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坂上是則

さかのうえのこれのり

平安時代の官人・歌人。三十六歌仙の一人で蹴鞠の名人。
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プロフィール

生誕不明
没年延長8年(930年)
官位従五位下・加賀介
主君宇多天皇醍醐天皇
氏族坂上氏田村麻呂流浄野系
父母父:坂上好蔭、母:不明
坂上望城


概要

平安時代前期から中期の貴族歌人三十六歌仙の一人で蹴鞠の名人。子に梨壺の五人坂上望城がいる。

坂上田村麻呂の4代孫で、父の坂上好蔭元慶の乱では陸奥権介として活躍しているが、いとこ坂上頼次将種坂上氏らしく武官として活躍したのに対し、是則自身は御書所といった文書畑の文官であった。清水寺の別当を務める。子孫は明法博士検非違使大尉、清水寺の別当を世襲している。
是則の祖父・坂上当道の子である坂上当澄は、小野篁の養子となって小野良実と改名し、良実の子が小野小町という説がある。これを信じるならば是則と小町は血統上はまたいとことなる。

延喜8年(908年)に大和権少掾、のち大和権掾・少監物・中監物・少内記・大内記をへて、延長2年(924年)正月に従五位下に叙せられ加賀介に任ぜられた。延長8年(930年)卒去。
寛平5年(893年)頃の「寛平后宮歌合」や、延喜7年(907年)の「大井川行幸和歌」、同13年の「亭子院歌合」など晴れの舞台で活躍した。『古今和歌集』の撰者らに次ぐ歌人で、『古今和歌集』(7首)以下の勅撰和歌集に39首が入集。家集に『是則集』がある。

延喜5年(905年)3月2日に宮中の仁寿殿で催された蹴鞠会では、醍醐天皇の御前で206回まで鞠を蹴り続け、一度も落とさなかったので醍醐天皇から称賛され、褒美として絹を与えられている。

代表歌

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

関連タグ

平安時代
和歌 短歌 三十六歌仙 百人一首

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