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明智光秀(信長の忍び)

こうそくつっこみでこ

戦国四コマギャグ漫画『信長の忍び』およびその派生作品の登場キャラクター。
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解説

声:立花慎之介

織田軍のツッコミ役兼土下座職人。その土下座は苦労続きの人生において磨き上げられたものであり、芸術的なまでに美しい。
丸顔と広いデコ、猫のようにパッチリとした目が特徴(仕官を断られた毛利元就に向け「信じてください!!この目を見てください!!」と食い下がった際には「怖い」と突っ込まれていた)。
基本的に生真面目で忍耐強い性格だが、何かと間が悪い上に真面目さゆえ一言余計な所があり、またおだてられると調子に乗りやすく、それらが原因となって痛い目を見ることがしばしばある。
不正や卑怯な事を好まず、謀反を起こした武将の事は毛嫌いしている(後述)。

『信長の忍び』

斎藤道三の秘蔵っ子(公式登場人物紹介より)。
道三が息子・斎藤義龍に反乱された際に道三の命を受け美濃国を脱出。各地を放浪したのち、織田信長の部下となった。
従兄妹であり信長の正室である帰蝶に惚れており、度々帰蝶にアプローチをかけては信長に折檻されている。
ボケが多すぎる織田軍では貴重な「ツッコミ担当」として重宝されているが、ボケに回ることも多々ある。

三枚目的な扱いの一方で軍事・政治の手腕に優れており、信長からは秀吉と共に自身の両翼として厚い信頼を寄せられている。
また火縄銃の達人であり、撃った弾を二十五間(45.5m)先の的に全弾命中させた腕前を見込まれて朝倉義景に召し抱えられた時代もあったが、鉄砲戦術を軽視していた義景からは曲芸扱いされ重用されず、織田家に来るまでは不遇な扱いを受けていた。この鉄砲の腕は金ヶ崎の退き口での真柄直隆との戦いで、彼に重傷を負わせ朝倉軍を撤退に追い込む布石となった。

後に「本能寺の変」を起こす事になるのだが、この史実に基づいて、

  • 「まだ12年前」(1570年時点で)
  • 「後の謀反人日本代表」
  • 「お前が言うな」「光秀(あなた)はもうしゃべらない方がいい」松永久秀に向かって「必ず謀反を起こす」と突っ込んだことや、朝倉景鏡が元主君の朝倉義景を切腹に追い込んだ件について「恩を忘れ主君を裏切りふい討ちで切腹に追いつめるなんて最低だ!!」と言い放ったことに対し)
などと、四コマの題名やナレーション部分で度々暗示のように書かれ、ネタとして突っ込まれている。

単行本13巻にて正妻・熙子が「信長の忍び」本編に初登場したが、千鳥助蔵からは、帰蝶に熱を上げる普段の光秀の姿から妻を持っていないものと思われていた始末だった。
しかし、輿入れ直前に疱瘡にかかり顔に痕の残ってしまった熙子を、代わりに送られてきた瓜二つの彼女の妹を替え玉であると見抜いて妻に迎えた昔話が描かれる・夫の戦費に充てるため、かつて貧しかった頃にしたように自身の髪を切って売ろうとする熙子を慌てて止める・戦に勝ち出世することで妻と子供たちにいい暮らしをさせたいという気持ちが語られる…など、意外にも愛妻家かつ家族思いな面が描かれた。
貧しかった時代から坂本城主となるに至るまで光秀に献身し続け、精神的にも支えとなっている熙子を最高の妻であると評して深く愛し、また熙子も光秀が帰蝶に執心している事を知った上で「この人の私への気持ちが本物というのも知っている」「一見真面目でたまにどうしようもない所も好き」と話すなど、夫婦仲は大変良好である様子。

天王寺の戦いの後、疲労で大病を患い長く療養していた光秀の看病疲れからか、熙子もまた入れ代わるように病に伏せり、天正4年11月に帰らぬ人となる。長年自身を支え続けた最愛の妻を失い、苦労をかけさせてばかりだった、もっといい暮らしをさせてやりたかったなど自責の念と共に悲しみの淵に沈んでいたが、彼女の遺言を千鳥から言伝に聞く。
貧しい生活に苦労もしたが共にいられてずっと幸せであった、悲しい最期だからといって人生そのものが虚しいものであったと思って欲しくはないとの熙子の気持ちを知ったことで再起、遺された家族と家臣を守るために戦う決意を新たにした。

『尾張統一記』

斎藤道三の配下時代が詳しく描かれる。
帰蝶の縁談を自分との事であると信じて疑わず、信長との縁組である事実を知った時には大泣きしながら鉄砲を口に突っ込んで自害しようとするほどショックを受け、その後は信長に猛烈な私怨を滾らせていた。
なおこの時点で既に正妻である熙子がいるのだが、本人曰く「それはそれ!!」。
斎藤義龍の謀反の際には、完全な劣勢であるにも関わらず道三の援軍として出陣したことを受け信長に一目置き、(一方的な)恋敵としての私怨が晴れる様子も見せていた。
また、光秀本人も「ここで逃げたら裏切り者の汚名を着るはめになる」と道三の元に残り戦う意思を示したが、後に結局着るはめになる男とナレーションに突っ込まれている。

軍師黒田官兵衛伝

目の下に隈を作り、『信長の忍び』本編とはまったく別人のように、すっかりやつれ疲れ果てた姿で登場。
初登場は天正9年(1581年)12月末、「事件」が起きる約半年前であり、またこのエピソードのサブタイトルは「軍師の悩みと終わりの始まり」となっている。


そして、その時は来た。


本能寺の変



この事件を起こした理由は、「あいつが背中を押したから」との事。ツッコミの弟子であった堀秀政は、真面目すぎる性格から信長と反りが合わなくなったからではないかと考えていたが、今の時点では推察の域を出ない。
この他、毛利領に住み着いていた足利義昭が各地の大名に打倒信長の呼びかけをしていた際「誰に手紙書こっかなー」「島津…伊達…ダメもとで明智とか?」と、さらっと発言しているため、この将軍が‘‘背中を押した’’人物の正体という可能性もある。
変を起こした時点で他大名・武将への根回しも済んでいないなど、無謀で突発的な謀反であったことが強調されている。
前述の通り人相は変わり果て、特徴的な束ねていた髪を下ろし仏胴に洋套(マント)を羽織るなど装いにおいても様変わりしていたものの、想定外の事態続きに泣きながら慌てふためく様子は「信長の忍び」本編での彼と変わりなかった。
娘婿・細川忠興の父かつ光秀の組下大名であり、無二の親友と信頼していた細川藤孝にも天下を取れる器ではないと助太刀を拒まれ、娘・今まで何人も裏切った武将を見ては『最低だ!!』『卑怯だ!!』『武士の風上にも置けぬ!!』と罵倒していたのに」、(天下人の器に見えないという藤孝からの評価に対し)「すごくよくわかる」と嘆いていた。
その後は山崎の戦いにおいて秀吉軍に敗れ敗走中、落ち武者狩りに遭い致命傷を負って死亡。
今わの際には「生まれ変わったらになりたい」「来世はのようにのように広く穏やかな心で生きたい」と漏らすなど、命は落としたものの俗説を意識した最期となっている。

真田魂

武田家の滅亡後、織田家に仕えることを選び法華寺を訪れ信長と会見した後の真田昌幸に、信長に殴打され頭にタンコブを作った姿を目撃されていた。
その三ヶ月後、織田信忠松姫を改めて妻として迎え入れようとした直前に、本能寺の変を起こし信長・信忠親子を討つ。
長年恋い焦がれていた松姫と対面することが叶わなくなった信忠の怒りを買い、また昌幸には「どうせ謀反するなら武田が滅ぶ前にやれ」と叫ばれた。

政宗さまと景綱くん

直接登場はしていないが、「信長の忍び」と同時代を描いた重野戦国作品の中では一番最初に本能寺の変が描写された。
伊達政宗輝宗父子曰く、光秀は「信長が最も信頼していた家臣」であると他国にまで伝わっていたらしい。

関連イラスト

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重野なおき 信長の忍び 軍師黒田官兵衛伝

戦国 戦国時代
戦国武将 明智光秀
本能寺の変

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