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ペリー

ぺりー

ペリーはヨーロッパ系(アメリカ系)の人名。
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曖昧さ回避

人名


キャラクター


海軍一族

 この一族のもととなるのはクリストファー・レイモンド・ペリーという人物である。この人物は大英帝国植民地であったニューポート(現在アメリカロードアイランド州)にて出生。母親に関してはかなりな有名人の血をひいていたようである。
 この人物はアメリカ独立戦争の際、私掠船(ある国より敵国の船から略奪することを許可された船舶、海賊とは異なる)の乗組員(民兵)として従事した。なお、2度敵国にとらえられるがその際に夫人とであった。1799年にアメリカ合衆国の海軍としてその息子、オリバー・ハザード・ペリーとともにフリゲートに乗り込み、戦績を挙げたとされる。なお、当人は2年後引退し、その17年後に死去。
 この人物の息子は5名存在し、そのすべてが海軍将校となった。上に上げた人物以外にはマシュー・カルブレイス・ペリーが日本では有名である。また、娘が3名存在し、1名は未婚だったものの、2名はウィリアム・バトラー(海軍軍医、息子マシュー・カルブレイス・バトラーアメリカ陸軍に行き、少将にまでなったのち上院議員)、ジョージ・ワシントン・ロジャース・シニア(海軍大尉、息子は海軍中佐ジョージ・ワシントン・ロジャースおよび海軍少将で太平洋艦隊最高司令官のクリストファー・レイモンド・ペリー・ロジャース)に嫁いだ。
 この人物の息子であるオリバー・ハザード・ペリーは、米英戦争(1812年から1814年にかけて行われたアメリカ合衆国対イギリス、そのの植民地カナダによるインディアンの代理戦争)のエリー湖の戦い(オハイオ州湖岸プット・イン・ベイ近くで戦われた水上戦、この戦いではアメリカ軍はイギリス軍の艦艇6隻を捕獲、これによりアメリカはデトロイトを取り戻し、エリー湖の制水権を回復)で勝利したためエリー湖の英雄と呼ばれている。しかし、この人物は1819年に病死した。なお、この人物の名前はペンシルベニア州の郡名(1820年命名)となったり、ミサイルフリゲートネームシップ(1975年建造開始)になったりしている。
 この人物の弟にあたるマシュー・カルブレイス・ペリーは、父親の3番目の息子とも5番目の息子とも言われている。アメリカ海軍大佐または代将。この人物の詳細は上記通り長くなるためマシュー・ペリーにて執筆予定。

参照項目

wikipediaマシュー・ペリーのリンク先の記事、具体的にはここここを中心に記述。

関連タグ

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黒船 不平等条約

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