経歴
ポジションは投手、右投げ右打ち。
幼少期に両親が離婚し母方の「鍬原」姓に。「鍬原」姓は日本全国におよそ60人しかいない珍名字である。
小学校の頃に野球を始め、中学卒業後福井県の北陸高校へ進学。高校時代の投手成績が良好であった事から、硬式野球部の監督の勧めで中央大学へ特待生として進学した。
2017年オフのドラフト会議にて読売ジャイアンツから外れ1位指名を受けNPB入り。プロ1年目・2018年は大学時代と同じ先発起用で6月14日の対福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初白星を挙げたが、翌2019年からは中継ぎ登板に専念している。
故障持ちでシーズン通して1軍に帯同したことは無く、2020年には右肘の骨折のため手術後の翌2021・22年は一時期育成契約となっていた。その2022年は自己最多の49登板・13ホールドを記録したが、2023年は1軍登板5試合のみでシーズン終了後戦力外となり退団。程なくして福岡ソフトバンクホークスと育成契約を交わした。