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魏志倭人伝

ぎしわじんでん

中国の歴史書『三国志』魏書「烏丸・鮮卑・東夷伝」倭人条のこと。戦後古代史研究に猛威をふるった。
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概略

著者の陳寿は西暦233年にに生まれ、蜀の滅亡後に、蜀と並び立っていたもまたに王朝交代して、学才を買われ晉王朝に仕えた人物である。
陳寿は前代の魏の諸資料を利用できる地位にあり、西暦285年に『三国志』65巻を撰述した。

その中に、魏王朝と関係のあった諸種族の記録があり、そのひとつ「東夷伝」(東の野蛮な国の言い伝え)の中の「倭人条」を、『魏志倭人伝』と称している。

それは、大部の中の一冊の、そのまた一部であり、著者は素材としていくつかの史料を用いているらしい。
最重要のものは魚豢の『魏略』であるが、その完本は現存しておらず、魚豢が依存したその先の史料は全く不明である。通説では、『魏志』倭人伝は『魏略』を基礎にして書かれたとされる。
もう一つは、魏から日本(倭と蔑称された)に派遣された使節の帰国報告書が当時利用できたのではないかと推測される。西暦240年に梯儁、西暦247年に張政がそれぞれ日本を訪れており、後述する「邪馬台国」への行程や「卑弥呼」の伝聞記事は、この2人に負っている可能性は高いが、この2人は「邪馬台国」を訪れたわけでも日本列島を旅したわけでもなく、不自由な言語で、おそらく通訳を介して、北九州の日本人官吏から聞いた国内事情を記述したことであろう。
三番目に、難升目と名づけられた日本人が魏の時代に洛陽に使した際、魏王朝からの問いに対して答えた応答内容が、証拠はないが当時はまだ記録として残っていた可能性がある。

『三国志』は「正史」である。正史とは、正しい史実を記録することによる呼称ではない。歴史事実と異なる記録をしてまで、統を示す書である。
中華の天子の徳は、中華の文徳に教化されて臣下となり、貢物を捧げ、世界の支配者である中華の皇帝のもと、地域を支配する国王として封建されるために使者を派遣する、野蛮な異民族の存在によって証明される。
曹魏を正統とする『三国志』は、曹魏と交遊関係を結んだ異民族を、正統性を示す夷狄として優先的に記述する。
したがって、曹魏に朝貢した「倭人」の記録は、反抗的な民族も多かった東夷伝のなかで、曹魏の正統性ならびにそれを継承する西晉の正統性を表現するため、政治的意図を含んだ記述となる。

礼記』王制篇では、東方の「夷」は「身に文」(体に入れ墨を)し、南方の「蛮」は「題に雕んで」(額に入れ墨をして)いたとする。陳寿にとって『礼記』王制篇の記述は、疑いようのない事実であった。これが当時の世界観であり、現代人がアフリカといえば黒人だと決めつけるようなものである。「倭人」は、中国の東南にいる。したがって顔面(南)と身体(東)の両方に入れ墨をしているべきである。
「倭国」には女性が多いというが、これも理念の産物である。『周礼』夏官 職方氏に、中国の東南にあたる揚州は、その民の男女比率が二対五であると記されている。『周礼』の男女比は、文化の中心から離れるほど、女性の比率が高くなる。
また「倭国」に含まれる「朱儒国」「黒歯国」「裸国」も事実の記録ではなく、『史記』第四十七 孔子世家や『山海経』の大荒南経・海外東経、『呂氏春秋』という典籍に基づいての叙述である。

陳寿は、自らの世界観と置かれた政治的状況によって、倭人伝を著しているのである。
中国の史書において、東夷伝は、中華の栄光を示すためにかかれる部分である。
「南蛮」や「倭人」のために、事実を記録しているわけではない。
したがって、理念に基づき記録を取捨選択し、あるいは「事実」を創作して記述するものである。

記紀神話と魏志神話

上述の通り日本に関する内容が、2000字という短さではあるが同書に存在し、邪馬台国のヒミコやトヨの伝説が書かれている。

『魏志』倭人伝によれば、もともと「倭国」(外国文献中の「日本」の蔑称)は、男子を王としていた。
外国史料のみによれば「倭国」の形成は2世紀初めごろとされ、それから70~80年程たったころ、国内に混乱が生じたとし、これを『魏志』倭人伝は、何年にもわたって「倭国」が乱れたと書いている。
そこでこの大乱を収めるべく諸勢力がともに一人の女性を「王」の位につかせる。
この女性の本名は不明であるが、君主の地位についてからは「ヒミコ」(卑弥呼)と呼ばれるようになった。
ヒミコの後、もう一度「男王」に戻そうとするが、国内がまとまらず、また争いが起こったのでしかたなく、ヒミコと血のつながりはあるトヨ(あるいはイヨ)を王につけて、なんとかおさまった。
ヒミコは「鬼道」をつかさどるという宗教的な権威で、国内をまとめていたとする。

以上の様な内容であるが、日本の史料である『古事記』『日本書紀』(いわゆる『記紀』)の記述と比較されることがある。
日本神話における天照大神は、高天原における君主であるとともにみずから祭儀を司る神様であった。
祭司であり君主であるという一点において、邪馬台国のヒミコと軌を一にしていると言える。
ヒミコもまた女王であるが、その統治は、中国人から異国のものを見下した言い方ではあるが「衆を惑わす鬼道」によるとされており、「倭女王」の力が神秘的権威を秘めていることを認めているのである。
『魏志』倭人伝でただ一つ、超人間的なイメージを今に留めているのは、ヒミコとそれを取り巻く環境であり、それは日本神話の主神である天照大神に大変よく似ているのである。

これは、魏の使者に出会った日本の官吏は、当時の日本の君主の権威を説明するために、日本神話(日の神の神話)を物語ったためかもしれない。
それは現代人が考えるような「神話」として意識して話したわけではないであろうが、当時の日本人にはきわめて確実で、しかも身近な話であったに違いない。
魏の使者に「神話」を語って聞かせた日本の官僚は、神話と現実とを必ずしも明確に区別はしなかったし、混同はむしろ当時としては当たり前のことであった。
こうして天照大神にまつわる物語のあらすじが伝えられた使者にとっては、高天原における日の女神とその弟神の物語が、異国人としてたいへんに面白い話として印象に残ったのであろう。

史料的価値

『魏志』倭人伝はいくつか互いに無関係な文書が、ただ無造作に糊づけにして並べられたような無責任なもので、日本を見下しつつも官僚の作文のような殺風景さである。
日本人の習俗や社会に関する部分は、中国の江南地方の古記録によく似ているので疑問が出されており、男子はみな顔や体に入れ墨しているとか、樹皮布を頭に巻きつけているとか、婦人は中央に穴をあけ頭を貫いて着る衣をかぶっているとか、朱丹をその身体に塗るとか、いずれも南方系の民族を髣髴とさせる。
昔からの中国人の固定観念をただ書き並べているとも言えるし、地理的に日本列島を南の方に位置付けていて、江南の記録を無造作に用いているとも言える。

『魏志』倭人伝の文献としての信用のなさとあいまって、いずれにしても本当のことはよく分からないのである。
該資料は中国の「正史」であるが、西暦1735年に書かれた正史『明史』日本伝ですらあまりに不正確な内容であり、それより1500年も前の『魏志』倭人伝は、「歴史資料」に値しない。
そもそも同時代者の反対証言を欠き、距離も遠く、内容の豊かさもなく、とうてい一級史料とは呼べない代物であった。
しかし日本においては戦後の特殊事情から、日本の歴史につながる『古事記』『日本書紀』の日本神話が、内容的史料価値の高さに関わらずあわただしく否定されてしまったため、代わりに一見合理的に見える『魏志』倭人伝の外国神話によって、日本史の始原をむりにでも描き出そうとする錯誤に陥ったというのが実情である。
残念ながらはっきりとしていることは、『魏志』倭人伝は、また聞きを伝え書きしたなんらかの記録を、「目撃者の証言」として歴史家が部分的に採用し、それがテキストの中のどこかに投げ込まれているらしい、ということがやっと言える程度である。

一読した者を唖然とさせるその水準の低さから言えば、『魏志』倭人伝は結局「歴史」どころか「年代記」の水準にすら達していない。
そういう意味では、ヤーコプ・ブルクハルトの『ギリシア文化史』で当惑げに語られた、「年代学的に前後の関係なく物語られており、比較的古い事実と最も古い原初時代の事実がもはや区別し得ず、諸種族の移動もたどってゆくことができない」程度だという、ドーリス人移住以前の多くの事実が書かれている「文献」と、同じ分類に当てはめることができる。
日本史の開始の位置と年代を束縛できるだけの「歴史資料」ではない。

そもそも、日本の中で起こっている出来事を、海を隔てた隣の国が細かく知っているわけがなく、当時の大陸の人間は、たとえ歴史家であってもあり得ないことであり、わざわざそれについて何か書く必要性も無かった。
たとえ書くとしても、その目的は海の向こうの遠い国とも交際があったと示す程度で十分であり、もしそれ以上の内容が書かれていれば、それは信用するに足らない噂の噂、さらにその噂という程度のものである。

中国の歴史書を見ればそれは明白であり、例を挙げれば豊臣秀吉と戦い外交交渉もあったの時代ですら、日本について書かれた文章の中には噂話から引用されたものが記されている。
ましてそれより千何百年も昔の、外国との交渉が殆ど無い時代に、正確な情報を入手できたとは考えられない。
戦前の日本において、当時の大陸の人間に日本の歴史が正確に解るわけがないという認識は、常識的なものだった。

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