概要
三条天皇の皇女、母は藤原妍子(藤原道長の次女)、後朱雀天皇の皇后、後三条天皇の母。
経歴
長和2年(1013年)に誕生、同年に内親王宣下を受ける、准三宮・一品に進み、万寿4年(1027年)に皇太子敦良親王に入内し皇太子妃となる。長元9年(1036年)に敦良親王(後朱雀天皇)が即位し中宮となり後に皇后となった。寛徳2年(1045年)に天皇が崩御後に出家し永承6年(1051年)に皇太后となった。後に太皇太后となる。治暦5年(1069年)に陽明門院の院号を受けた。寛治8年(1094年)に崩御。
皇統
・尊仁親王(第71代・後三条天皇)
説話
周りの人々は敦良親王(後朱雀天皇)に入内することを禎子本人に伝えておらず、母の妍子の病による方違えだと言い聞かせて内裏の弘徽殿に連れて行く形で入内を強行してしまう。(入内は妍子の意向でもあり、入内することを禎子に伝えれば病の母親を置いていくことはできないと拒否される可能性があったことから騙す形で入内を強行せざるをえなかった。)
禎子はそこでようやく自身が入内することを悟ったが、その場から動くことができず固まってしまい、その様子に困り果てた頼通が敦良親王の元に手を引いて連れていき、親王自ら抱き上げて母屋の奥に籠ったという。