概要
父は鍋島直茂、母は陽泰院、肥前国佐賀藩主、官位は従四位下、侍従。
経歴
天正8年(1580年)に誕生、最初は江上家種の養子となるが後に鍋島氏に戻った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍側で伏見城攻め、安濃津城攻めに参加したが、後に父・直茂の手廻しで徳川家康に謝罪をし東軍につき立花宗茂を攻めた(江上・八院合戦)。この戦功で肥前国の領地を安堵された。
慶長12年(1607年)に、鍋島家の傀儡扱いに不満を持った龍造寺高房が自殺未遂の後に死去、父の龍造寺政家も後を追うように没し、生き残った龍造寺一門の総意を受ける形で佐賀藩主となる。
寛永14年(1637年)の島原の乱では抜け駆けで攻めたことで幕府から軍令違反として蟄居を命じられた。
明暦3年(1657年)に死去。
外部リンク
関連タグ
化け猫…龍造寺氏からの権力移譲と、それに反発した龍造寺高房の庶子・伯庵(季明)による復権運動が「佐賀化け猫騒動」に脚色された。