概要
藤原兼家の娘、母は藤原時姫(藤原中正の娘)、円融天皇の女御、一条天皇の生母。
人物
応和2年(962年)に誕生、天元元年(978年)に円融天皇に入内、天元2年(980年)に懐仁親王(一条天皇)を生んだ、寛和2年(986年)に一条天皇即位に伴い皇太后、正暦2年(991年)に円融上皇が崩御し東三条院の院号を受けた、長保3年(1002年)に崩御。
入内まで4つ年下の弟・藤原道長と一緒に暮らしたと考えられ、弟を溺愛していた。父・兼家と円融上皇が亡くなった後は、長兄の藤原道隆ではなく、道長を頼るようになる。道隆の死後に道長を権力者の座に就けようと暗躍していたとも言われ、道長への内覧宣旨や娘・彰子の入内を支援したとされている。そのため、道長は彼女の死後にその供養を欠かすことはなかったという。