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天正7年(1579年)~寛永20年(1643年)

概要編集

明智光秀の重臣、斎藤利三の娘として生まれる。母は稲葉一鉄の娘または姪。

1582年の本能寺の変、次いで起こった山崎の戦いで光秀の配下として戦った利三は、謀反人として処刑される。福は母方の実家である稲葉家、次いで遠戚である公家の三条西公国(一鉄の正室の甥)に養育され、高い教養を身に着けることになった。

その後、時期は不明だが小早川秀秋の家臣・稲葉正成の妻となり、正勝などを生む。

ちなみに正成は後に下野真岡藩2万石の大名となり、後を継いだ正勝は老中に就任。稲葉氏は最終的に山城淀藩10万2千石の大名として幕末まで存続することとなった。


三代将軍の乳母として編集

慶長9年(1604年)に徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の徳川家光)の乳母に抜擢され、正成と離婚した。

元和9年(1623年)に家光が将軍に就任すると、家光の実母・の下で大奥を取り仕切る立場となり、江の死後は正室と不仲だった家光の側室探しに尽力し、権勢は老中をも上回るものとなった。

寛永6年(1629年)上洛し後水尾天皇に拝謁し、従三位の位階と「春日局」の称号を贈られる。さらに寛永9年(1632年)には従二位に昇っている。女性で従二位を贈られたのは平清盛の正室・時子源頼朝の正室・政子などがいる。ちなみに江はさらに上の従一位を贈られているが、死後追贈であり単純に比較はできない。

寛永20年(1643年)に死去。享年64歳。


余談編集

家光の両親である秀忠・江夫妻とは、夫妻が長男である家光よりも次男の忠長を溺愛していたことにより対立し、祖父である徳川家康に直訴して三代将軍を決めさせた、というのは江戸時代の創作というのが近年の研究による通説である。

また家康の手がついて生まれたのが家光だとの説もあるが、こちらも江との対立説や家康への直訴説同様信憑性が薄い創作物というのが通説である。


NHK大河ドラマ『春日局』は1989年に放映され、このドラマがヒットしたことで年をとっても会社に勤め続ける女性のことをお局様と呼ぶ風潮が生まれた(その後時代の変化もあり「勤続年数の割に会社に貢献せず、むしろ周囲の足を引っ張る古株女性社員」という意味に変わった)。

この大河ドラマのヒットを受けて東映が映画『女帝春日局』を制作し、1990年に上映。上記の「家康の手がついて生まれたのが家光」説を採用している。

なお、放送初回は同年(昭和64年)の元旦に放映されたが、結果としてこれが昭和最後の大河放送となり、同月7日の昭和天皇崩御を受け、8日の第二回は翌週15日に延期され、平成最初の大河放送となった(なお平成最後、放送途中で令和初となったのは2019年放映の「いだてん〜東京オリムピック噺〜」となる)。


2023年の「どうする家康」ではドラマの語りを担当していた寺島しのぶが演じる春日局が最終回に登場し、第一話からの物語は全て幼少の家光に対して語り聞かせていた物語であったという種明かし的な演出が行われた。また、春日局が「神の君」と称賛する家康の人物像と作中で実際に描かれた姿(特に若い頃)との乖離や、前半に目立っていた荒唐無稽かつファンタジックな描写は全て彼女による誇張・脚色ないしは想像であった事も示唆されている(実際、春日局が生まれた1570年代後半頃を境にそうした描写が見られなくなっている)。



関連タグ編集

安土桃山時代 江戸時代 徳川家光 斎藤利三


Fate/GrandOrder第2部3.5章にNPCとして登場。→春日局(Fate)

大原麗子春日局(大河ドラマ)で春日局を演じた。

十朱幸代−映画「女帝 春日局」で春日局を演じた。

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