概説
(成務天皇40年〈西暦170年〉~神功皇后69年〈西暦269年〉4月17日)
仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母君。
不信心による神罰で崩御されたいう仲哀天皇に代わり、熊襲を再平定し新羅を征伐された。
神功皇后は筥崎宮(福岡県福岡市)のご祭神でもある。
明治以降、紙幣や切手に御肖像が描かれた。
伝承では新羅遠征の折、仲哀天皇の代任として懐妊したまま戦場に立ち、帰路で熊襲までお帰りになられた際に産気づき、そこで品陀別命(応神天皇)を御出産になられたという。
ちなみに日本書紀において、魏志倭人伝にある卑弥呼と同一人物であることが示された記述があり、日本書紀が「現存する日本最初の公式歴史書」として公式に定められていることから正史とされている。
余談
福岡県には神功皇后にまつわる地名が多い
- 帆柱山(福岡県北九州市八幡東区):新羅征伐の際の船の帆柱を切り出したとされる。
- 皇后崎(こうがさき。福岡県北九州市八幡西区):新羅征伐の前に神功皇后の上陸した地点とされる。
- 宇美(福岡県糟屋郡宇美町):新羅征伐を終え筑紫に戻った時にこの地で応神天皇を産んだとされる(産み=宇美)。神功皇后・応神天皇はともに町内にある宇美八幡宮のご祭神でもある。
- 箱崎【筥崎】(福岡県福岡市東区):応神天皇を産んだ後、この地に御胞衣【おえな。へその緒や胎盤の意】を入れた箱を埋めた場所を示す印として植えた松である「筥松」が由来。
- 御陵は奈良県奈良市山陵町の五社神古墳と推定される。近鉄平城駅より徒歩1分にあり、山陵八幡神社に隣接する。