概要
太閤・豊臣秀吉亡き後、秀吉の重臣・石田三成は関東の雄・徳川家康と語らい、三成をはじめとする五奉行、家康をはじめとする五大老による合議により、豊臣秀頼が元服するまでの間、政権を維持しようとする。
しかし、豊臣政権下において外様の大大名でもあった五大老の上杉景勝や毛利輝元は石高にして250万石という最大の版図を誇る家康を警戒、三成も秀吉の側室である茶々からの話を聞き、次第に家康への警戒を強めていった。
そんななか、朝鮮出兵から帰国した加藤清正や福島正則、黒田長政らは出兵の苦戦が三成ら秀吉側近の官僚によるものと不満を強め、家康との婚姻に応じるなどして、彼との結びつきを強めていった。
清正ら秀吉恩顧の武将達の勢いはさらに強まり、五大老のまとめ役でもあった前田利家の死後、伏見城にいた三成を襲って彼を政権の座から追放、所領である佐和山に謹慎させることとなった。
これらの動きに家康は天下を取ることを決意し、腹心の本多忠勝に
「もう引き返すことはできぬ…修羅の道をゆくことになろうぞ」
と語り、忠勝もまた
「どこまでもつきあいまする」と覚悟を決めるのだった。
これらのストーリー展開に、視聴者は1年前の『鎌倉殿の13人』第44話「審判の日」で主人公・北条義時が
と弟・時房に告げたのを思い出し、主人公による二年連続の「修羅の道」発言に大いに盛り上がるのだった。