南光坊天海
なんこうぼうてんかい
生 没: 1536?~1643
出 身: ???(有力説として陸奥国)
主 君: 徳川家康
別 名: 南光坊、(諡号)慈眼大師、黒衣の宰相
徳川家に家康・秀忠・家光と三代にわたって仕えた天台宗の僧侶。黒衣の宰相とも呼ばれ、徳川政権の深部にまで携わりその力を発揮した。108歳という異例の長寿であったとされる。
その前半生については不明な点が多く、若くして隋風(ずいふう)と号して出家し、比叡山をはじめ畿内の大寺院を渡りながら天台宗をはじめとしたさまざまな学問を学んでいったという。
叡山が織田信長による焼き討ちに遭って以降は、武田信玄に招かれて甲斐国に転居し、さらにその後に上野国への転居を経て、武蔵国の無量寿寺北院(現在の喜多院)に転居して天海と号したといわれている。
家康と接触して懇意となったのは1608年頃とされ、折しも豊臣氏との対立を深めていた時期に当たる。
天海は風水や陰陽道にも通じでいたとされ、江戸城建築に際し、風水での地理的に最もエネルギーのある土地を見極めて江戸城の位置を決め、さらにそれに乗っ取り、江戸を風水的に強力なパワーを持った都市にすべく様々な手を打った都市計画を推進したとされる。
この説は専門家の支持を得ているわけではないが、仮に後述するように天海が光秀かその関係者だとしても、家康に本格的に接触するまで約20年の間があり、どこかの寺に身を寄せて生活基盤があったのなら、仏教や風水を学ぶ時間は取れたと思われる。
また家康の神号である東照大権現を決めたのも天海であるとされる。号を大明神とする案もあったが、天海が権現としたのは豊臣秀吉の神号が豊国大明神であり、その豊臣氏は滅亡の道をたどったため不吉だと進言したからだという。
そうした一方で大名たちなどへの赦免にも奔走し、多くの人物をとりなしてその名誉を復興させた。
家康に健康のために納豆を献上した。納豆は当時下賤な食べ物という扱いであったが、家康は天海の意を汲み取り、喜んで受け取った。
天海が名古屋で病気になり、江戸幕府は医者を派遣したが、道中で医者団を招くように無数の狐が現れ、狐火をともして道を照らした。
家康がまだ無名の僧であった天海と初めて出会った際、家康は天海の憚りない態度と言葉にすぐに畏れ入り、その様子に側近本多正信も驚いたという。
家光から柿を拝領すると、天海はそれを食べて種を丁寧に包んで懐に入れると「種を持ち帰り植えましょう」と言った。このとき家光は「桃栗三年柿八年という。100歳近い老人が何を…」と笑った。しかし数年後、家光に天海から柿が献上され、家光がどこの柿かと聞くと「先年拝領しました柿の種が実をつけました」と答えた。
天海は秀忠に対し「長命は粗食、正直、日湯、陀羅尼(お経)、時折ご下風あそばさるべし」、家光に対しては「気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれ」という助言を与えていた。
天海=明智光秀?説
天海自身、前半生があまりにも不透明であり、そもそも108歳という当時としてはあまりにも長すぎる寿命を鑑みると、天海という人物の怪しさが際立ってくる。
また以下のような事柄が、この異説を押す証拠として挙げられている。
●日光東照宮の屋根瓦に、明智の家紋である桔梗紋が多数使われている
●日光に明智平(あけちだいら)という地名が残っており、この地名の名付け親が天海であること
●二代将軍・秀忠の名前に光秀と同じ「秀」の文字が入っている(秀忠の年齢などを考えると秀吉からの可能性が高いが)
●光秀の家老・斎藤利三の娘が徳川家光の乳母(春日局)になったこと
●テレビ局の歴史特番で天海と光秀の筆跡を鑑定したところ、別々の局で別々の時期に行われた2回の鑑定でどちらも『筆跡に一定の類似性があり、本人もしくは極めて本人に近い人物(親類など)の可能性が高い』という鑑定が出たこと
●童謡『かごめかごめ』は『天海=明智光秀』という暗号であるという説の出現
…など、こうした近年の研究と歴史ブームに乗ってこの異説の勢力は拡大の一途をたどっている。
ただ、どの立証にも反論の余地が残るものが多く、決定打に欠けるため、いまだ有力説とは成り得ていない。
また、光秀の家臣で娘婿である明智秀満(佐馬助)とする説もある。
その謎の来歴から、時代小説など様々な創作で格好の題材とされている。
昨今の歴史ブ-ムで一般にも知られるようになったこの説だが、信憑性はともかく、少なくとも大正時代にはこの説が唱えられていたことが明らかになっている。
やはり「天海=明智光秀」説の影響が強く、そうした向きで扱う作品は多い。
表記は「天海」となっている場合が多い。
戦国無双シリーズ
戦国無双2で護衛武将として登場した。
また戦国無双3では、天海=明智光秀説を採用し山崎の戦い後に隠棲していた明智光秀が石田三成との関ヶ原の戦いにて迷う徳川家康を導き、家康の天下をつかむために関ヶ原に東軍として参戦した。
麒麟がくる
天海自身が直接登場したわけではないが、本作では山崎の戦いの後も光秀が生存していた可能性を匂わせる終わり方となっている(ちなみに、“黒衣の宰相”と呼ばれた天海の設定を反映してか、ラストシーンでの光秀と思しき人物は黒っぽい着物を着ていた)。
また、本能寺の変の直前に光秀は使者を介して徳川家康に「共に平らかな世を治めたい」とする文を送っており、こうした描写も「光秀=天海」説を想起させるものとなっている。
なお、同作の制作統括の落合将チーフプロデューサーは、この結末について「ラストシーンで登場したのが本当に光秀だったのかは視聴者のご想像にお任せする」と述べており、光秀が生存していたとする解釈で描いたのかどうかは明言を避けている。
どうする家康
演:小栗旬
こちらは光秀とは全くの別人という形で最終回に登場。
ちなみに、演者の小栗は前作『鎌倉殿の13人』で主役の北条義時を務めており、劇中でも「源頼朝は武士の鑑だと言われているが、実際にはどんな奴だったのかわからない」という、小栗が義時を演じていたことに絡めたネタが用意されていた。また、この台詞は作中で描かれた家康らの姿もまた脚色や誇張が加えられたもので、どこまでが本当なのかなど後代の人間には分からないという作品全体のテーマを示唆するものでもある。
ちなみに、このシーンで、小栗演じる天海は『吾妻鏡』と共に紫式部の『源氏物語』を代わる代わる手に取っており、次回作である『光る君へ』へのバトンタッチとしての一面も持つシーンとなった。
軍師黒田官兵衛伝
上記大河(とスピンオフ)に便乗してか、4巻で農民の槍衾に遭い死んだはずの明智光秀に瓜二つ、というか全く同じ外見で登場。
本人曰く「別人」であり、あまりに外見が光秀に生き写しの為、何度も落ち武者狩りに襲われている。
誰かさんのように冷静沈着で、戦術のみならず戦略にも優れた慧眼を有し、家康からも(半ば光秀だと思われつつも)全幅の信頼を置かれている。
真・女神転生Ⅳ
※一番左
第二次世界大戦中に日本を霊的側面から守るために、帝国陸軍が召喚した悪魔・必殺の霊的国防兵器その弐・英傑テンカイとして登場。
特撮怪人で有名なゲストデザイナー・篠原保氏によるデザインで、他の創作のものとは違い武蔵坊弁慶を思わせる僧兵の姿である。
続編『真・女神転生ⅣFINAL』には当初登場予定では無かったのだが、江戸の町の五色不動がシナリオに絡んでいたことから再登板となり、土居政之氏によりリデザインされた。
サクラ大戦
大正時代の帝都を騒がす「黒之巣会」を率いる天海僧正として登場。
戦極姫
明智光秀と同一人物の扱いを受けて登場。
婆裟羅シリーズ
婆裟羅1では本作のラスボス徳川家康が駆る超巨大浮遊要塞城のお供として、金地院崇伝と左右対称のオプションメカに乗って登場。3機のフォーメーションで苛烈な攻撃を仕掛けてくる。
1の過去の話となる婆裟羅2では織田信長に反旗を翻す主人公の1人、破戒僧・清瀧坊随風として登場。
センゴク
創作では珍しく改名する前の隋風名義&壮年の姿で登場。
フットワークが軽く様々な場所で光秀や家康と邂逅し彼らと禅問答を行っている。
光秀の二面性を見抜くなど、その見識や観察眼は光秀や家康をうならせるほど。
柳生忍法帖
かつて会津を支配していた豪族「芦名氏」の出身。幼名は「兵太郎」。
会津藩主・加藤明成に仕える武力集団「芦名衆」の頭領芦名銅伯と双子の兄弟であり、一方が傷付けばもう一方も同じ傷を負う特異体質を共有している。
漫画家せがわまさきにより上記の甲賀忍法帖ともどもコミカライズされており、2作品の天海はどちらも同じ容姿をしている。
龍が如く見参
本編における黒幕でラスボス。陰謀を張り巡らし自らの野心のために暗躍した悪党。
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