊は同じ戦場だったので趙軍の動きを察知するのは可能だが、戦場が異なり、かつ河了貂が言うように麃公の直感が外れていたら懲罰ものの状況で彼が単独で動くとは考えにくい。
- 合従軍と前後し、羌瘣は幽連を討つために放浪の旅に出ており、最終的に幽連を倒し飛信隊に帰ってきた。上記の通りアニメではここまでを合従軍編としている。
- 蕞については後に毐国反乱編でも登場しており、加冠の儀の執行中に咸陽に侵入した毐国軍に対抗するための兵を大王勢力が隠していた。こちらもまた国家転覆に繋がる話であったため、嬴政や咸陽は再び蕞によって救われた形となった。
- 『キングダム』における函谷関は壮大なスケールを誇る壁として描かれているが、史実における函谷関はそこまで大きくない。国門として超えるには恐らく容易だろうが、そもそも春秋戦国時代末期の秦国以外の戦国七雄は、強大な武力を誇る秦国に対して束にならなければ勝てないほど疲弊していた。スケールが小さい史実であっても、結局は超えられなかったのである。