概要
永正7(1510)年頃、長野業尚によって建てられ、以降長野氏が4代にわたり本拠地とした。
永禄(1558~70)年間には、この地をめぐって武田信玄と北条氏康と上杉謙信による三つ巴の戦いの舞台となる。
「上州の黄班(虎)」といわれた猛将・長野業正(1491~1561)はそのような大勢力の狭間に位置するという危険地帯にいながらも、武田信玄による攻撃を幾度も防ぎ、長野氏の隆盛を築いた。業正の死後、三男である業盛は17歳で家督を継ぐも、信玄の猛攻を支えきれずついに2年後に滅んでいる。
結局は武田氏の支配下に置かれ、その後は滝川一益や北条氏邦が城主となる。
後北条氏の滅亡後は徳川家康の家臣、井伊直政が入城するも、慶長3(1598)年に高崎城へ移ったために廃城となった。
現在は大規模な石垣や空堀が残り、国の史跡に指定されている。
毎年10月末に開催される「箕輪城まつり」では、手作りの甲冑に身を包んだ地元民によって、武田軍と長野軍による攻防戦を模したアトラクションが披露されている。