概要
源師房の子、母は藤原尊子(藤原道長の娘)、官位は従一位、左大臣。
経歴
寛徳2年(1045年)に従五位上、後に侍従、左少将、左中将に進み永承5年(1050年)に従三位、天喜5年(1057年)に参議となるが後朱雀天皇の皇女娟子内親王との結婚を勅許を得ずに行い出仕停止を受ける、康平3年(1060年)に処分を解かれ翌年の康平4年(1061年)に権中納言、承保元年(1074年)に権大納言、承暦4年(1080年)に大納言、永保2年(1082年)に右大臣、翌年の永保3年(1083年)に左大臣に就任、永久元年(1113年)に輔仁親王(後三条天皇の皇子)へ譲位の計画が発覚し失脚、後に復帰するが保安2年(1121年)に出家、同年に死去。