CV:安元洋貴
概要
楚の5万規模の将軍で、「楚の剛将」という異名を持つ巨漢で怪力の持ち主である。
氾斗平原では騰軍の同金を瞬く間に葬り去り、函谷関戦では録嗚未をも圧倒する力を見せつけた。
広大で人口も多く、部族との戦争も絶えない楚という国で将軍に登り詰めたことを誇りに思っており、そのため「六将など井の中の蛙」と、亡き王騎を侮辱していた。
しかし、その後駆けつけた王騎の元副官・騰との一騎打ちでは、逆に防戦一方になるまでの力の差を見せつけられてしまう。
楚将としての誇りを打ち砕かれ、「たかが王騎の傘の下で戦ってきただけの男に…!」と力量差を認めることができず吐き捨ててしまう。
だが、騰は静かに答えた。
「その傘を支え続けることの強さは考えぬのか」
「お前は修羅場を潜ってきた己の力に絶対の自信があるのだろうが」
「だが私には 中華をまたにかけた大将軍王騎を傍らで支え続けた自負がある」
なおも認められずに騰に立ち向かうも、首を切り捨てられ討ち死する。
結果を見ると騰には全く太刀打ちできず、誇りを完全に打ち砕かれるというこれ以上ない無様な負け方であった。
騰自身は「強かったことは認めよう」「あの世で同金・鱗坊・録嗚未と酒を交わすがいい」とその強さは認めている。
その死に際して項翼や白麗を始めとした部下は号泣しており、人望はあった模様。
媧燐は「ハゲ」と嫌ってる様子を見せているが、彼が討ち死にしたことに関しては戦局に大きく影響していると重く受け止めており、その将軍としての力は認めていたようである。
史実
・実績
史実の臨武君ですが、指揮官だった記録が一応あるが戦に参加したなどはほぼ分かっていない。
戦国策という書物に臨武君についての春申君と魏加が話した内容が残っている。
尚、魏加はキングダムでは趙の弓の達人で中華十弓となっていますが、史実ではそのような記録も残っていない。
臨武君と荀子が趙の孝成王の前で議論した話が残っています。
臨武君は戦いに勝つ為に大事なのは、兵法の駆け引きだと述べています。
・記録
魏加「春申君様は、誰を遠征の旅団の長になさるおつもりですか?」
春申君「私は臨武君を将軍にするつもりです」
といった会話の記録も残されている