CV:櫻井孝宏
概要
廉頗四天王の一人で、自ら「廉頗の剣」と名乗っている双剣使い。
かつて戦争孤児であったが、廉頗に拾われて育てられた。見た目は少年だが、実際は30歳代。数百の手勢から万の軍団をも指揮する将軍。
四天王の中では最も危険な男と称されるほどの武勇と戦術眼を持ち、かつて秦国六大将軍の一人・王騎に一太刀浴びせた逸話を持つ。
蒙驁率いる秦国軍が魏の要所・山陽に侵攻した際、魏に亡命してから三年の沈黙を破って立ち上がった廉頗と他の四天王達とともに出陣。会戦前に三百の手勢を率いて敵の有力な将校の暗殺に向かい、郭備ら千人将8人と将軍・羅元を討ち取った。
緒戦でも自らの精鋭と共に出撃し、巧みに敵の弱点を突いて優位に戦況を進め、王賁を負傷させた。その後も自身を狙って来た王賁と信を同時に相手しても圧倒するほどの実力を見せたが、戦いの中で成長し続ける信に圧倒されて片手の指を切り落とされる。決戦でも再度信と戦い、味方の魏将・魏良と飛信隊副長・楚水の乱入の隙を突かれて信に致命傷を負わされる。なおも戦い続けようとするが、自身の死を前に時代が次へと移りゆくことを感じ、魏に亡命したことで自分の役目はすでに終わっていたのでは悟り、最期は信に討ち取られる。
信からは何度も死を覚悟したと言わしめるほどの強敵の一人として強く印象に残り、彼を討ち取った後は首を斬って晒すことはせず、五体満足のままに廉頗の元へ遺体が送られた。
上記の通り彼は「廉頗の剣」を自称した双剣使いで、対する信は「(嬴政の)金剛の剣」と自称し剣一本のみであったことや、輪虎は運を天任せ(身も蓋もない表現をすれば他力本願)なのに対し、信は自力で立って戦ってきたから今があると発言したことから、対比関係が明確な点でも印象に残りやすい人物だったと言えるだろう。
余談
後に朱海平原の戦いの信に力を与えていた姿があるため、信の記憶には残っているのは確かであるが、輪虎の死後に信が輪虎を討ち取った証拠として廉頗に見せた輪虎の剣は、最終的に信が保有することになったものの、以降の所在は不明である。
王騎の矛と同様、麃公の盾とともに政が預かっているのだろうか?
『キングダム公式問題集』では輪虎軍の戦術「輪動」の元ネタは上杉謙信が川中島の戦いで使ったとされる車懸り(くるまがかり)であると明言された。