概要
「神の君へ」は、2023年度NHK大河ドラマ『どうする家康』最終回。
2023年12月17日に放送され、大坂夏の陣から家康の死去までが描かれる。
あらすじ
大阪冬の陣から年が明け、自らの決意で打倒家康を掲げて挙兵した豊臣秀頼。彼の覚悟を見た家康もまた、業の深い乱世を背負ったまま終える覚悟で陣を構え豊臣との最後の戦いに挑む。
真田信繁の陣への突撃に対し、家康はまるでかつての信長が乗り移ったかのような鬼の形相で迎え撃ち、これを撃退する(なお、家康本人は信繁に討たれることを望んでいたかのような節が見られる)。戦いは徳川軍優勢で進んでいき、ついには大坂城も燃え上がったことで、死の覚悟を決めた秀頼と茶々は拒む千姫を無理矢理家康の元へ逃がしたのだった。
千姫は必死の思いで家康へ秀頼の助命を求めるが、ここに秀忠が割って入り、彼自身が将軍として業を背負う覚悟で秀頼を討つように命じ、家康もそれに従った。
豊臣勢は皆切腹し、茶々も「優しくて卑屈なか弱き者たちの国に、己の力を信じて戦い抜くような者たちはもう現れまい」と無念を嘆きながらも、最後はまるで憑き物が取れたような表情で「ようやりました」と自ら首を切り、波乱の生涯を閉じた。
炎上する大坂城を見て、家康はかつて自分が渡り合ってきた強敵たちに思いを馳せながら静かに手を合わせていた。
こうして、長きにわたった戦乱の時代は幕を閉じる。
ここまでの道のりを「太平の世を作る為に天が我らに遣わした神の君の物語」として春日局が竹千代(のちの徳川家光)に語り聞かせていたが、その竹千代はというと、物語よりも絵を描くことに夢中な様子。
一方、そんな家康の活躍を残すため、南光坊天海が伝記の編纂を行っていた。かつての情けないエピソードばかり出て来るせいでなかなか編纂が上手くいかず苛立つ天海に、秀忠は立派な話ばかり残さなくてもいいのではないかとたしなめるが、天海は『吾妻鏡』や『源氏物語』を手に取りながら「かの源頼朝公にしたって、実のところはどんな奴か分かりゃしねえ」と人には触れてはいけないような暗い部分がある事を多少認めつつも、「周りがしかと称えて、武家の憧れとして語り継いでいかなければならない」と聞く耳を持とうとしなかった。
しかし、その頃家康にはもはや立ち上がれるような気力も残されておらず、長く連れ添った唯一の生き残り、本多正信にも手を触れられて、触れ返すのがやっとという状態だった。また、大御所となった彼を恐れてか、阿茶局以外にはその世話を行う者もいなくなっている。
そして、その命が消えようとしつつある家康の元に意外な客人が現れる。かつて非業の死を遂げた正室の瀬名と息子の信康だった。彼女たちは長い戦乱の世を生き抜き、泰平の世を掴み取った家康を労う。
そこへ、竹千代が描いた絵を持って現れ、家康に献上する。彼が描いていたのは、強い虎でも狡賢な狸でもなく、純粋な目をした白兎であった。
場面は暗転し、過去に遡る―
徳川家が信康と五徳姫の祝言が迫ったある日、信長から献上された鯉が何者かに盗まれていた。
献上の際、木下藤吉郎(秀吉)に「もし(鯉が)無くなっていたら信長様が何をするかわからない」と脅しを受けていた家康は、慌てて城内の家臣たちに行方を知らないか聞きまわる羽目に。
いくつかの証拠と聞き取りの末、最終的に自ら犯人と認める鳥居のじいさまこと鳥居忠吉。そこへもうすぐ家康の元に信長が到着するという報が入り絶体絶命の家康。信長に詫びを入れるためにも今すぐにでも彼を切らなければならないのか。
しかし、家康にそれはできなかった。「大事な家臣を鯉と引き換えにはできぬ。信長にこびへつらっても信長の鯉にまでこびへつらっていられるか」と鯉や信長よりも家臣を優先したのである。
その言葉を家臣たちが聞くと、実は徳川家中全員で鯉を切って刺身にしており、そして信長も美濃攻めで忙しく、来るという報は嘘だったと明かした。
そして、徳川家臣たちは皆家康を囲んでここまで頑張って来た彼にお礼の言葉を述べていく。
家康もまた彼らに対して感謝し、座して礼をする。
これが、かつて家康が度々笑いながら思い出していた鯉の話の顛末であった。
懐かしい話を思い出しながら、家康は薄暗い部屋で一人、静かに息を引き取った―
そして、最後はまた祝言の日に遡り、海老掬いを舞いながら信康と五徳の婚姻を祝う家臣一同。
その様子を背に、家康と瀬名はこの先の未来について語り合う。
彼らが見ていた江戸の方角には、ビルや東京タワーが立ち並ぶ日の本の未来の姿が映っていた。
物語のその後
家康の死後、2代将軍徳川秀忠は武家諸法度制定や福島正則・本多正純など諸大名の改易を断行し、江戸幕府の基礎を確立させる。秀忠の後を継いだ3代将軍家光も幕府の職制整備や鎖国政策、及び街道整備や貨幣政策、更には農民統制などを行い幕藩体制の基礎をほぼ完成させた。家康が「神の君(東照大権現)」として日光東照宮に祀られるのもこの頃である。
しかし、大名の処罰に伴う牢人の発生や傾奇者の不良行為が社会問題となり、家光死後の1651年には由井正雪による慶安の変など幕府転覆計画が発生する。これらの事件は未然に防がれたものの、幕府は4代将軍徳川家綱の下、従来の武断政治を改め朱子学に基づいた文治政治に転換する。その後、5代将軍徳川綱吉は未だ一部で残っていた戦国時代の価値観を払拭し貨幣改鋳などを実施、このことが経済発展に繋がり、上方中心に元禄文化を現出させることとなる。
しかし、幕府の財政難は深刻となり、秀忠直系の男子が断絶したことに伴い紀伊藩主徳川吉宗が8代将軍に就任、享保の改革を実行する。当時、商業が発展する一方で特に農村部における格差が拡大し、百姓一揆が頻発していた。
吉宗の死後は田沼意次が産業を重視する政策を行い、出版業界も発展する。しかし、飢饉に対する有効な対応ができなかったことや賄賂政治などへの批判も強まり意次は失脚、11代将軍徳川家斉の信任を得て松平定信が寛政の改革に着手する。だがこの改革も厳しい統制への反対や朝廷との関係悪化により頓挫。更にはロシアやイギリスといった外国船の出没も増加、鎖国体制は動揺していった。
定信失脚後、家斉は文化・文政年間にかけて実権を保持するが、天保の飢饉により百姓一揆が増加しただけでなく、大塩平八郎などが蜂起するなど幕政は大きく動揺する。
この情勢を受けて、12代将軍徳川家慶の下で老中水野忠邦が天保の改革を実施するが、時勢に合わない政策で社会は余計に混乱、渡辺崋山や高野長英の幕政批判に対しても弾圧を行う(蛮社の獄)。そして薩摩藩や長州藩などで藩政改革が成功、これらの藩は雄藩と呼ばれ、幕府に対し強い影響力を行使するようになる。
そして1853年にペリーの来航を迎え、遂に幕府は開国に踏み切り、以降日本は明治維新に向けた激動の時代を迎える。
一方で、日本は明治時代以降に劇的な近代化を迎えるが、これらは産業の発展や文化の成熟といった要素が江戸時代を通じて概ね実現されたからであり、そしてそのことは家康が「戦なき世」を実現したからに他ならない。戦争を前提としない時代が国内の発展に寄与したのである。しかし、近代化を遂げた日本は中国や朝鮮などへの進出を強め、最終的には第二次世界大戦という結末を迎えることとなる…。
話題
- 物語のラスト、唐突に挿入される鯉の話は史実でも残っている逸話の一つで、それ以前の回で登場していた時に鯉の逸話を把握している視聴者もいたが、まさか最後のシーンになるとは思っていなかったと驚いていた(無論例のキンカン頭は一切関係がない)。
- 物語の最終盤で家康たちが見る方角に未来の東京が映っていたことから、過去・現在・未来は連続しているというメッセージが込められている。一方で、前述の茶々が最後に残した台詞は戦国時代の終わりを示すと同時に現在の日本を憂える台詞ともなっている(実際に宮本武蔵は泰平の世となっても五輪の書の地之巻で「兵法とは戦以外の場所においても他人に勝るため」、風の巻では剣術で実戦的な面が薄れている事への憂いが記されており彼女の台詞をある意味で後世に教訓として残している)。
- 上記のラストから、『平清盛』の最終回を想起した視聴者もいた模様。また、『平清盛』で清盛役を演じた松山ケンイチ氏は大坂の陣終結後に『清盛』との関連性を示唆する台詞を語っている。
- 南光坊天海を演じていたのは前作『鎌倉殿の13人』の主役北条義時を演じていた小栗旬であり、最終回一番のサプライズ出演となった。
- これは前作の最終回で家康が登場した事への返礼ともいえるシーンとなっており、更に『源氏物語』も一緒に登場させて次回大河へエールを送った。
- 一方、天海が源頼朝を本に語られるような聖人君子か疑っている場面を見て、『鎌倉殿』から視聴を続けている武衛(『鎌倉殿』におけるファン、クラスタの意)達は笑いを隠せず、またしても何も知らないところで頼朝公の悪い話が蒸し返された。
- ついにはこれまで明智光秀説、またはその息子の明智秀満説が語られる南光坊天海に、新たに北条義時説、または義時転生説を追加する視聴者まで現れる羽目に。
- なお、最終回放送の翌週24日には、前年の例に漏れず、X上にて「どうする家康49回」なる集団幻覚が見られた。
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大河ドラマ最終回
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