光孝天皇の玄孫にあたるが、臣籍に下って平氏を名乗り、従五位上・駿河守となった。大宰大弐・平篤行の三男。
臣籍降下前は「兼盛王」と称す。
『拾遺和歌集』・『後拾遺和歌集』における代表的な歌人の一人であり、安和元年の大嘗会屏風歌などの多くの屏風歌や、さまざまな歌合、歌会の有力歌人として知られる。
特に「天徳内裏歌合」における壬生忠見との対決が一番有名であるが、この時の歌、
- 忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで
人に知られないよう心に秘めてきたけど、私の恋は、おもてに出てしまっていたようだ。何か物思いをしているのではと、人が尋ねるほどまでに。
が百人一首にも採られた。