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古高俊太郎

ふるたかしゅんたろう

古高俊太郎とは、幕末の攘夷派の志士。

概要

近江国栗太郡古高村(現・滋賀県守山市)出身。大津代官所の手代・古高周蔵の子。母は公家の広橋家家来の
・周蔵が山科毘沙門堂門跡に仕えたのに際し京都へ移住。変名・湯浅喜右衛門。諱は正順(まさより)。尊皇攘夷を唱える梅田雲浜の門を叩いている。
文久元年(1861年)、京都河原町四条上ル東で諸藩御用達・枡屋を継ぎ枡屋喜右衛門を名乗る。古道具、馬具を扱いながら早くから宮部鼎蔵らと交流し、有栖川宮との間をつなぐなど長州間者の大元締として情報活動と武器調達にあたった。
元治元年6月5日(1864年7月8日)、新選組に踏み込まれ捕縛される。
武器弾薬を押収され、諸藩浪士との書簡や血判書が発見された。今も現存する壬生屯所前川邸の蔵で局長・近藤勇、副長・土方歳三から直々に厳しい取調べを受けた。
2階から逆さ吊りにされ足の甲から五寸釘を打たれ、それが突き抜けた足の裏の釘に百目蝋燭を立てられ火をつけられる過酷な拷問を受け、自白。
その内容は八月十八日の政変後、京を追われた長州人らが6月下旬の強風の日を選んで御所に火を放ち佐幕派公卿の中川宮を幽閉し京都守護職の松平容保以下佐幕派大名を殺害し、天皇を長州へ連れ去ろうとするものだった。
すでに計画実行の志士が多数上洛、潜伏しており近々市中で同志の集会があることも判明。
これを阻止したのが池田屋事件である。
ただし池田屋事件は古高の拷問を受けての発言以外の客観的な証拠が乏しく、拷問から逃れるための捏造もしくは誇張の可能性がある。
古高は六角獄舎に収容されたが、7月20日(8月21日)に禁門の変の際に生じたどんどん焼けは京都市中を焼き尽くし獄舎近辺まで延焼。
火災に乗じて逃亡することを恐れた役人により、他の囚人とともに斬首となった。享年36。

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幕末

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