結城秀康
ゆうきひでやす
天正2年2月8日(1574年3月1日)~慶長12年閏4月8日(1607年6月2日)。
後の江戸幕府初代将軍である徳川家康の次男。
越前松平家の祖。母親は側室・於万の方(長勝院)とされる。
於万は家康の正室・築山殿の奥女中であったが、家康と関係を持つようになり子(秀康)を身籠る。於万に嫉妬した築山殿は激昂し、彼女を執拗に責め立てる強行に出たため、これを危惧した家康により於万は浜松城下の有富見村へ送られ、秀康はその地の領主である中村正吉の屋敷で誕生した。
幼名は於義丸(おぎまる)。
名前の由来はナマズであり、理由は顔がナマズに似ていたためとされる。
家康は於義丸のことを嫌っていたらしく、実子の誕生後もなかなか会おうとはしなかった。
理由は諸説あり、上記の通り容貌が醜かったため、或いは双子だったため(当時、双子の出生はお家騒動の原因になり不吉だとして「畜生腹」と呼ばれ忌み嫌われた)、または家康自身は嫌っておらず、正室の嫉妬を恐れたため遠ざけたという説もある。なお秀康の産まれた頃は、武田勝頼が織田徳川領に侵略し、家康は勝頼との戦でそもそも簡単に会い行けるような状況では無かったとも言われている。この事を不憫に思った長男(異母兄)である松平信康が家康を説得し、3歳で初めて対面を果たした。
父子の関係を取り持ってくれた兄であったが、天正7年(1579年)、信康は勝頼との内通の疑いがかけられ切腹させられ、同時にその母である築山殿も、家臣により殺害された。
母の身分が低かったこともあり於義丸は次男ながら庶子扱いされ、三河の名家である西郷氏出身の母を持つ弟・長松(秀忠)が嫡子扱いされる。そして、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの後、父・家康が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)との和議の条件として、於義丸を養子に出す(この時代の養子縁組・婚姻は、両家の友好関係を保つための人質の役割があった)。
元服した於義丸は、秀吉と家康から一字ずつもらい「羽柴秀康」と名乗る。
その後、九州征伐で初陣を果たし、その武功で豊臣姓を下賜された。以降も小田原攻め、朝鮮出兵などに参加し、武勇で豊臣家の繁栄に貢献した。
しかし天正17年(1589年)、秀吉に実子・鶴松が誕生すると、秀吉は後継者を鶴松に指名し、他の養子たちを遠ざけるように他家に養子に出す。秀康も例外ではなく、下総の結城晴朝の下に送り出され、彼の姪と婚姻し結城領11万1000石を継いだ。
このとき、養父である晴朝から一字もらい「結城秀朝(ひでとも)」と改名したが、後に秀康に戻した。また、父・晴朝から後に天下三名槍として数えられる名槍・御手杵(おてぎね)を拝領している。
秀吉の死後は実父・家康に味方し、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦である会津征伐に参加。その最中に上杉景勝に呼応した石田三成が挙兵し、家康は小山評定を開き、秀康に景勝の牽制の役割で留守役を与える。
戦後、秀康は一番の加増を受け、越前67万石を与えられかつて柴田勝家が城を築いた跡地に新たに北ノ庄城(のち福井城)を築く。
また、自ら望んでいた松平姓への復帰を許されるが、養父・晴朝の手前、結城姓を使用し続けたという。
慶長10年(1605年)に権中納言昇任、さらに慶長12年(1607年)には伏見城番を任されるなど、ようやく長年の苦労が報われたかとおもわれたが、同年3月に体調を崩し城番を辞退し、翌4月に死去した。享年34歳。死因は梅毒で、晩年は鼻が欠けるほどの重症であったという。
体躯に恵まれ、武勇に優れた一流のいくさ人であったとされる。
ときには行く手を阻んだ関守を成敗しようとしたり、許可無く馬を並走させた武士を無礼討ちにしたりと、プライドの高さや気性の荒いところもあった。
弟・徳川秀忠の将軍就任の祝いの席では、同じ官位の上杉景勝と「景勝殿のほうが官位が長い」という理由で上座の譲り合いになり、かつての敵であろうと謙譲の心を優先する器の大きさも持ち合わせていた。
(ちなみに、この場は秀忠の指示で秀康が上座に着くことで落ち着いた)
また、江戸城での出雲阿国の歌舞伎舞を絶賛し「天下一の女と呼ぶとすれば彼女だ」「自分は天下一の男になることも叶わず、彼女にも及ばない」と漏らしたという。
双子の弟
ちなみに前述の双子の弟は永見貞愛(ながみ さだちか)という人物。
家康から実子と認められず、表向きは夭折したことにして母・於万の実家である永見家に引き取られ、後に知立神社の神職を継いだとされる。
慶長9年(1604年)に死去。享年31歳であり、早世だった秀康よりも3年も早くに他界している。
三種の宝物(名刀)
前述の名槍・御手杵を拝領したエピソードの他にも、復数の名刀を授かった逸話が存在する。
幼少期に羽柴家に養子に出された際、父・家康から天下五剣の内の一振りで知られている「童子切安綱」を餞別として授けられる。
福島正則、加藤清正ら豊臣家武断派大名による石田三成襲撃事件の後、三成を領地である佐和山まで護送した際、三成から礼として自身の刀であった「五郎正宗」を譲られ、秀康は三成の名に肖り「石田正宗」と称した。
慶長5年の小山評定において、留守役を不服とし抗弁した秀康に対し、家康がかつて五百貫かけて手に入れた「稲葉郷」を譲ることを条件に説得され、了承したという。
秀康の没後、末裔である越後松平家ではこの三振の名刀を合わせて「三種の宝物」として伝えられ、童子切と正宗の二振は現在もその実物が東京国立博物館に保管されている(稲葉郷は個人所有とされていたが現在は所在不明となっている)。
花の慶次
主人公・前田慶次が琉球国へ出かけている間に、京で傍若無人に振るまい民から畏怖されていた人物。
慶次の女・利沙の奏でる胡弓に聴き惚れ、彼女を強引に連れ帰ろうとするが、慶次に馬を叩かれ追い返される。怒った秀康が言うことを聞かぬ馬を斬り殺そうとしたところを慶次に止められ「貴公に馬に乗る資格はない!」と叱責され、馬から引きずり降ろされる。
後日、蛮行を詫びに慶次の家を訪れ、慶次と和解し友好を結ぶ。
その後、会津征伐で敵味方に分かれることになった慶次と「戦場で存分に戦おう」と固く約束するも、結局両者が相見えることはなく戦は終了してしまう。
戦後、伏見に戻った秀康の元を慶次が「約束」を果たすために訪ね現れ、改めて一騎打ちを行うことになる。慶次との力量の差は明白であったが、打ち倒されてなお何度も立ち上がり「いくさ人・前田慶次」の最後の勇姿をその目に焼き付けた。
事実上、本作における慶次の生涯最後のいくさ相手を務めたことになる。
なお、ネットでは慶次に謝罪した際に秀康が「ゆ、許された」と言うコマが一部でよくネタにされる。
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