概要
日本史の幕末期に活躍した志士。生前は庶民の間では無名に近かったが、現在では日本史上屈指の人気のある偉人として有名である。
史実の龍馬
天保6年11月15日(1836年1月3日) ~ 慶応3年11月15日(1867年12月10日)
龍馬は幼名からの通り名で、諱は直陰(後に直柔)。
また脱藩中に用いた変名には才谷梅太郎もある。
通り名の「龍馬」の『龍』が「りゅう」ではなく「りょう」と読むため、読みがわかりやすいように手紙には「良馬」と書かれたものがある。また、「りゅうめ」とも呼ばれていたようで、西郷隆盛の側近が「西郷先生は『りうめ』と呼んでおられました」と証言している。
土佐(現在の高知県)の郷士の家に次男として生まれた。生家は裕福な家庭で、祖先が郷士株を得て興した家である。母親が龍が天を飛ぶ瑞夢を見て龍馬と名付けられた。
幼少の頃は気弱な少年であったといわれている。そのため、龍馬を題材とした作品では、「弱虫」「泣き虫」「寝小便たれ」といった幼少時の気弱なイメージを直接描写していることが多い。こうした性格に拍車をかけることとなった原因が、寺子屋に通う同級生からのいじめや母親の死であるという描写がなされている。
しかし、姉・乙女のスパルタ的教育により、龍馬は性格もみるみる変わり、剣術の腕も上達した。
嘉永6年(1853年)江戸に遊学した際、黒船来航を目の当たりにした。一時は土佐勤王党に加わったが、文久2年(1862年)土佐藩を脱藩。福井藩主・松平春嶽に目を掛けられる。
翌年から勝海舟の下で海運力と海軍力を学んだ。慶応元年(1865年)貿易会社と政治組織を兼ねた社中(通称:亀山社中)が薩摩藩加護下で結成されると後に深く関わり、リーダー的存在となる。イギリスのジャーディン・マセソン商会の長崎代理店を営むトーマス・グラバーらと親交を深め、多くの取引を行った。
その後、犬猿の仲だった長州藩(山口)と薩摩藩(鹿児島)の仲介を務め、慶応2年(1866年)に薩長同盟を成立。
慶応3年(1867年)には土佐藩上士、後藤象二郎、福岡孝弟の画策で海援隊が結成され、才谷梅太郎名義で隊長に任命される。主な隊士は海軍塾・社中時代からの同志たちである。
『船中八策』『新政府綱領八策』をまとめあげ、後藤象二郎を通じて、幕府から朝廷へ政治主権を返上させる大政奉還の成立に尽力したと言われているが、これは後世の創作であり事実ではない(船中八策は上田藩士・赤松小三郎が松平春嶽に提出した建白書の内容のほぼ丸パクリであることが現在は判明している)。大政奉還成立の1ヶ月後の慶応3年(1867年)11月15日に京都の近江屋(近江屋事件)で陸援隊隊長・中岡慎太郎とともに志半ばにして暗殺された。奇しくもその日は龍馬の誕生日であった。
その後、遺体は海援隊隊士や親交の深かった者たちにより、現京都府にある霊山(霊山護国神社)に葬られ、共にこの世を去った盟友・中岡慎太郎と並んで眠っている。
墓碑は木戸孝允によって揮毫された。また、高知県護国神社や靖国神社にも祀られている。
暗殺の黒幕は?
当時は新撰組が実行犯ではないかと囁かれていた。しかしそれは討幕派が新選組の悪評を高める為の情報操作であった可能性が高くなっており実際に暗殺したのは京都見廻組と見られている。新撰組と手柄争いをしていた見廻組の単独犯行説もあるが、大政奉還に強硬に反対していた京都守護職・松平容保(あるいは容保の弟で京都所司代の松平定敬)が龍馬暗殺指令を出したという説が現在では有力視されている。
あくまでも武力による討幕を望んでいた西郷隆盛や大久保利通が黒幕であったのではないかという説もある。
事実、必要以上の犠牲を望まなかった龍馬の後押しが原因で大政奉還を宣言されて幕府の消滅が確定された事で、倒幕の大義自体が失われてしまい、今後は旧幕府と有力諸藩が話し合って政局にあたるという流れになり、更にはすでに発布された「王政復古の大号令」も撤回されそうになった結果、強引にでも倒幕を進めようとした西郷らは、薩摩派の浪人達に江戸を始めとする関東各地での破壊や殺人、略奪、狼藉といった悪行を実行させ、幕府側を挑発する策に出ており、それが戊辰戦争の引き金となってまでいる。
ただし、有識者からはこの説に関しては否定されているが(龍馬の『船中八策』の内容を西郷らが知ったのが龍馬暗殺後であること、それ以前に、薩長同盟の立役者であることと現在の人気ゆえに勘違いされがちだが、当時の龍馬の立場は飽くまで脱藩浪士および商人であり、自分からおいそれと家老クラスや藩主クラスに目通りできるような立場になく、全体的な政治への影響力は然程なかったといえることなどから)、西郷達が全くの無関係であるという決定的な証拠が無いのも事実である。
また、平和的な幕府打倒を目指していた龍馬と武力討幕を目指していた薩摩藩・長州藩との対立が抜き差しならぬところまで来た結果、薩摩藩が幕府に情報を流したのではないかという説もささやかれている。
龍馬の考えは当時においては急進的なところもあり(上記の通り赤松小三郎の案のまんま受け売りでしかないが)、いずれにせよ誰から狙われてもおかしくなかった危険人物という立場となってしまったともいえるのは皮肉である。
評価
存命中の世間では無名に等しく、死後もしばらく注目されることはなかった。
幕府、朝廷、薩長などの既存の政治勢力に属さず、権力志向を持たない自由人であり、裏方で奔走していたため、知る人ぞ知る人物とされていた。…とも言われるが、中岡は三条実美ら七卿と共に活動をしていることから公家間での名声が高いのであり、龍馬は主に薩摩藩や越前藩などを起点に行動していることから公家間での名声は中岡より劣るものの、龍馬は当時から豪傑・志士としての呼び声が高く、その名は志を同じくする志士たちや有力者の間では知られていた。事実、当時の土佐藩藩主山内豊範の日記に名が記されていたり、福井藩16代藩主松平春嶽に「坂本龍馬氏は土州藩士にして国事の為に日夜奔走して頗る尽力せしは衆庶の知る所なり」と評されており中岡と遜色ない評価を得ている。まさに2人揃って土佐の両翼(翔天隊)であり、浪士の巨魁であった。また、維新後注目を浴びなかったのは吉田松陰や高杉晋作ら他の志士たちも同じであり、維新の混乱が落ち着いた明治15年頃を境に彼らの顕彰活動が本格化し、龍馬は武市らとともに明治以前に亡くなった者たちの中では最高位にあたる正四位を贈位された。それ以前には、明治四年に元海援隊隊士で甥の高松太郎が朝廷から龍馬の跡目相続と永世十五人扶持を賜っている。
明治16年(1883年)、坂崎紫瀾の新聞小説『汗血千里の駒』の評判が巷間で急速に高まり、維新の偉人として一躍庶民の間でもその知名度を上げた。日露戦争の時には、昭憲皇后の枕元に現れた白装束の武士の幽霊が、「日本は海軍を強化すべきだ」と告げたと水戸藩(現茨城県)出身の香川敬三が聞き、土佐出身の宮内大臣・田中光顕(土佐勤王党の生き残り)が持っていた写真によってそれが龍馬だとわかった、という噂が新聞で取り上げられさらに名が広まった。また、海援隊の資産等は土佐藩から岩崎弥太郎へ引き継がれ、三菱グループの原型となった。そして、戦後昭和に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』をはじめとする多くの創作物が出され、現在知られている英雄・龍馬の人物像ができあがった。
このような経緯もあってか「悲劇的な最期」「若くして死ぬ」など数多の条件を満たしているのにもかかわらず生存説がほとんど唱えられていない珍しい偉人となっている。
一時期、「生き延びて岩倉具視の手引きでアメリカに亡命し、『ルマン』という商人としてアメリカで悠々自適な余生を送った」という説がインターネット上に流布していたが、『ルマン』の証拠写真として掲示されていた画像が、龍馬と顔立ちが似ている中年の日本人男性の顔を、複数枚のアメリカ人の壮年の男性の写真の上に貼り付けた悪質なコラージュ画像であることが看破され、その説は立ち消えとなった。
現在では「幕末の英雄」の代表格として、後世の創作も手伝って、多くの日本人が知っている教科書に載る有名な偉人の一人である。
しかし近年の動きとして、教科書の改訂に合わせ、坂本龍馬を日本史の教科書の特記事項から外そうとする動きが出てきている。
龍馬のみならず、歴史に与えた影響が少ない人物が教科書から消える可能性が示唆されていた。
そもそも龍馬は歴史の表舞台で活躍した人物ではないうえに若くして暗殺されてしまったため、明らかになっている偉業が少ない。
さらに後世の創作による話も多いため、史実とはかけ離れた龍馬のイメージが独り歩きしてしまっている現状となっている。
とはいえ、昨今この教科書問題を聞き齧った層がネット上で言っているような「本当は何もしていないだけの素浪人」というのも大きな間違いである。
少なくとも薩長同盟の仲立ちに立っていたこと等は多くの資料が残されており(龍馬以外にも活動していた人物が複数おり、「中心人物で西郷たちに発破をかけた」といった創作の誇張が誤っている)、龍馬の功績を否定的に見ている学者も全てを否定しているわけではないので注意。
逸話
新しい物好きで、最新式の拳銃を使用したり、ブーツを履いた所水虫にかかってしまったといわれているが、水虫はその前から存在している病気なのでこれは誤りである。
また妻・お龍と九州の霧島へ"日本最初"と言える新婚旅行をした地図の記録が残されている(指輪の交換等は江戸時代からあったりする)。(しかし、実際には小松帯刀夫妻などが龍馬以前に夫婦での旅行を行っているため日本初とは言い切れない。)
この折に、天孫降臨伝説の地である高千穂峰(宮崎県/鹿児島県の県境の霊峰)を訪れ、お龍と共に山頂に突き刺して祀られる天逆鉾を引き抜いてしまったという。この事件は龍馬が姉に宛てた手紙に記され、現在も書簡は記念館で保管されている。
当時としては大柄な体格であり(幕末の男性の平均身長は、155cm程度である)、遺された紋服からは173cm以上、体重は80kg以上と推定される。ちなみに龍馬の姉・乙女は、身長は175cm、体重は100キロを超えたと言われており、龍馬の家系は遺伝的に身体の大きな家系だった事が窺える。
今に残る肖像写真からは、前頭部から後退するタイプの薄毛であり、また髪質は縮毛、今で言う天然パーマだったことが窺える。
北辰一刀流の皆伝を受けた剣の達人というイメージが強いが、現存する北辰一刀流の免許はなぎなたのものしかない。これは、同流派では最初に授けられる基本のものであり、本当に皆伝を受けたのか、研究者の間では疑問視されていた。
しかし、2016年になって、坂本龍馬記念館が収蔵品を貸し出した際の目録に「北辰一刀流免許皆伝書」の文字が発見され、皆伝を受けていた可能性が高くなった。
『世の人は 我を何とも 言わば言え 我為す事は 我のみぞ知る』という句を詠んだとも云われおり、これは「他人から何と言われようと、自分の信じる事を為すのみ。そしてそれは自分だけが知っていればいい」という、解釈によっては独善的・独りよがりとも取られかねない言葉である。
しかし、西欧列強による支配から日本を守り抜くという大義のため、勤皇派のみならず佐幕派とも友好な関係を築くべく奔走し、そしてそれゆえに両派から命を狙われるという皮肉で過酷な現実と直面して尚も意志を貫き通した、彼の壮絶ながらも痛快な生き様を知る人々にとっては、それが全くの誤解・杞憂であることは自明であろう。
関連人物
龍馬の師匠にして徳川慶喜と西郷隆盛を説得し大政奉還を為した功労者。
文久2年秋頃に龍馬が彼の教えに感服し弟子入りしたと言われる。勝は龍馬が自らを斬りに来たと勘違いしていたようである。また西郷隆盛との面識には彼の紹介があったためとも。
なお、犬に男の急所を噛まれた事があるため犬嫌いだった。だが無事だったようで愛人が4,5人と妊娠させた女性は8人以上いるとか。
維新後には職を失った元幕臣たちの為に私財を投げうってその自立の支援を行った。
元幕臣でありながら明治政府に出仕したり、個人的な借金を断ったせいか福沢諭吉からはほぼ一方的に敵視されていた。
勝海舟が大政奉還の功労者ならば彼は薩長同盟の功労者。あっちこっち飛び回って薩長同盟を成立に結び付けた。
また、龍馬が海援隊の利益で支援していた土佐脱藩浪士から為る陸援隊の隊長も務めていた。土佐藩藩主山内家と繋がりの深い公家、清華家(公家の中で摂家の次に高い家格)の三条家の衛士を務めた事もあり戦闘に関しては凄腕と思われる。
龍馬と一緒に暗殺された。発見時辛うじて息があり、彼によると実行犯は土佐弁を使っていたとのこと。
中級武家出身の超タカ派の長州藩維新志士。維新軍の一角、奇兵隊を組織し海戦では龍馬と共に軍艦で幕府軍と戦ったこともある。
龍馬とは江戸滞在中に出会ったとされている。龍馬が愛用していた22口径の拳銃は彼からのプレゼントで後の襲撃事件で龍馬の命を救った。
ただし、この襲撃事件の際に紛失してしまい龍馬自身両手に重傷を負ってしまい、左手の人差し指の屈伸が思うようにいかなくなった為に刀を万全に振ることは難しくなったと思われる。
その為、龍馬の戦闘に於ける最盛期はこの拳銃を貰ってから紛失するまでの間の期間と予測される。
薩摩藩の下級武家出身、後の維新三傑。
龍馬と共に薩摩藩に帰還した際に京都情勢を伝えた事が幕府薩摩合同の長州征伐の足並みを崩し後の薩長同盟への転機となった。また、桂小五郎(木戸孝允)と折合が付かず流れかけた薩長同盟は竜馬が立会人となり両者の折合をどうにか付けれたことで成立した。
スコットランドの貿易商人。
香港にヘッドオフィスを置くイギリスのロスチャイルド系ユダヤ財閥の一つジャーディン・マセソン商会に所属し、後に同社の長崎代理店・グラバー商会を設立した。維新を巡る動乱が活発になるにつれて近代の武器・弾薬を勢力問わず販売するようになる。龍馬とは海援隊が前身である亀山社中の頃から親交があり、倒幕派の薩長と積極的に取引して同藩士のイギリス渡航の手引きをするなど、明治維新の達成に大きく関わった。
坂本龍馬のあれこれ
- 高知には龍馬焼きという人形型の焼きカステラや龍馬という銘のお酒、龍馬空港、龍馬マラソン大会などやたらと龍馬に因んだ名前のものが多く、原付のナンバープレートにさえ竜馬のイラストが付く。いくら観光をメインにしているからとはいえ流石に龍馬一辺倒過ぎるのではないかとしばし、県民からそんな声が上がったりするほどである……。
- 龍馬の土佐脱藩の道のりなどは観光名所となっているが、その割と重要箇所であるはりまや橋は開発の過程で河は地下埋設されており歩道のインテリ用水路にレプリカが掛かっているだけである。その余りのショボさに「日本三大がっかり名所」として数えられる程である。――――まぁ、密会の場所が目立つ場所であるはずは無いのだが……人によっては、八幡宮前の橋をはりまや橋と間違える始末である。
- 郷士(下級武家)である彼の給料は今の価値に換算すると約年収150万円である。とんでもない薄給である。しかも維新活動は藩からの援助無しで行っていた。(藩の行動として維新を行っていた長州陣営は中々に袖の振りが良かったとのこと)
- 彼の頭はかなり毛根が死滅しかかっていた。梅毒に掛かっていたためと一部では言われているがデマ。彼の兄も毛根が壊滅的なことになっているので家系だろう。そもそも薄給の龍馬に遊ぶ金などない。
- 坂本家は元は商人の家であり、苗字帯刀が許され武士となった家系。商売上手なのも家系か。
- 大酒飲みの県で知られ酒の消費量日本一、結婚式に於ける酒の消費量の日本記録保持の土佐出身だが、龍馬自身は読書を好み、外で飲むことはあまりなかったという。オカネなかったしね!
創作の龍馬
龍馬を題材にした作品は文学・映像どちらも多岐にわたる。映画も戦前から多く制作された。
脇役で登場しても主人公と互いに影響し合う重要人物の立場が多い。
小説
竜馬がゆく
司馬遼太郎の長編小説『竜馬がゆく』が1962年に発表され、彼の代表作の一つとなっただけに留まらず、戦後期における龍馬像の典型イメージに多大なる影響を与えた。
本作では「坂本竜馬」表記が用いられており、定かではないがこれは作者自身が、実在した龍馬と区別する為に「竜」の字を用いたと発言したという説がある。
夢水清志郎の先祖・夢水清志郎左右衛門が活躍する『大江戸編』に才谷梅太郎として登場。江戸へ向かう道中で行き倒れになった教授を助けたのをきっかけに仲良くなり、しばらくともに行動する。教授が再び江戸へ旅立つと同時に別れ、そのまま今生の別れとなった。
龍馬の死を勝海舟から知らされた教授はしばらく部屋にこもり、食べ物にも手がつかないほどひどくふさぎ込んだ。教授曰く、『最高の友だち』。
漫画
お~い!竜馬
『お〜い!竜馬』は武田鉄矢原作、小山ゆう作画でアニメ化もされた。CV.少年期は高山みなみ、青年期は関俊彦。
幼少期から物語が進み、史実とはかなり異なるフィクションが多数織り交ぜられている。
また、小山ゆう作の「あずみ2」は幕末を描いており、龍馬をはじめとする幕末の志士たちが同じデザインで出演していた。ちなみに龍馬暗殺についてはあとがきで大久保黒幕説に言及している。このためか大久保が龍馬と最も相容れね存在に描かれている。
JIN -仁-
(画像はドラマ版)
2009年と2011年にドラマ化された漫画『JIN -仁-』にも、内野聖陽演ずる龍馬が登場している。ここでの龍馬は豪快で明るく、不屈の熱血漢で女好きである。
出会った当初は仁の正体を訝しがるが、医師として懸命な仁の姿に共感を覚え、次第に唯一無二の友となる。仁と出会った事で、『日本を変えよう』と決意し始める。
『南方仁がおれば坂本龍馬は死なん!』と公言する程、仁の医術に絶大な信頼を寄せている。
CV:加瀬康之
お人好しな優男といえるキャラで、ある事情から最大の特徴ともいえる土佐弁を封印している。
詳しくは該当記事にて。
(画像はドラマ版)
幕末から現代へとタイムスリップしてきたうちの1人。すでに5年滞在しており、楢崎梅太郎と名乗ってライターの仕事をしている。
作者曰く「司馬遼太郎やお〜い竜馬とも違う竜馬像を目指した(要出典)」。
主人公たちの所属する「イフの城」の工作員「D・H(ドラゴン・ホース)」として登場。
本作では近江屋事件を生き延びていたという設定で、額にはその際の古傷が刻まれている。なお事件の黒幕はグラバーが所属していたフリーメイソンとされており、今なお命を狙われている模様。
ゲーム
CV:鈴村健一
演者は小野大輔。裏語薄桜鬼ではサブキャラだったが新改では攻略キャラに。
幕末志士の恋愛事情
ケータイの乙女ゲーム『幕末志士の恋愛事情』に登場するメインキャラ。
主人公を親身に心配してくれる、飄々とした天真爛漫なムードメーカー。
幕末Rock
CV:谷山紀章
2014年にマーベラスAQL(現株式会社マーベラス)から発売されたゲーム『幕末Rock』の主人公。詳しくは該当記事にて。
(画像上)
CV.千葉進歩。
ゲーム『イナズマイレブンGOクロノ・ストーン』に登場する、時空最強イレブンに必要な力の持ち主として円堂大介が挙げた人物の一人。
ここでの坂本龍馬は低身長でかなり太った体型で、新撰組に追いかけられた際には拳銃を使わずに腹で体当たりをしてひるませていた。なお肖像写真は史実通りに近い姿であるが、大政奉還の2年前に撮られたものであるため、その間に激太りしてしまった可能性がある。
ゲーム『モンスターストライク』に登場するキャラクター。
アニメ版においても主人公のパートナーとして活躍する。
詳しくは該当記事にて。
CV:吉野裕行
乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはSRでの登場。ドラマCDにも登場する。
異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。
CV:大塚芳忠(リメイク版)
尾手城に囚われており、おぼろ丸が密命を受けて救出するために侵入する。
救出後はパーティメンバーとなって一緒に行動する。戦闘ではおぼろ丸ほど技は多彩ではないものの、銃を使ったサポートが非常に強力。
おぼろ丸の高速ダッシュについてくる、罠にはまって6階分ほど落下して地面に叩き付けられても「いたた」で済ますなどかなり強靭な体力の持ち主。
ちなみに救出せずボスへ直行した場合は自力で脱出してくる。おぼろ丸いらんかったのでは……。
ボス撃破後はおぼろ丸を海援隊にスカウトしてくる。また、0人切りを達成すると愛刀「ヨシユキ」を譲ってくれる。
龍が如く 維新!
CV:黒田崇矢
『龍が如く維新!』の主人公。幼い頃、家を焼かれ両親を失った経験があり、その際に武市半平太に助けられてからは彼を命の恩人として慕うようになり、「兄弟」の関係となっている。
詳しくは坂本龍馬(龍が如く)にて。
Rise of the Ronin
CV:武内駿輔
ゲーム『RiseoftheRonin』の主要人物。
詳しくは坂本龍馬(ライズオブローニン)にて。
ドラマ
幕末を舞台とした作品においてレギュラー、名脇役として多くの俳優が演じてきた。
主役として描かれたのは1968年の『竜馬がゆく』(演:北大路欣也)と2010年の『龍馬伝』の二作品である。
龍馬伝で主役を務めた福山雅治が演ずる龍馬は様々な辛酸を経験して成長し、国を変えようと大志を抱き、それをライバル(作中の設定)岩崎弥太郎の視点から追っていくというものである。日本のみならず台湾やタイ、ベトナムでも人気を博した。
また、脇役としては2004年の『新選組!』(演:江口洋介)に新撰組局長・近藤勇の友人として登場し、佐幕派と倒幕派という対立軸はあるものの武力によらぬ幕府の「大政奉還」を目指す龍馬の護衛(暗殺はされるが)に新選組がつくという新解釈がなされた。
その他にも1974年の『勝海舟』、1977年の『花神』、1990年の『飛ぶが如く』、2008年の『篤姫』、2015年の『花燃ゆ』、2013年の『八重の桜』(ナレーションによって「土佐の脱藩浪士」と呼ばれ、後ろ姿のみ一瞬登場)、2018年の「西郷どん」に登場している。
一方で、坂本龍馬を登場させるとそれによって主役が霞むと判断された場合や、また龍馬とドラマの主人公との接点がない場合は龍馬の存在がオミットされる。例としては1963年の「花の生涯」(主役は井伊直弼)や1980年の「獅子の時代」(主人公は架空の薩摩藩士と会津藩士。そもそもストーリーの開始時点は、龍馬暗殺の数ヶ月前にあたるパリ万国博覧会からである)、1998年の「徳川慶喜」(坂東八十助演じる勝海舟が弟子の龍馬の名を出そうとするが、機嫌を悪くした慶喜から興味なさそうにさえぎられ、ついに龍馬の影も形もないまま戊辰戦争まで進んだ。もっとも、当時から「薩長同盟に龍馬は関与していなかった」「大政奉還も龍馬の発案ではなかった」という新説を主張する学者がおり、本作は司馬遼太郎の作品を原作としていながらも、「竜馬がゆく」での龍馬の活躍を排除し、新しい説を採用していたものとみられる。とはいえ、本来登場してもおかしくないはずの龍馬を登場させなかったことで視聴率が予想以上にとれなかったことから、坂本龍馬が主人公の生涯に少したりとも関わっているであろう場合は、チョイ役同然の扱いでも登場させることにしたらしい)、2021年の「青天を衝け」(主役は渋沢栄一で、薩長同盟はナレーションで触れられたのみ。渋沢と龍馬に接点がないため)である。
特撮作品『仮面ライダーゴースト』より、ゴーストが変身する形態の一つとして、坂本龍馬の魂が憑依した形態「リョウマ魂」が登場する。
作中では主人公・槙野万太郎から「天狗」と呼ばれている。
万太郎が5歳の頃(1867年)、一族の宴に姿を見せなかったことで親戚連中からさんざん蔑まれ、存在を否定する言葉すらかけられてやさぐれてしまい、母の慰めの言葉も聞かず家を飛び出した万太郎の前にフラリと現れる。そして万太郎の「生まれてこなければよかった」という言葉を聞き「いらん命らあ、一つもない」と万太郎を慰める。
史実では1867年の初頭には下関にいたとされ、本作でも同僚に「下関にいるはずですきに」と若干のメタ発言をされている。
本作品の主人公のモデル・牧野富太郎は青年時代に坂本家の遺族と交流を持っていたことがわかっており、本作はそれを採用してオリジナルの展開にしたものと思われる。
その他
CV:小野大輔(※薄桜鬼でも龍馬を担当)
慶応2年の京都を舞台とした9話に登場。時間遡行軍の襲撃により史実が変えられてしまい、薩摩藩邸に救援を求めるはずの三吉は昏倒、龍馬はひとり捕り方たちに追い詰められてしまう。しかし陸奥守吉行により助けられ、薩摩藩邸へと逃れた。
佩刀している刀を「土佐ではちっくと知られた名刀」と自慢しながらも、「時代は拳銃」と明るく主張する。気さくな人柄らしく、陸奥守吉行が同じ土佐弁を喋る「土佐もん」と知った時は喜びをあらわにしていた。
なお陸奥守の中の人も高知出身で、土佐弁監修もつとめている。
「特命調査文久土佐藩」を原作とした「維伝 朧の志士たち」に登場。
演者は岡田達也。岡田は演劇集団キャラメルボックスの作品「また逢おうと竜馬は言った」にて龍馬を演じており、キャスト発表時に話題を呼んだ。
冒頭で黒船を目の当たりにし、武市や以蔵をはじめとした同志と共に日ノ本を守ろうと決意するが、武市と以蔵が切腹あるいは処刑された事を手紙で知らされ慟哭。「もし二人が死ななかったら、あの時をやり直せたら」と考えた瞬間、物語は動き出す。
歴史が改変された文久三年、土佐勤皇党が恐怖政治を敷く土佐藩に突如として現れ、刀剣男士と知り合う。坂本家の家宝であった陸奥守吉行と肥前忠広には「他人のような気がせん」と告げ、特に陸奥守については「むっさん」と呼んで親しくする。
客席に向かって元気よく挨拶したり、追手から逃げる時に観客からあれこれ借りて刀を止めたり(大千秋楽では元気玉を集めて真剣白刃取り)と、コミカルな場面が多い。
一方で以蔵が変わり果てた異形の姿になっても「以蔵さんは以蔵さん」「以蔵さんは昔からわしの頼みは断らん」と言いきって「ぼでえがあど」を頼み、立ちはだかる武市を尚も説得しようとするなど、誠実な人となりを見せた。しかし……
CV:小野大輔
大まかな部分は史実とは変更なし。アクダーマ一行、トキオとカレンのダイナモンド争奪戦に巻き込まれるような形で登場する。
余談だが、活撃/刀剣乱舞の龍馬と中の人が同じ。狙ったかどうかは不明だが、タイムボカン24なので狙った可能性は高い。
ちなみに小野大輔氏は高知県出身で、坂本龍馬を演じることが多い。彼が坂本龍馬役だった作品は、風雲幕末伝/剣豪ZERO/薄桜鬼/偉人アイドルプロジェクト歴sing♪/活撃 刀剣乱舞/タイムボカン 逆襲の三悪人/メットライフ生命「龍馬 meets MetLife」など
その他登場作品
- 大奥
- 竜馬がくる
- ねこねこ日本史 cv:小林ゆう
- 天翔の龍馬「もしも坂本龍馬が暗殺されずに生き残ったなら?」
- サムライガン(CV:佐々木望)
- 新撰組異聞PEACEMAKER(CV:江原正士)
- 陽だまりの樹
- まんが日本史(CV:若本規夫)
- ヨアケモノ
- 幕末機関説いろはにほへと(CV:山寺宏一)
- 幕末乱れ咲
- 幕末降臨伝ONI