従三位、中納言兼右衛門督まで昇進し、賀茂川堤に邸宅があったことから「 堤中納言 」と号した。
醍醐天皇の寵遇を得、三条右大臣藤原定方とは親交が厚く、和歌に優れ、紀貫之をはじめとする当時の文化人たちの庇護者的存在であった人物。
『大和物語』には、彼らのエピソードがいくつも伝えられている。
家集に『兼輔集』があり、『聖徳太子伝暦』は彼の撰と云われている。
小倉百人一首では「中納言兼輔」と表記される。
代表歌
- みかの原 分きて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ
みかの原の泉川のその湧き出でる「いつみ」かのように、いったいいつ逢ったといって、こんなに恋しいのだろうか
※ 泉川は、現在の木津川のこと。
- 人の親の心は 闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな
人の親の心は闇ではないけれど、子供のことを思う道には、まるで闇の中にいるように何も見えなくなって、思い迷って分別をなくしてしまうことです