注意事項
- 本ウマ娘はアニメオリジナルウマ娘だが、後述するとおり、作品内においては特定の競走馬に相当する立ち位置を与えられている。 二次創作にあたっては、モデルとなった実在の競走馬やその関係者に対して配慮することを心掛けられたい。
- 応援してくださっているファンの皆さまにご注意いただきたいこと - ウマ娘プロジェクト
- 「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作のガイドライン - ウマ娘プロジェクト
概要
CV:不明(森なな子氏が有力)
ペリースチームは、劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』に登場するアニメオリジナルウマ娘(モブウマ娘)である。名前の由来はモデルになったクロフネの由来である「黒船」を率いた海軍軍人・ペリーからと思われ、勝負服のモチーフにも当時のアメリカ海軍将校の制服の意匠が取り込まれている。
予告映像で、新聞で『最強世代来たる!』の見出しで、アグネスタキオンとジャングルポケットと共に、「黒船来航 ペリースチーム」の二つ名で取り上げられていた。
競走馬『クロフネ』
記録を残した。
記憶を刻んだ。
- JRAヒーロー列伝 No.52 クロフネ より
モデル馬は2001年のNHKマイルカップを制覇、その後秋にダートに転向、ジャパンカップダートでレコード勝ちを納めたクロフネ。
2001年には日本ダービーがはじめて外国産馬にも開放される予定となっており、オーナーの金子真人氏は本馬に「開放初年度のダービーを勝って欲しい」という願いを込め、1853年に浦賀へ来港し日本に開国を迫ったマシュー・カルブレイス・ペリー率いるアメリカ艦隊の通称「黒船」に由来し、『クロフネ』と名付けた。
泰平の 眠りを覚まし 上喜撰
たった四杯で 夜も眠れず
(江戸末期、浦賀沖に現れた黒船を指して流行した狂歌。のちに産駒スリープレスナイトの馬名にも繋がる)
松田国英厩舎に入厩し、2000年10月にデビューを果たすが、新馬戦は敗北。しかし2戦目はきっちりと勝ち初勝利。
3戦目の500万下(現1勝クラス)のエリカ賞では芝2000mのレコードタイムで圧勝。クラシック候補として名乗りを上げた。
4戦目は初重賞となるGⅢのラジオたんぱ杯3歳ステークス(現GⅠ・ホープフルステークス)。クロフネはエリカ賞の圧勝から1番人気に推されたが、早仕掛けのまくり戦法にも拘らず上がり最速の34.1という数字を叩き出したアグネスタキオンに完敗。2着のジャングルポケットに続く3着に終わり、自身が持つ2000mのレコードも塗り替えられてしまった。
年が明けて2001年。馬齢表記が変更となり、3歳クラシックシーズンとなったクロフネは共同通信杯からの始動を予定していたが、軽い骨瘤が見つかって回避し、毎日杯から始動。5馬身差を付ける圧勝で重賞を初制覇した。これで収得賞金を十分に持ったクロフネだが、当時の皐月賞はまだ外国産馬の出走が認められておらず、皐月賞への出走は叶わなかった。
ここで松田師は種牡馬としての価値を高めるべく、NHKマイルカップから日本ダービーへと向かうローテーションを選択。後に『松国ローテ』という通称で呼ばれるローテーションである。このローテーションはダービーを意識したものであり、東京競馬場のコース形態に慣れさせるという目的もあった。
前哨戦として迎えたNHKマイルカップでは武豊を鞍上に迎え、直線でグラスエイコウオーを半馬身で差し切って勝利。ダービー制覇へと弾みを付けた。
迎えた日本ダービーでは、最大の敵と看做されていたアグネスタキオンが皐月賞を最後に屈腱炎で引退。『幻の三冠馬』がターフから去ったことにより、ジャングルポケットを筆頭とする皐月賞上位組対クロフネという構図となり、クロフネは単勝オッズ3倍の2番人気に推された。
外国産馬に閉ざされていた扉をこじ開けるべくダービーへと挑むが、重馬場にも拘らず大逃げを打ったテイエムサウスポーが作り出した1000m58.4のハイペースに惑わされたか、直線でダンツフレームを追い込みにかかるが、直線で伸びることが出来ず、外から一気に抜き去りにきたジャングルポケットが優勝。クロフネは5着に終わった。
夏場は休養に充て、秋は神戸新聞杯から再始動し3着に入り込む。…しかし、外国産馬は2着以内に入れなければ優先出走権は発生しないため、クラシックレース最後の一冠・菊花賞には挑めなかった。
そこで、陣営は狙いを古馬混合の中距離レース天皇賞(秋)に定めるのだが、直前になって収得賞金で上回っていたアグネスデジタルが急遽出走を表明。2枠しか無い外国産馬の出走枠をメイショウドトウとアグネスデジタルによって埋められてしまった。これには陣営も動揺し、一部の競馬ファンからは「中距離レース二強のテイエムオペラオーとメイショウドトウに挑むクロフネが見たかった!」「クロフネの可能性を摘むな!」と悲観する声や「アグネスデジタルは前年同様マイルチャンピオンシップを走っとけよ!」「ダートのマイラーが芝の中距離で走れるワケがないだろ!」という罵詈雑言まで飛ぶ始末。
…しかし、散々叩かれたその『変態』は世紀末覇王とそれに食らいついていた不屈の挑戦者を倒し、絶対王政を打破した『勇者』となるのだが、これはまた別のお話である。
さて、話はクロフネ陣営に戻る。
まさかの事態で秋天を弾かれてしまったクロフネだったが、陣営はこれを機に一度ダートを試すべく秋天前日のダートGⅢ武蔵野ステークスへ挑むことにした。
この出走は来年のフェブラリーステークスを見越したものとされていたが、いざ出走してみると2着に1.4秒差をつける圧勝。勝ち時計の「1:33.3」は1992年に稍重馬場で記録されたナリタハヤブサのレコードを時計が出にくい良馬場で1.2秒更新するというという衝撃のレコードであった。なお、この記録はダート1600mの日本レコードであり、2020年にアルクトスがMCS南部杯で破るまで19年間維持されていた。
この大勝利で優先出走権を得た陣営はジャパンカップ前日に開催される『砂のジャパンカップ』・ジャパンカップダートに出走を表明。
ここでもクロフネはその強さを十全に発揮。
3コーナーから抜け出しを図ると前年覇者・ウイングアローを7馬身置き去りにして圧勝。時計は「2:05.9」前年にウイングアローが記録したレコードを1.3秒更新し、当時のダート2100mの世界レコードとなった。なお、この世界レコードは2012年にアルゼンチンで破られるが、日本レコードでは未だに破られていない。
この2戦の圧勝劇は海外にも伝わり、アメリカでは『日本には「クロフネ」という白いセクレタリアトが居る。』とその強さをかの国民的名馬になぞらえて称えていた。
…しかし、翌年。フェブラリーSへ向けての調整の最中にクロフネは故障を発生。検査の結果右前肢に屈腱炎を発生していることが判明した。
フェブラリーSをステップに予定していた海外遠征は取りやめとなり、12月26日に引退を表明した。
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入りし、初年度産駒からフサイチリシャールが朝日杯FSを制覇するなど順調な滑り出しを見せ、種牡馬供用開始から5年後にはリーディングサイアーのトップ10に定着するなど安定した成績を残した。
特に活躍馬は牝馬が多く、ウマ娘でもお馴染みのカレンチャンやスリープレスナイト、ホエールキャプチャなど数多くの名牝が生まれた。
障害競走では10年に一度の名馬アップトゥデイトが登場し親譲りの白い馬体で障害界を騒がせたが、翌年に100年に一度の名馬オジュウチョウサンが登場すると大盛り上がりした直接対決を経て世間に障害界を広く認知させた。
直近では史上初の白毛のGⅠホースとなった『純白のヒロイン』・ソダシを輩出するなど、長きにわたって種牡馬として活躍し続けたが、2019年頃から体調を崩し始め、翌年には種牡馬を引退。以後は功労馬として過ごしていたが、2021年1月17日に老衰で永眠した。23歳であった。
唯一の心残りは後継種牡馬の少なさだが、それでも牝系を通じてクロフネの血は残ってゆくことだろう。
余談
- クロフネ→黒船→ペリー提督という連想ゲームからこの名前が導き出されたわけだが、どう言うわけかペリーの娘のうちの一人が後にアメリカ三冠レース最後の一冠ベルモントステークスの由来でもあるベルモント氏と結婚し、アメリカ競馬界に名を残すことになる。
- なおクロフネ産駒にはそのものズバリ、ペリーというドストレートな名前の馬(母父メジロライアン)もいた上、キャプテンペリー(母父ネオユニヴァース)というのもいた。
- クロフネからのペリーと黒船というド直球のネーミングから、ネット上では早くもペリースチームが「カァイコクシィテクダサァイヨォ~~」と何かを懇願するネタが散見している。
- また劇場版公開前には、クロフネの娘であるカレンチャンが登場し、ペリースチームに運命的な何かを感じてレースを応援する、あるいは2人で何かしらの絡みがあるのではないかと考察されていた。
- 既にアグネスデジタルの口からその存在が示唆されていたが、高知競馬にはそれこそ黒船賞というレースがあり、今後同郷の志士坂本龍馬の縁からハルウララとも絡みが生産される・・・かもしれない・・・