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概要

漫画『キングダム』において、秦国は中華統一のため本格的に趙国への侵攻を開始するが、作中で最初に侵攻を行うのがこの黒羊丘(こくようきゅう)であり、原作サイドの公式名称ではこの戦いを黒羊丘の戦いと呼称している。

原作では41巻以降に相当するが、アニメ第4シリーズの第25話と第26話は41巻の内容も含まれており、アニメ第4シリーズは飛信隊の加勢場所が黒羊丘に決まった所で幕引きとなった。

このためアニメ第5シリーズはこの続きから始まる。



この戦いは史実に無いものの、趙攻略編全体で考えると非常に重要な示唆に富む戦いである(詳しくは後述)。

その内の一つは対比関係である。

戦争孤児の率いる飛信隊は、自らが戦争で侵略を行う立場となる。

対する趙軍の離眼城の将軍は、かつて戦争によって家族を失い、さらにこの戦いで自分たちが守ってきたものを奪われようとしている。

しかし信と趙軍を嘲笑うかのように、桓騎を中心とした元野盗集団の桓騎軍が全てをかっさらおうとするが、それを阻止すべく慶舎軍が阻むという構図になる……ように見えるだろう。

ところが桓騎軍もまた、(直接的に戦争による被害があったか定かではないが)強者によって虐げられた弱者としての生活を強いられてきた人物で構成されていることが後の作中で明かされている。

このため厳密な対比関係としては、飛信隊・桓騎軍・離眼軍は(嬴政悼襄王といった上流層によって)それぞれ弱者同士で潰しあう戦いになってしまったと言える。



以下はネタバレになります。閲覧には十分注意してください。



黒羊丘の戦い

紀元前237年(始皇10年)、秦国統一を果たし本格的に中華統一を目指す秦国は、隣国・趙への進行を開始。

飛信隊が命じられた侵攻先は黒羊丘と呼ばれる5つの丘が占める地帯であり、その規模から他の軍との合同の作戦であった。

その相手は「敵の目玉をくり抜いて喜ぶど変態の将軍」「味方にも容赦がない」「援軍に来た隊が"消失"している」「(最初の挨拶の時点で)勝つためなら略奪・虐殺何でもやると言い放つ」などロクな話を聞かない桓騎軍、即ち桓騎であった。

開戦前に、飛信隊と桓騎軍ではお互いの連携を取りやすくするための隊の入れ替えを行ない、飛信隊は尾平たちが一時的に桓騎軍に入り、桓騎軍は那貴(なき)が飛信隊に加入した。

そして桓騎軍5万と飛信隊8,000の計58,000の兵が黒羊丘の奪取のため出陣した。


対する趙軍は、李牧龐煖に並ぶ三大天に最も近いとされる傑物でありかつて合従軍で趙軍総大将だった慶舎(けいしゃ)が今回も総大将を務め、自身の管理する黒羊丘を護るために相対する。

また、黒羊丘にほど近い離眼城(りがんじょう)から、紀彗(きすい)も副将として飛信隊・桓騎軍を迎え撃つ。



黒羊丘は端的に言えば城1つ無い樹海に覆われた丘だけの地域であるため、敵が居ないと思われる所に兵を出現させたり、逆に兵が居ると思わせておいて実は兵を消したりなど、如何に相手を翻弄するかで勝負が決まる。

特に初日、右側の戦場の飛信隊は趙将軍・馬呈(ばてい)と同じく趙将軍兼軍師・劉冬(りゅうとう)に翻弄され、初日の目標である中央の丘に前線を張ることができなかったどころか、馬呈と劉冬に秦軍の本陣側に詰め寄られる結果となった。

このため桓騎は初日ながらも桓騎軍最大の戦力であるゼノウ一家を投入し雷土一家と共に逆転を図るも、慶舎軍が前線に現れたことで、ゼノウ・雷土一家は後続の分断され窮地に陥る。

だがゼノウと雷土は「火兎(かと)」と呼ばれる笛を鳴らし桓騎軍を散り散りに撤退させたことで難を逃れ、初日の晩、目標だった前線の丘を奪取した。

飛信隊は失敗したが那貴が責任を負ったため、一応責任追及は逃れた。


一方、斥候として別行動していた羌瘣は、初日の日中に黒羊丘の戦場の只中に集落の存在を確認し、戦争中なので逃げるように伝えた。

さらに夜には趙軍側の陣地に入り込んでいたため、劉冬軍の本陣に潜入し劉冬に奇襲をかけた。

劉冬を負傷させるも奇襲は失敗に終わった(ただし2日目は劉冬は負傷したことで馬呈のいた戦線に出られなかったため、結果的に飛信隊を救った形になる)が、上記の集落の老女に救われ、3日目の夜に離眼城の悲劇について話を聞くこととなる(離眼城の悲劇の詳細は紀彗を参照)。



2日目、飛信隊側は大河に進路を阻まれるも、副長・執念の渡河により大河を突破した。

一方、桓騎軍も局所的には趙軍を押していたが、紀彗の登場により逆に前線を押し戻され、前線を下げざるを得なくなっていた。



3日目、飛信隊は優勢、桓騎軍は拮抗という状況だったため、飛信隊は中央の丘に向けて九割を投入し、桓騎軍を有利にするように動き、桓騎の指示を待った。

それに対処すべく紀彗軍も飛信隊対策のために防衛陣を張る。

このため双方が動かず睨み合いとなる布陣が整い、血で血を洗う戦いが幕を開ける……はずだった。

この日、桓騎は何もせず3日目を終わらせた

桓騎軍も含めまるで意図が見えない桓騎の動向に対し、飛信隊軍師・河了貂(かりょうてん)もブチ切れ那貴に詰め寄り意図を聞くところによると、「あえて攻めずに待つ方が得をする」と思ったかもしれないらしいが……?



4日目、前日から布陣が変わらなかったため一転して飛信隊が窮地に立たされた。

このまま消耗戦を続けても飛信隊を壊滅させることはできたはずだが、桓騎が初日から全く動かなかったことでしびれを切らした慶舎が動き、飛信隊を一気に壊滅させようと動くが、その様子を見た桓騎は「沈黙の狩人」(笑)と嘲笑った。

桓騎は中央の丘の中腹に布陣していた紀彗軍の斜線からゼノウ一家を侵攻させ、丘の下に出た慶舎を不意打ちしたのである。

ゼノウの猛攻に対抗するため紀彗軍がゼノウと対峙するも、紀彗が不在になったことで膠着していた黒桜一家が全軍突撃を発したことで、紀彗軍が窮地に陥った。

このため慶舎は逃げると同時に、紀彗・馬呈・劉冬に紀彗軍の持ち場に戻るように指示を出した。


ここまでを要約すると、元々飛信隊を壊滅させるために結果的に趙軍の主要な軍が丘の下に降りた訳だが、慶舎軍はゼノウ一家に包囲され窮地に立たされ、離眼軍もまた自身の持ち場が危うくなったため、双方ともに逃げの一手を講じることとなった。

しかし、飛信隊は壊滅していないばかりか、趙軍の視線が一気に桓騎軍に向いたことで難を逃れただけに留まらず、慶舎軍や離眼軍の両者ともに飛信隊の動向が読めなくなってしまったのである。

そして信が見据えたのは、丘の上へ駆け上がる慶舎の姿だった。

一撃必殺を狙い丘を登り追走する飛信隊の前に、劉冬軍が姿を現し飛信隊は窮地に立たされるが、復帰した羌瘣が劉冬軍を迎撃。

慶舎は分が悪いと考え逃げようとしたが、スリ抜け専門の那貴一家が慶舎軍の下へ辿り着き、けん制している間に信と慶舎がついに対峙。

慶舎軍の援軍が迫り時間が無いながらも、趙三大天に最も近いと称される総大将・慶舎を信が討ち取った

そして信が慶舎を討ったのとほぼ同タイミングで羌瘣が劉冬を討ったものの、残った劉冬兵に倒されそうな所で信に間一髪で救われ、飛信隊は戦線離脱に成功した。

この結果、慶舎を討ったのが丘の裏だったため桓騎軍は慶舎の訃報を知ることができず、慶舎と劉冬の訃報を真っ先に把握したのは、丘の表で戦っていた金毛と紀彗であった。

片や慶舎軍副将の金毛、片や離眼の家族として長らく劉冬とともに育った紀彗・馬呈にとっては、耐えがたい喪失であった。

しかし両者が丘の上で話を付ける際、金毛は撤退をするものと考えていたが、紀彗はここからの立て直しを提案。

というのも、混乱を避けるための措置として、丘の表で慶舎と劉冬の訃報を知るのは将軍と伝令兵に留まっていた(つまり趙軍全体としては隠していた)上、軍略上の観点でも黒羊一帯を奪われた場合、それを奪い返すのは端的に言って困難であるだけでなく、国境を大きく変え趙人の難民を抱えなければならなくなるほどの損失を被るのである。

紀彗の説得を受け、金毛もまた戦いの継続を望んだが、後にこの判断が紀彗を絶望に突き落とすこととなる


拮抗する摩論一家と金毛軍に紀彗軍が加わることで、戦況を一気に趙軍側に向け、趙軍全体の早期勝利を目論んでいたが、桓騎は拷問係の砂鬼一家を呼びつけ、離眼城の悲劇の話を聞き勝利を確信した。

桓騎は何と桓騎軍の全兵に対して丘から撤退し、丘を趙軍に明け渡すように指示

4日目の夜、全軍撤退した後、雷土、黒桜、摩論は桓騎を問い詰め、弱者をいたぶると言うが……

その頃、趙軍全体は慶舎の訃報を知るが、明け渡された丘を要塞化し、5日目に備えるのだった。


身内の対立

5日目、桓騎軍以外にとっては想定外の景色から始まる。

趙軍には樹海の様子はわからず、ただ丘の周りから煙が空に上る様子に困惑していた。

飛信隊は慶舎を討った後、一晩中樹海を駆け回っていたが、ある高台で丘の周辺で煙が立ち込めるのを見た。

羌瘣は自分が助けてもらった集落の方向にも煙が上がっていたのを見るや騎馬で駆け抜け、信たちも羌瘣に続いた。

そして飛信隊が見たのは、焼かれた集落で、虐殺された住民の遺体を乗せた手押し車を運搬する桓騎兵の姿だった。

手押し車には、涙を流していた子どもや裸体の女性などが見られ、裸体の女性を嬉々として弄ぶ桓騎兵に対し信は何をしてると聞いてんだクソ野郎共がァ!!とブチ切れる。

羌瘣もまた、自分を助けた老婆の死体が手押し車に乗っている光景を目にし、「お前らがやったのか?」と桓騎兵に問いただした。

「だったら何だよ」とさも普通であるかのような返答をした桓騎兵は、次の瞬間には羌瘣によって切り伏せられ、さらに周囲の桓騎兵を斬り殺した

羌瘣の虐殺を見て恐怖におののいた桓騎兵は、桓騎の命令でやったことを叫び、信と羌瘣は桓騎の元へ駆け出した。

そして集落から奪った金品の品定めをしている最中の桓騎軍本陣に乗り込んだ信と羌瘣。

信と羌瘣は昨日の事情を知らないため、丘を奪取され、あまつさえ無関係の集落を襲って虐殺や凌辱を行なっていると桓騎を糾弾。

桓騎は一貫して「虐殺や凌辱については勝つために行なっている」と主張し、信は「英気を養ったとでも言うのか」とブチ切れる。

信と羌瘣は桓騎に詰め寄ろうとしたが、雷土や黒桜と殴り合いになり、羌瘣は桓騎の首に剣を向けて「全員動くな」と脅迫。

雷土に剣を首元に当てられそうになる中、信はかつて自分が似たようなことが起こった際に相手の千人将は「これが戦争だ」と主張していた話をするが、制圧した地での反乱に対する刃と、無力・無抵抗の人間に向ける刃は決して違う。それが戦争だと言い切る奴は略奪者であり、たとえ強かろうが勝ち続けようが中華統一はできないと桓騎を非難した。

しかし桓騎は「中華統一は敵が抵抗しなくなるまでとことん殺しまくって、その国の土地と人と物全部をぶん捕ることだが、それに気付かず狂気じみた正義を振りかざす信は自分が今まで会ってきた中で一番の極悪人」と言った。

羌瘣は桓騎との議論は無駄と見切りをつけ、本来の目的である「無意味な村焼き」を止め、砦化を阻止すべきと桓騎に主張したが、桓騎はやってみろと挑発し、信を負ってきた田有の首を撥ねるように指示。

しかしそこに現れたのは、事態の収拾を図るため、厘玉に連れられた尾平だった。

桓騎軍の行動に対する擁護を並べ飛信隊を困惑させた尾平。

特に村と趙軍の関係性について信に突っ込まれるも、拷問して聞き出すなど擁護にもならない言葉を並べた。

あまつさえ趙軍が関係していれば女や子どもを皆殺しにしていいのかという信の問いに対し、そんなことと片付けようとしたことで信が激怒。

そして、飛信隊から離れた4日くらいで人が変わったのかなどと問い詰める信は、尾平の懐から地面に落ちた高価な首飾りを目にする。

尾平は集落で桓騎兵から貰ったと弁明するも、首飾りを見た雷土はこれが黒羊産(つまり桓騎兵が焼いた集落で身に着けていた物を暗に尾平が略奪した)であることを言及した上、信が桓騎を非難するために放った言葉を飛信隊の最古参の行動によって否定される皮肉を突き付けられた上で、「焼かれた人間の村のものだとは考えなかったのか?」と信は問うが、尾平は言い淀んだ。

恐らく信は、尾平が実際に村を焼いたとは思っていないだろうが、少なくとも自分の虐殺や凌辱への考え方に対して最も理解していたであろう人物の認識に裏切られたことに涙し、尾平に全力で顔パンして数メートル吹き飛ばし、「二度と飛信隊(うち)に戻ってくるな尾平」と告げた。

信と尾平の茶番で白けた桓騎は「村焼きは全部終わったからこれ以上はねェ」と飛信隊に伝え、飛信隊は桓騎軍本陣を後にした。


尾平は飛信隊には戻れず、城戸村に戻るかと愚痴をこぼした。

飛信隊結成当初から、信みたいに大層な夢を持つ訳でもなければ羌瘣のように特別な力がある訳でもないごくごく普通の人間が、血と汗を流し何度も死にかけ、さらには弟の尾倒も殺されている中、それでもずっと一緒に戦ってきたのに首飾り1つを盗っただけ(実際は桓騎兵に渡されただけという誤解も含む)でクビという扱いは堪えていた。

そんな中、桓騎兵が上記の飛信隊の殴り込みの話題をしているのを尾平は見た。

「上もアホなら下もアホ」「盗るのも怖い、犯るのも怖い、将としても男としても器が小さい」「小物が"中華統一"や"天下の大将軍"と言った」ことを馬鹿にしていたから、尾平は耐えられなくなり桓騎兵に殴りかかった。

「器がでけェから盗みも犯しもやんねェんだ!!」

「人としての器がでけェから、てめェらみてェに楽でクソみてェな道に流されたりしねェんだ!」

信がきれいごと言ってんのは百も承知だ! 色んな誘惑があんのも否定しねェ!

そんなこた皆わかってる! 分かってても関係ねェくらい信のことが好きなんだ!

みんなあいつと命かけて戦いてェんだ! あいつのために戦いてェんだ!

それが飛信隊なのだと尾平が思い出した時、尾平は桓騎兵に殴り殺されそうになり意識を失うが那貴に助けられ、飛信隊の天幕に運ばれていた。

尾平が意識を取り戻すと、信が尾平に背を向けて座っており、信にも盗みの経験があったことを語った(ちなみにこの時の会話は天幕の外で他の飛信隊も聞き耳を立てている)。

三百人隊になったばかり頃(山陽攻略編の時期であり、武功を挙げて山陽攻略に参加するため魏に対して飛信隊が攻撃をしていた側であった)、深手を負い飢えで苦しんでいた時に食べた腐った料理はとんでもなく美味しかったらしい。

それから半年後、似た状況で今度は特に飢えもなく綺麗な料理だったが、食べたらとんでもなく不味かったという。

信と漂が夢見た侵略戦争は、虐殺や凌辱といった暗い部分には一切触れていない上、信の先述の話や桓騎の指摘のように、相手から土地や物や人を盗むことでもある。

しかし信はそんな桓騎の指摘が真っ当であっても、虐殺や凌辱、盗みを戦術に組み込む桓騎のやり方で勝ち続けても、漂も自分も喜ぶことはない。

たとえ飛信隊全体が、青臭いと馬鹿にされたり我慢させたりしても、信の夢である誰よりも強くてかっこいい天下の大将軍像を色褪せさせる気も無ければ、飛信隊も信の夢についていくような隊でありたいと語った。

信はわがままに付き合わせていることを詫びるが、尾平は飛信隊にいて我慢なんてない。桓騎軍と異なり飛信隊は(様々な誘惑があっても信が楽な道を選ばず夢に向かって真っすぐなために)心が乾いていないことを再認識し飛信隊の再入隊を志願し、信もまた尾平が居ないと隊が始まらないとして再入隊を認めた。


絶望の選択

飛信隊桓騎軍と悶着を起こし半日を無駄にしていた中、砂鬼一家が黙々と作業を続けていたお陰で、日中に骸の巨像が完成した。

桓騎の策を把握していなかった飛信隊は残り半日で黒羊丘の戦いは終わると桓騎軍の伝令兵の一報に驚く。

その頃、中央の丘に布陣し丘の砦化を進めていた趙軍に、桓騎から「贈り物」として虐殺した集落の住民の遺体をアーチ状に括り付けた骸の巨像を丘の麓で目撃し、伝言でこれ以上の惨劇をお前の離眼城で起こしてやると紀彗を脅迫。

直後、桓騎軍は離眼城へ向け移動を開始した。

あまりに惨たらしい光景を目にした紀彗と離眼軍は丘を捨てることを金毛に報告したが、「軍略上は桓騎軍が離眼城を落とす意味は無い」と金毛は反発。

離眼軍が離眼城に向かうと、戦力が大幅に縮小された中で飛信隊と伏兵の桓騎軍を相手取らなければならないが、砦化も1日では彼らを迎撃できるほど進んでいないためまず勝てない状況であった。

加えて元々黒羊の戦いとは、紀彗が慶舎が討たれた直後に金毛を説得したように敗北すれば侵略要地として活用されるのは元より、離眼城も含む黒羊一帯が戦渦に巻き込まれるばかりではなく、その一帯の侵略後もまた他の地域も侵略が続いてしまう。

今回、慶舎軍が首都・邯鄲から派遣され参戦しているのはまさに侵略の出鼻を挫くためであり、そのために四日間で多くの趙兵が血を流し続けたのだと紀彗を説得するも、紀彗にとっては離眼城の悲劇を繰り返される方が堪えたため離眼城へ向かい、城の住民に離眼城から離れる準備を促した。


即ち紀彗が中央の丘から離れたことで、樹海に潜伏していた桓騎兵を潰れ役とし、飛信隊とゼノウ一家を中心にした攻撃部隊が中央の丘を奪取したことで、金毛軍は撤退し、黒羊の戦いは秦軍の勝利に終わった。



この戦いで作中の人物が特に目を付けた内容は圧倒的勝利であった。

というのも黒羊という樹海に覆われた地域では、昌平君李牧などの一般的な軍略家が考える攻略法では、例え勝利しても被害ばかりが膨れ上がってしまう想定であった。

また、戦後の砦化についても地形に即した配置やそもそも論として戦後の秦軍の人材不足なども考慮すると、時間がかかる。



桓騎の策は、3日目までは特に動かなかった(強いて言えば予め拷問によって得た情報から「沈黙の狩人」の慶舎が動くのを待っていた)。

4日目、慶舎が丘から下りてきた隙を突いてゼノウ一家を奇襲させて勝利するつもりだったが、ゼノウ一家の包囲網を慶舎が突破したため慶舎が生きているものと考え、標的を紀彗に変え、中央の丘から桓騎軍は撤退した。

注意点として、慶舎の生存は関係ないことである。

桓騎軍が撤退した時点で趙軍は追撃を行なわない(そもそも慶舎は飛信隊が追撃していなければ、丘の上に逃げて体勢を立て直しているはずだった)し、砦化の専念も自然な流れであった。

5日目でイレギュラーな要素があるとすれば慶舎の説得を受けた紀彗が離眼城を放棄し黒羊丘の防衛に徹する程度だが、4日目以前の慶舎の動向を鑑みるに、骸の巨像を見て脅迫された紀彗や離眼軍の心を踏み止まらせるほどの熱量を持った説得ができるとは到底考えられない。

作中で慶舎が離眼軍に対し直接与えた指示自体が見当たらず、慶舎と離眼軍の関係性が希薄(桓騎が必ず成功すると考えた論拠はこちらと思われる)な上、特にアニメ版では回想が加わったため分かりやすいが、元々慶舎は感情の起伏に乏しい人物である。

離眼軍を指揮するために普段は理性的でなければならない紀彗や馬呈ですら、虐殺の可能性を提示されると理性的な対処ができなくなっていたことを踏まえると、無表情で正当な理屈を趙軍総大将が並べた所で聞き入れることは無かっただろう。

このため趙軍のおよそ半分と言える離眼軍の戦線離脱によって飛信隊・桓騎軍は容易に丘取りが可能となった。


また、黒羊周辺の集落の村人の犠牲を鑑みる必要は別にある(詳しくは影丘を参照)ものの、秦軍の犠牲自体は想定していた半数以下に留まっていた。

さらに4日目から行われた砦化についても不完全ではあったが、圧勝に終わったことでほぼ完成に近い形で手に入れることができたため、戦後の黒羊一帯の防衛や砦化に割かなければならない人材を大幅に削減したことも意味している。



あくまで結果論に思えるが、桓騎は昌平君や李牧を超えた「圧倒的勝利」を中華全土に見せつけたのであった


顛末

は五千人将で、本来なら慶舎を討ったことで将軍になっていてもおかしくなかった。

しかし先述の通り桓騎軍と騒動を起こしているため、武功は帳消しとなった。

羌瘣劉冬を討った武功が帳消しになっている。


上記の通り桓騎軍に配属された尾平は戦後、飛信隊に復帰した。

一方、桓騎軍からは那貴が正式に飛信隊に転属した。

抜ける直前に雷土一家と交戦しており、手傷を負った状態で合流している。


戦後、黒羊の砦化や軍備などについては飛信隊が行なうように桓騎軍に伝えられたが、信と羌瘣で合わせて8,000人のうち、重傷者は5,000人に上っていた。

昌平君が重傷者を意図していたかは不明だが、黒羊は蒙恬率いる楽華隊が引き継ぎ、飛信隊は次の大戦に備え、一度秦国に帰還することとなった(アニメでは第6シリーズで言及される予定)。


ちなみにこの戦いはどうやら李牧も観戦していたらしいが、慶舎を見殺しにしたのは如何なものか……


黒羊の意義









以下は原作71巻までを含んだネタバレになりますので注意してください












































黒羊丘の戦い自体は史実には無いものの、幾つもの観点からこの話を用意しなければならない理由が存在すると考えられる。



史実と飛信隊の整合性

『秦始皇本紀』によると、「紀元前234年、秦の将軍の桓齮が趙の平陽・武城を攻撃した。扈輒は敗死し、10万人が斬首された。」とある。

本作の場合、影丘の戦いで『秦始皇本紀』の記述が再現され、元々は平陽を攻撃するための侵攻だったが道中に影丘があったことで、作中では影丘に焦点を当てた形をとっている。

さらに言えば、引用されていない『史記』廉頗藺相如列伝も含め、両者の記載には「扈輒の敗死と10万人の斬首」が共通するため、史実を語るなら避けて通れない事象と言える。

一見、この描写を再現するのは普通の歴史作品ならば支障をきたすことは無いはずだった。

しかし『キングダム』は歴史を題材としたギャグ色のある(一応)少年漫画である。

そして本作の主人公である並びに飛信隊は、まさに典型的な少年漫画の主人公を体現したような存在であり、何の考えも無しに史実を再現するなら少年漫画の主人公が大虐殺の当事者となってしまうため、これを避けるべく設けたというのが、黒羊の戦いの存在意義として特に大きいだろう。

また、後述のように虐殺や凌辱に対する桓騎の考え方を通じて信にとっての侵略戦争の理想を改めて語る展開にもなっているため、侵略戦争自体は肯定するスタンスを再度明確にする意味もあると思われる。


一方、黒羊の戦い以外の史実に即した形で桓騎とストーリーに絡ませる手段は無かったのかと思うが、69巻のあとがきによると桓騎のキャラクター性は影丘の戦いまでは殆ど定まっていなかったらしく、キャラクター性が曖昧なまま桓騎を引き立てるのは到底難しいため実現しなかったと推測される。

だが、山陽攻略編の時点で桓騎を登場させなければ合従軍編に登場させる秦国の将軍に影響したため、「元野盗」「首切り桓騎の異名を持つ」「戦い方が武将とは異なる」と言った最低限の独自性を与えるに留まった。

さらに言えば山陽の時点では「どうすれば天下の大将軍になれるのか」という方向性が見えていない信に対して、「天下の大将軍」と呼べる廉頗が蒙驁に敗北を認め自身と同じ国民ではない魏兵の損害を減らすために和平交渉に踏み切るという対応を見せた訳だが、「天下の大将軍」とは真逆のキャラクター性の桓騎がどんな反応をするかが悩ましいため、信と桓騎のバーターを成立させるのは無理があっただろう。

ただし本編で信が語ったように、山陽の道中で虐殺や凌辱を行なった同じ秦国千人将の乱銅(らんどう)に対し信が斬りかかった場面で、信が考える「天下の大将軍」像について提示されている。

桓騎とのバーターは考えていないとしても、作中で信が飛信隊を率いて戦う初の侵略戦争だった点を踏まえた上で、虐殺や凌辱を行う将軍の存在と、それに信や飛信隊がどう向き合うかという問題提起自体は、この時点で必要だったと考えたのだろう。


もう1つ史実に寄せた戦いと言えば、合従軍編の後である紀元前240年の魏の城である慶都(けいと)・汲(きゅう)を落とした話も作中で言及されている。

この年、蒙驁が逝去した上、王翦が慶都、桓騎が汲を攻めたため、王翦と桓騎は秦国を代表する将軍として名乗りを上げているが、この時も桓騎は蒙驁の「たむけ」として虐殺を行なっていた。

理論上は、このタイミングで飛信隊と桓騎軍を組ませることも考えられたはずだが、作中の流れとしては不可能という見解を出している。

作中では合従軍戦後、合従軍によって崩壊した前線防衛や近辺の村々の復興支援のために飛信隊は秦国近郊の前線に留まっていたことが明かされており、蒙驁の死に立ち会うことができたのはその防衛中に急報を受けたからであった。

蒙驁の死は紀元前240年の後半の時期となっており、王弟謀反編は紀元前239年の新春の時期に起こった話であるため、仮に蒙驁の逝去(秦国近辺)→汲攻略(魏国寄りかつ趙国寄り)→王弟謀反編(山陽の近くなので趙国からは離れる)の流れにしてしまうと、飛信隊は短い期間に長距離移動を強いられるのが予想された上、桓騎軍は汲を落とした後は趙方面に向け大河を渡ったため成蟜の救援に行けなかったことが作中で明かされている。

さらに言えば上記の侵攻は、合従軍によって多数の秦の国民や兵士にも犠牲者が出たばかりの状況であったことも留意すべきだろう。

飛信隊などが前線の防衛などを行なっていたのも桓騎と王翦だけで城攻めを行なっていたのも、秦国としては人材不足であったこと、他の戦国七雄も大規模な戦争の直後で疲弊していたために軍を興せなかったことも、昌平君は考慮した上で配置していると思われる。

まあメタ事情としては、王弟謀反編以降の話を円滑に通すために飛信隊を都合の良い場所に配置しているだけと言われればそれまでだが。

ちなみに黒羊の次のは、史実における王翦の活躍を優先したいために、桓騎の出番を無くしていると予想される。


総じて黒羊の戦いは、史実や作品事情も加味した上でこのタイミングでなければ桓騎や桓騎軍を出せなかった、かつ飛信隊と組ませるのが難しかったために用意された話と言える。




飛信隊と桓騎軍の対比

黒羊の時点で描かれている対比関係は「夢を抱く大人と現実の厳しさを知る大人」「戦争での虐殺や凌辱に対する向き方」。

前者について現代社会風に例えるなら「仕事を知らない新社会人と仕事を一人でこなせる有能な先輩」の対比と言った所だろう。

実際に信と羌瘣の年齢は日本なら新社会人に相当するし、桓騎の年齢は不明だが後に明かされる経歴(ネタバレ注意)と『キングダム』の作中の経過年数を考えて30代から40代の可能性が高い。

さらに言えば桓騎軍は自身の軍に対し「一家」と呼称することも初めて明かされたが、こちらは下記で改めて説明する。


飛信隊は、信の持つ「天下の大将軍になる」という、いかにも子どもじみた夢のために集まった部隊である。

黒羊時点の飛信隊に至る間に、地元である城戸村では信の名前は有名となっており、の侵攻直前では飛信隊の選抜試験が行われ、多くの募集があったことも明かされている。

果たして戦争に参加する最低条件である戸籍すら無く田舎で下僕として一生を終えるはずだった戦争孤児の「無名の少年」が紆余曲折を経て「天下の大将軍」になる夢を背負って戦い武功を上げ続け武将になったとすれば、それを応援したり仲間として共に戦ったりする人が集まることは、至って自然の流れと思われる。

一方、『キングダム』における侵略戦争とは基本的に主人公の信や嬴政の視点で描かれるため、彼らの持つ子どもじみた思想により戦争が美化される危険性を同時に孕んでいた。

今回は桓騎が「虐殺や凌辱も勝つためなら行う」「侵略戦争とは国や物や人をぶん捕ること」として警告しているが、飛信隊の戦争の美化に対する反発であるとともに、飛信隊より戦果を出すという形で飛信隊を黙らせ、改めて戦争の厳しさを提示したと言える。



対して桓騎軍は、黒羊時点では掘り下げが不十分であるため詳細こそ不明だが、野盗で構成されている点から類推できることもある。

そもそも彼らを野盗たらしめるのは、生活苦だったり生まれが山地に近かったりで、少なくとも士族ではない、あるいは下流層(貧困層)に属する人間だからと推測される。

農業をしようにも作物が育たなかったり他の野盗に取られたりなどして生活が成り立たないとなれば、生きるために野盗以外の選択肢を失い、野山を訪れる下界の人間から金や食糧を奪って、奪ったものからさらに別の食糧と交換して食いつないで生きるのが精一杯なのではないだろうか。

平地から追いやられた山地を住処としているのも、山の民のように平地の秦人から迫害を受けた結果かもしれない。

しかし山の民のように特定の歴史は明かされていないことから、歴史的に浅い(ちなみに桓騎軍に老人は見られないため筋は通るだろう)のか、あるいは秦人が意図的か無自覚かさえ分からないまま迫害しているため、特定の歴史など存在しないのかもしれない。

そんな下流層の人間が「軍」に至るほど大規模な人数に膨れ上がったとすれば、蒙驁の軍門に下った理由として食糧難対策が考えられる。

なお、蒙驁の副将に就くに至った経緯や理由は不明だが、合従軍編で張唐が桓騎に「国を背負って武将になる覚悟」を問われた際、「あるわけない」と否定するばかりか、桓騎は国家という存在を「ごく一部の人間が好き放題やってるだけのクソ溜め」と否定しており、そんな人物が何の見返りも無しに蒙驁の軍門に就くのは無理があるため、副将という一般的な好条件以外のメリットがあり、その内の一つとして食糧難対策と考えることはできるだろう。

ちなみに「残忍な性格」なはずの桓騎でも、「食糧難で困るなら困らない範囲で殺せば良い」と考えそうだが、作中で明らかな範囲ではそのような事実は見られない。

野盗時代に「首切り桓騎」と呼ばれる理由となった、城邑(じょうゆう)の住人の首を斬り落とした話以外は明かされていない上、蒙驁の副将になって以降は投降兵さえ殺しまくり、黒羊に至るまでこのスタンスは一貫しているが、それでも桓騎兵を桓騎自らが手を下す描写はほぼ見られない(まあ黒羊では初日にゼノウ一家を動かす際に「邪魔だから」と道中のゼノウ一家を斬っているが、より多くの犠牲が生じかねない状況下で空気を読まずに桓騎につっかかってきた彼らにも非はある)。

ただし黒羊の戦いで紀彗軍が丘から離れた後、前日に飛信隊を潰れ役に使った上に当日の虐殺や凌辱への反感を考慮したのか、丘奪取の潰れ役は桓騎兵に行なわせていたが、結果だけ見ればこれでも犠牲は少なかった

このため残忍な性格であろうと、自分の下に就く者たちを守るために行動しているようにも考えられるが、単なる描写不足の可能性も否めないため黒羊編時点では断定はできない。※1ネタバレ注意



作中で桓騎の胸中を類推することは難しいが、信に対して「元野盗と元下僕の関係は似た者同士」と言及している。

作中の下僕と野盗の扱いで共通する要素は、対人関係において好意的に見られていない以外には、戸籍と持ち家の存在だろうか。

王都奪還編で下僕の信の場合は住む家を持たず、当然戸籍登録も無いと戦場に出ることはできないと昌文君が言及したため、信は王都奪還編を経て戸籍と持ち家を獲得している。

桓騎もまた蒙驁の軍門の下ったとはいえ対外的には戸籍と住む家が無いと武将にはなれないため、蒙驁は城と戸籍を与えているはずである。

「大野盗集団」と言われるほどの人数が居たとしても、城をいくつか与えれば桓騎兵も含めて住む家は困らないし、食糧も最低限は有るだろう。

しかし、上記を踏まえて尚、信と桓騎の戦争に対する考え方が真逆なのである。

というのも信はあくまで単身(厳密には河了貂も含む)で戸籍と持ち家を得ているために、信に対して責任と呼べるほどの重いものは存在しない。

漂の死を受け単身で天下の大将軍を目指すことになるが、それはあくまで信自身の問題である。

加えて信の描く天下の大将軍像は上記の通り虐殺や凌辱などの戦争の暗い部分については触れていないため、総じて信の戦争に対する考え方は戦争に敗れた者や被害を受ける相手に対する無責任さが付きまとう。

ただし、信の夢は同時に嬴政の夢にも繋がることが山陽攻略編で示されているため、信が本来持つべき戦争に対する責任は、嬴政も同様に持っているという認識があるのかもしれない。

対して桓騎は蒙驁の副将になった時点で既に大野盗集団も抱えており、桓騎1人だけの問題ではなくなっていた

上記の通り、自分の大野盗集団を生かすために蒙驁の軍門に下り戦うことを選んだ可能性も否めない。

とはいえ、蒙驁の下で桓騎軍を生かすための手段として無力・無防備な相手を虐殺や凌辱までを平然と行うことが果たして信と対照的に責任を負えているかという疑問は生じる。

その回答は出ていないが、桓騎は自分の行為に責任が伴うことを理解しているため信に対して「一番の悪党」と発言できるのだ。



ところで、そもそも信や桓騎が下僕や野盗になったのは、元を辿れば秦国自身の問題に帰結する可能性は無いだろうか?

社会背景こそ明確ではないものの、戦争孤児の子どもがその身一つで生きるのは難しいために下僕として生きる選択肢しかなかった信と、何らかの理由で野盗として盗みを行ない生活せざるを得なくなった桓騎、この双方に共通するのはあくまで同じ国に生きる人間であっても、真っ当な生活がままならない「身分」(あるいはレッテル)を国家によって与えられていることであろう。

このことに対して、信は少なくとも国家に対する恨みは無い(というよりむしろ国家がどう考えていようと自分自身は「下僕」であり続けるのだから興味が無かった)ものの、「下僕」という身分については取り消すように王都奪還編で要請した描写もあった上、そもそも天下の大将軍を目指す動機には「下僕」からの脱却も含まれている

桓騎も同様に「野盗」と周りから呼ばれることに特に嫌悪感を抱く描写は見られないが、上記の通り国家という存在を否定的に見ている

以上から、両者ともに国家に対しては無関心、あるいは不快に考えていると窺える。

この点も踏まえ、信は「国家」が持つ恩功制度による正当な手段による成り上がりを期待している一方、桓騎はそもそも「国家」の存在そのものを嫌悪している代わりに国家の代表たる将軍に籍を置いているのも対称的であるが、信の場合は「天下の大将軍」という自分の夢のために必要不可欠だからであり、桓騎の場合は自分の生活に「国家」の有無が無関係という背景があるからと言えるだろう。




秦軍と趙軍の対比

趙攻略編以降は、秦国の侵略する側とされる側の立場が完全に逆転する物語であるが、特に趙にとっては秦国統一編時点では一貫して侵略する側だったのに、黒羊以降は一転して侵略される側に立たされる。



侵略する側の秦国は奇しくも虐殺や凌辱の考え方が対称的な飛信隊と桓騎軍が揃った訳だが、他にも関係性が仲間の飛信隊、黒羊時点では関係性が不明瞭な桓騎軍という対比関係も暗示されている。

しかし、侵略される趙軍にはどちらにしても侵略者であることに変わりなく(強いて言えば副長の羌瘣の名前が劉冬に知られていた飛信隊と、一切素性の知らない桓騎軍では印象が多少違うかもしれない程度)、秦軍に対する客観性は一貫していた。

どんなに戦後の飛信隊の行いが作中で珍しい対応であろうと結局は侵略に変わらないし、侵略への敗北は桓騎が言及するように、客観的には土地も物も人も奪い取る行為に違いない。

そして、敗北の末路が虐殺や凌辱かも敗戦国の被害者にとってはあまり関係ない。※2ネタバレ注意

何故なら戦争は秦国大王・嬴政が引き起こすものであるため、嬴政が居る限り、あるいは中華統一が果たされない限りは、敗戦国の民は戦後に生き残り続けようが何もかも奪われ続ける過酷な未来が待っているからである。

金毛が離眼城に向かおうとする紀彗を説得する際にも言及している通り、趙軍としては黒羊一帯から拡大するであろう秦国の侵略行為を挫くための戦いとして黒羊戦を位置付けていたことから、この考え方は合致するだろう。

そして、上記に対して「狂気じみた正義を振りかざしている」として信や嬴政の考え方に警鐘を鳴らすのが桓騎という見方もできる。


ただし毐国反乱編の嬴政が語るように戦争とは悲劇を増幅させ人を闇に落とす最大の社会問題であるから、戦争を引き起こす当事者であったとしても虐殺や凌辱を最小限に抑えることは、戦後の復興や他の戦国七雄に対して過度な武力による反発を引き起こさせない意味があると考えており、例えば王都奪還編でも竭氏派の生き残りは捕虜にし過度に血を流させる行為を避けている他、影丘での桓騎との対話では実際に言及している。

政治的な意味合いが強いのは確かだが、それは内部のクーデターも外部の侵略戦争も同様であり、戦後の平定まで視野に入れなければ戦争は終わらないと嬴政は考えるようだ。

無論、戦争で生き残ったとして戦った相手と理解し合えるか、共存できるかという問題については呂不韋王建王などの反発が強いのもまた事実であり、特にこの三者の話は黒羊の戦いの前後で展開されている点を含めて意図的な構造となっている可能性もある。

前述の通り黒羊の戦いは秦国が本格的に中華統一に乗り出す最初の話であるから、秦国のみならず戦国七雄の「侵略戦争」に対する問題提起が、史実などの事情に依らない『キングダム』独自の黒羊の戦いの意義であるとも考えられる。



対して侵略される側の趙軍は、片や地元に根付き自分の城の民を家族と愛してやまない離眼軍と、(原作漫画では不明瞭だったが)片や李牧に対して恩を感じていた慶舎とその一行で構成されている。

慶舎軍については土地に対する愛情より国防という、ある種の公平性をもって今回の戦いに臨んだ。

ただし慶舎軍が作中時点で黒羊を守っているとのことなので、郷土愛に近しいものもありそうだが、慶舎はともかく死後の金毛はあくまで「趙国中央の軍」として趙国を守るために加勢しているに過ぎないと明かしている。

全面的に郷土愛のような話に方向性をもっていかなかったのは、離眼軍の話に重点を置きすぎたか、慶舎の敗北が確定していたため、あるいは桓騎軍を中心に描く必要性から趙国側を長々と描くのが助長など諸々が考えられるが、理由は定かではない。

ただ現在の形に落ち着いたとするならば、重要なのは趙軍が守るものと秦軍が奪うものの対比と思われる。


慶舎についてはおまけ漫画(アニメ版では作中)で才能が燻っていた所を李牧に拾われ現在に至ることが明かされ、あくまで「李牧のため」という限定的な話ではあるものの彼なりに趙防衛のために身を粉にしていたと思われる。

とはいえ作中の立ち位置は「趙国全体の国防のための増援部隊」と言ったもので、黒羊に対しての思い入れの有無は明言されていない上、特に慶舎については偏った見方をすれば「私的な理由で防衛していた、あるいは趙三大天を目指すための」と言え、上記の通り「私的な理由で天下の大将軍を目指していた」飛信隊・信と対比になっている。

信と慶舎の直接対決は、あくまで私的な事情で周りの住民を引っ搔き回していた者同士の対決だったと言え、慶舎が信と対峙した原因(敗因)もまた桓騎の戦略どうこう以前に「私情」で行動したことにある。

身勝手な侵略者に対して身勝手な戦術を行ない墓穴を掘った結果でしかなかったのだ。


一方、紀彗(及び離眼軍)は戦いの最中に離眼城の民の描写が見られるほど民から慕われ、また紀彗たちも民を愛し、彼らのために戦っていることを明確に示している。

しかし離眼城の悲劇のように戦場に出ている間は戦っている間は手を出さないであろうと期待している城の民の存在が同時に弱点にも繋がってしまう。

桓騎に言わせれば戦争である以上は彼らの家族や城の民もまた立派な虐殺や凌辱の対象であるが、そんな彼らを守るために戦うという明確な動機があるから大将軍級の檄や強さを発揮できることを描写している。

一方、桓騎には守るものが無いのかという問いについては、明確な提示は無い。

強いて言えば、上記の通り桓騎は「国家」に対し否定的な考えを持つため、中華統一(より正確に言えば秦国だけに「国家」を統一する事業)に対し戦国七雄の心象を考慮する必要は無い。

だからこそ他国に対して嫌がることを徹底的に行え、その中には当然虐殺や凌辱、略奪も含まれるというだけの話に過ぎないのである。



ここで、黒羊編までの桓騎の特徴をまとめる。


  • 元・大野盗集団の頭領
  • 「首切り桓騎」として名をはせた後、何らかの経緯で蒙驁軍の副将となる
  • 戦い方が武将と異なり、山陽、函谷関、黒羊のように奇襲が多い
  • 虐殺や凌辱を平然と行い、山陽、汲、黒羊で見られる
  • 国を守るという意識は低く、国を「ごく一部の人間が好き放題やってるだけのクソ溜め」と評し嫌悪感を示す
  • 信や嬴政の戦争の考え方に対し「中華統一は敵が抵抗しなくなるまでとことん殺しまくって、その国の土地と人と物全部をぶん捕ることだが、それに気付かず狂気じみた正義を振りかざす極悪人」と評す
  • 桓騎軍は自身の軍を一家と呼ぶ(作中の軍では唯一の呼称)

奇襲とは、相手の予想を覆す時間・場所・手段でその油断・意表を突くように、唐突に攻撃を仕掛けることである。

桓騎が奇襲を得意とする理由は、「相手が自分に気付く前に盗んで逃走に成功する」のが野盗として生きるのに必須なスキルだからと予想される。

そして、野盗の成功率を高めるために徒党を組んだりゲリラ戦を行なったりし、被害を最小限に抑えることも必要なために、蒙驁軍の加入前から「大野盗集団」に至ったものと思われる。

特に山陽では深追いする魏軍に対し集団で打倒し、黒羊では初日に火兎を使ったことに対し好意的に評価した他、4日目と5日目の策は結果的に桓騎兵の被害を最小限に留めるなど、奇襲という戦法は見方を変えれば桓騎軍の被害を減らすような戦い方を行なっているとも考えられる。

また、虐殺についても山陽で介子坊が説明している通り、度を過ぎた遺体の扱い方は相対する相手に対し恐怖心を与えるものと考えられるため、桓騎軍にとっては相手の戦意喪失により味方の被害を最小限に抑えるメリットにもつながる(凌辱も恐らく同様の効果がある)。

以上から桓騎の戦い方は客観的に見れば残忍ではあるものの、味方から見れば被害を最小限に抑える合理的な戦い方であると考えられる。

ちなみに、3日目で桓騎が動かなかった時に那貴は「無駄なことは好まない人」と言及しており、無駄な犠牲を好まないと考えれば筋が通る。

そしてこの戦い方に至る理由は他にもある。

上記の推測の繰り返しだが、野盗としての生活を強いられるということは、国家的には貧困層に属することを意味し、貧困層の彼らには自分の血縁と言える「家族」が存在しない(既に亡くなっている)可能性が高い。

作中で描写される範囲の桓騎軍には少なくとも老人は見当たらない他、桓騎軍内の血縁関係に関する描写も無い。

前者は貧困故に親が早死にしている、後者は血縁関係が誰にも無いのならそもそも話題にさえできないためだろう。

一方で彼らは「野盗」という括りではあり、「野盗」として生活をしなければ生きられない彼らにとっては、「野盗」こそが自分を助け、自分が助けるべき「家族(一家)」なのである。

そうなると、「国家」から見放され「血縁のある家族」も殆ど知らずただ生きるためだけの生活を強いられた彼らが信や嬴政の「中華統一」を嘲笑するのは極めて普通の反応であると言える他、那貴が桓騎軍から離反する際に桓騎などが険しい顔を見せ雷土がブチ切れるのも、家督を継ぐのに反対する子に対する親や兄弟のような反応かも知れない。



以上から実は、紀彗と桓騎はどちらも自分の軍に対して「家族」のような関係性を持つ点で共通していたのである。

対比になる要素は上記の通りだが、桓騎軍の「家族性」についても黒羊編時点では詳細は不明、というより後の展開を見ると意図的に隠されていると言った方が正確か。※3ネタバレ注意






※1:桓騎の最期までを含めた話をすると、食糧難で蒙驁軍の軍門に下った説は誤りである上、桓騎はむしろ蒙驁を負かした方であるが、「大野盗集団」の未来を踏まえた上で軍門に下ったという点は正しい。

衣央の証言では「首切り桓騎」と呼ばれる時点で既に桓騎一家は軍隊ほどの規模になっており、本来なら偲央の敵討ちが終わった時点で桓騎一家を解散しても良かったはずだったが、そうしなかった(敵討ちが終わった時点で桓騎は自身の一家を「家族」と認識していたと衣央は推測している)。

桓騎は桓騎なりに砂鬼一家や桓騎一家といった「家族」に限らず末端の桓騎兵の「仲間」についても考えており、蒙驁軍に下った直接的な理由は、野盗団を続けていても桓騎の「怒り」をぶつける先も無ければ、どんなに軍隊並の規模に膨れ上がっても結局は「野盗」に過ぎないため桓騎自身のみならず「家族」や「仲間」の人生も先が無いことを憂慮していた他、桓騎自身も戦場に出ることは検討していたが結局は蒙驁の申し出によりその考えが前倒しになった(蒙驁と桓騎の利害が一致したと考えても良い)ことにある。

このため桓騎は、生き残った桓騎兵は野盗に戻さないように摩論に遺言を託している。



※2:飛信隊も桓騎軍と同様に侵略者側であるはずだが、捕虜になった当事者としては桓騎軍と飛信隊の心象は対照的な様子が描写されている。

特に影丘の直後である武城の陥落後の城の民の間にも飛信隊の名前は広まっており、襲ってくるなどのおかしな真似さえしない限りは女性や子どもは縄を解くといった対応を行うことで、「助かった」や「ありがとうございます」などといった捕虜の心象が窺える。

あくまで軍部や国家の大王が考える視点と、実際の被害者たる彼らの視点では感想は異なることが端的に理解できるだろう。

ただし戦後の秦国に対する心象については、戦争が終わってないので当然だが趙攻略編時点では明かされていない。



※3:後の本編またはおまけ漫画で判明するが、黒羊編時点で桓騎は桓騎一家が自身の「家族」であることを忘れていた

「首切り桓騎」と呼ばれた時点では桓騎一家は確かに桓騎が作り上げた「家族」であったが、その後蒙驁の副将、即ち桓騎「軍」となり何年も経過した(具体的な年数は明らかではないが、少なくとも初登場の山陽から黒羊までで6年は経っている)ことで、桓騎「一家」は生活に苦しむことは無くなり、桓騎軍の下部も生活苦は脱していないものの生活自体はできていたと推測される。

ともすれば桓騎「一家」を支えていた過酷な世界で苦楽を共にしていた「家族」としての生活は疎遠となり、次第に「軍」としての生活が普通になっていったのも道理だろう。

黒羊の4日目で幹部たちに指摘したように一家の考えが軍に染まっていたことや、最終的に那貴が離反したことは、結果的にこの「家族」という関係性が薄れていたことを示唆する描写である。




上流層と中流層以下の対比(71巻までのネタバレ注意)

こちらは上記のような巨視的な視点というより、桓騎目線からの対比となる。


上記の繰り返しだが、桓騎は国家という存在を「ごく一部の人間が好き放題やってるだけのクソ溜め」と否定的に見ている。

この「ごく一部の人間」とは、桓騎の"怒り"の対象である上流層と見て間違いない。

桓騎の"怒り"の対象は少数の上流層と大多数の中流層だが、上流層が好き勝手しているクソ溜めが「国家」であるならば、嬴政や趙王・悼襄王のような上流層が主導する侵略戦争はまさに上流層の「好き勝手」のために大多数の中流層以下同士が血で血を争い土地や物や人を奪い合う戦いとも解釈できる。


特に桓騎視点で上流層と下流層の明確な違いが見られるのは、離眼城の悲劇と4日目。

前者はそもそも最初から離眼城と暗何城に対し邯鄲から軍を派遣し調停を行なえば戦争は早くに沈静化したはずであり、上流層の住む首都・邯鄲が無関心であったために中流層以下の住民に甚大な被害をもたらしたとも考えられる。

後者も趙国中央から派遣された上流層の慶舎を元下流層の桓騎軍が討とうとしている場面で、桓騎は「それが狩られる奴の見る景色だ」と嘲笑しているが、元野盗集団にとっては軍に入る以前の生活ではこの景色が当たり前だったことを窺わせる台詞である。

そして黒羊戦は結果として、趙兵(中流層)の代わりに集落の住民(中流層以下)が虐殺され、嬴政(上流層)率いる秦国軍が黒羊一帯の土地と物を奪い取ることとなった。

戦後、黒羊丘周辺は王建王の来秦により一時停戦となった上、李牧によって邯鄲から西部の防衛が強化されたために、まともに張り合ったら攻略に10年かかると昌平君に言わしめ、南部の鄴や北部の宜安などを侵略することとなり、結果論ではあるが、黒羊周辺への侵略が行われることは無かった。

とはいえ、王族の上流層については当たり前だが一切の血を流していない、趙軍も含めて慶舎と劉冬くらいの被害なのに対し、中間層以下は数こそ不明ながらも集落の住民にも被害が及んでいる

それは桓騎のせいと糾弾するのももっともだし、責任転嫁として被害者意識を持ちかねない話なのは間違いないが、侵略戦争である以上は侵略する側もされる側も、中流層以下の民間人も被害者に含まれることは考慮しなければならず、この戦いに限らず桓騎が問題視していたのは何百年も行なわれてきた戦争の「結果」である。

戦争によって虐げられる者の思いや負傷・戦死する人の願いはどうなっても良いのか?

あるいは桓騎の場合そもそも戦争自体を理由として考えるのは適当ではないが、戦争という手段を含む人間を弄ぶ行為に対してお互いに向き合うという考えは無いのか?を問題視している。

だが、秦国を含めた戦国七雄が黒羊編終了時点で桓騎の行いを桓騎に対して直接糾弾する描写は無い。

作中の桓騎が知る由は無いが、黒羊の戦いを傍観者として見ていた李牧(上流層)も同様で、慶舎や黒羊周辺の住民を見殺しにしておきながら桓騎の戦い方しか見ていないのも、本来なら斬首に匹敵する大問題であろう。

ただし戦国七雄が秦国に対して問題を提起しなかったかと言われれば、そんなことは無い。

黒羊編直後は王建王と李牧が来秦し、両者ともに戦争を終わらせたいという気持ちを伝えている。

戦争は終わらないという諦観のために静観というスタンスだった王建王と、戦争を終わらせるために同盟という手段を用意した李牧(まあ嬴政に否定されるが)、対照的だが国王と臣下では国民に対する見え方も違うことが端的に解るだろう。


余談

4日目、元々は飛信隊楚水軍を攻撃していた馬呈軍や、同じく飛信隊の包囲を考えていた劉冬軍が、特に理由が言及されることもなく慶舎軍の援軍になっていた紀彗軍の加勢に入り、慶舎の脱出に貢献している。

アニメではこの描写が8話だけで見られるため特に分かり易い。

単純に考えれば飛信隊の近くに慶舎が来ているため、慶舎が襲われる状況に対して早馬が飛んでいれば迅速な対応ができても違和感は無い。

実際、慶舎軍からさらに遠い中央の丘の右側に配置されていた金毛軍は、慶舎が攻撃されていたのを把握できていた。

また、ゼノウ軍が慶舎軍に迫っている段階では既に飛信隊は分断されており、極端な話桓騎軍に包囲された慶舎軍を助けるために馬呈・劉冬が飛信隊に背を向けたとしても、飛信隊にこれを崩す術は無かったと考えれば、馬呈と劉冬が窮地に立たされた慶舎と紀彗を助ける流れになるのは自然と言える。

そもそも4日目の布陣は三日目から全く動いていないことが描写されていたため、読者としては3日目の布陣を思い出す必要はあるものの、作中の人物はその動向をある程度掴んでいた。

そして「慶舎が丘の下に降りた」点と結果的に「飛信隊の動向が有耶無耶になった」点以外は趙軍に有利だったことも周知の事実であったが、悪い言い方をすれば慶舎の「私情」のせいで趙軍の敗北に繋がったのであった。



信が逃げようとしていた慶舎軍と戦っている最中、著雍の時から使っていた矛が砕けたため、慶舎戦ではから託された嬴政の剣を使い、最終的に剣で黒羊戦を戦い抜いた。

自身の矛がこの時に壊れたことも影響し、編では出陣前に嬴政が預かっていた王騎の矛を受け取る展開に繋がる。



5日目、実は信自身は直接虐殺した桓騎兵を斬っていない(信自身は斬ろうとしたが河了貂に止められた)ものの、羌瘣が桓騎兵を斬り殺した上、信も桓騎一家に問い詰めていたのは確かで、軍律としては問題だったために武功を取り消されることとなった。

一方で信も羌瘣も斬首ではなく武功の取り消しだけで済んだのは、趙三大天の最後の一席に近いほどの強大な人物であった慶舎を討った功績があまりにも大きかったためと考えられる。

意図的かは不明だが、奇しくも影丘の大虐殺を行なった桓騎を嬴政が赦した論拠にも用いられている。

これらの違いとして、影丘は武功の取り消しなどは無かったものの、次の肥下では嬴政の言うように過度な残虐性により趙の民の恐怖心を煽ってしまったため、李牧軍はこれを利用し桓騎を殺すための策を徹底的に突き詰めるのだった……


アニメ

上記の通りアニメ第5シリーズに相当する。

当初は2024年1月6日放映予定だったが、令和6年能登半島地震の特番により1週間延期され、1月13日に放映開始した(なお、シリーズ全体で1月開始も初である)。

この関係で、第12話と第13話は次月に持ち越さずに連続して放映する事態となった。

ちなみに第3シリーズも同様に延期により1話分が9月中に放映できない状況だったが、あちらは次月に持ち越されたため、今回の措置はこの点でも異例である。

無論、2話連続の放映はシリーズ全体で初だが、2話分の尺を放映した前例は第1シリーズの第1話(元々第1話は長尺で製作されていた)がある。


結果的に『キングダム』アニメシリーズの中で最短の話数になったが、次のはまともに製作していたら4クール以上に相当する、2クールで製作するにしても都合よく切れる箇所が無い、そもそも原作のストックが無いなどの理由で、アニメ第6シリーズに繋げるには時間が必要なのだろう。

アニメ第3シリーズ以降はアニメ終了直後に続編の公表がなされたが、今回は行われず、その理由も上記の事情が考えられる。


第3・第4シリーズでは「キングダム製作委員会」が製作・著作を担当していたが、本作では無くなっている。

しかし製作体制に大きな変更は無く、単に名義変更に留まった。



アイキャッチのタイトルの色が血のような赤黒い配色から桓騎軍をイメージした紫系統の色に変更された他、次回予告のBGMも第3・第4シリーズから変更された。


一部の話では構成が変更されている。

第4話はAパート→アイキャッチ→Bパート→OP→予告の構成となりEDは無く、OPはデザイン画のみを掲載した特別演出となっている(何気にアニメ『キングダム』シリーズのOPED全体で特別演出が成されたのは初)。

第13話はAパート→アイキャッチ→Bパートの構成であり、Bパートの最後にOPをBGMとして流している。

第4話及び第13話にEDが無い理由は、第4話は専ら飛信隊中心の内容で構成されているため、第13話は黒羊戦の話は冒頭のナレーション以外一切触れられない構成のためと考えられる。

第7話はOP→Aパート→アイキャッチ→Bパート→ED(要するに第2シリーズと同じで、第3シリーズ以降は唯一の構成)となっている。

第12話はEDと予告の間にDパートが入り、舜水樹馬南慈とともに黒羊の戦いを観戦していた李牧が描写された(ただし原作にあった李牧以外の台詞はカットされた)。


第9話は漫画ではあっさりしていた信と慶舎の対決について、おまけ漫画に見られた李牧との出会いや王騎のカットが回想で入るなどの描写が追加された。

第10話も信の回想の関係で、乱銅も新規で掻き下ろされている。

第11話は那貴尾平を助けるシーンで一部がカットされ、雷土一家の小物ぶりが見えなくなった。

第10話以降の分断された遺体の描写はTV版ではぼかされているが、各種配信サイトでは無修正なので原作通りの光景を確認できる。



原作第485話「蒙恬の報せ」がカットされ、第13話は王建王の話に終始していたが、「蒙恬の報せ」の内容は黒羊戦後の各国の説明的な意味合いが強いため、順序を変更しアニメ第6シリーズに回されたと考えられる。



YouTubeではキングダムニュースなどの取り組みは無くなった一方、第3シリーズ以降の話の一部をショート動画として不定期(特にアニメ公開日など決まった日にちでは無い様子)で公開するようになった。

これは第5シリーズも例外ではなく、直前の話を投稿しているため、内容を端的に知りたい場合は確認すると良いだろう。


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