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後三条天皇

ごさんじょうてんのう

平安時代後期の天皇。第71代。歴史上、最初の「治天の君」・白河法皇の父帝として知られる。
  • 生没年:長元7年(1034年)~延久5年(1073年)
  • 天皇在位:治暦4年(1068年)~延久4年(1072年)


概要

長元7年(1034年)生まれ、第69代天皇・後朱雀天皇の第二皇子。名前を尊仁(たかひと)という。第67代天皇・三条天皇の皇女で皇后の禎子内親王を母として生誕。長元9年(1036年)、父帝の即位にともなって親王宣下を受ける。寛徳2年(1045年)1月、父帝・後朱雀天皇の譲位にともない藤原道長の娘・嬉子を母とする兄・親仁親王が即位(第70代天皇・後冷泉天皇)、12歳で皇太子として立てられた。

皇太子時代は熱心に学問にはげみ、高邁な理想の持ち主として周囲からも尊敬されていたが、母が摂関家ではないことから藤原道長の後を継いだ当代の実力者、関白藤原頼通は即位に消極的であり、宇多天皇以来の慣例である東宮への宝剣の伝授を見送られるなど、皇太子は35歳で即位するまで頼通により冷遇された(※ただし、後朱雀天皇は道長の孫であり、本人も藤原氏と血のつながりがない訳ではない)。

治暦4年(1068年)、後冷泉天皇の崩御により即位、関白が兄の頼通から弟の藤原教通へと移行したのを機にみずから親政を行う姿勢を鮮明にした。天皇の顕著な業績としては延久の「荘園整理令」の発布とそれにともなう「記録荘園券契所(記録所)」の設置、「延久宣旨桝」の制定があげられる。

  • 「荘園整理令」:荘園に隣接する土地を藤原氏をはじめとする貴族が領地として囲い込もうとするや、すぐに官吏を派遣して調査にあたらせた。
  • 「記録荘園券契所」:延久の「荘園整理令」に基づき荘園の所有権にをめぐる公験をそれまでの国司による裁定から、朝廷の官吏が中央で裁定を下すことを定めた。通称「記録所」。
  • 「延久宣旨桝」:公定桝を制定して度量衡を改訂。
  
延久4年(1072年)、天皇は第一皇子・貞仁親王に譲位、その理由については早く院政を開始しようとしたとも、病気によるものとも言われている。その後延久5年(1073年)5月、崩御された(笠原英彦『歴代天皇総覧』)。「後三条」という追号は天皇が生前から称していたといわれる(遠山美都夫『名前でよむ天皇の歴史』)。

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