史実
春秋戦国時代の魏の君主。戦国四君の信陵君を叔父に持つ。即位する前に秦の人質となっていた時期があった。その治世は『史記』魏世家に記述がある。
紀元前243年 父の安釐王が死去したため即位。同年には秦を恐れさせた叔父の信陵君も死去したため、秦は直ちに魏の侵略を開始。
紀元前242年 秦に20の城を攻め落とされる。
紀元前241年 魏は趙・楚・燕・韓と合従して秦を攻めたが、敗れる。同年に朝歌を秦に奪われる。
紀元前240年 汲を秦に奪われる。
紀元前238年 垣・蒲陽・衍などが秦に奪われる。
紀元前235年 魏は秦と連合し、楚を攻める。
紀元前228年 死去。太子の假が跡を継いで王となったが、3年後に魏は滅亡。
キングダム
第一五代魏王。廉頗から「見た目でしか人を量れぬ」と暴言を受けても激怒することなく、敗戦した廉頗の死罪を回避し追放に留めるなど温和な性格。また、呉鳳明の説得に応じて、先王によって投獄されていた魏火龍の三名を解放するなど、寛容さもある。始皇十二年には、秦に提案された同盟の是非を決める為に、呉鳳明を王都・大梁へ呼び戻した。