概要
王の座に就いている者が血縁関係のない人物にその地位を譲る行為。
古代中国の五帝と呼ばれる伝説の王達が有徳者に王位を譲った神話に基づく。
中国において歴史上最初に禅譲が行われたのは前漢から新への譲位で、歴史上最後に行われたのは清朝から中華民国(北京政府)への禅譲である(ただし、後継が個人や世襲王朝ではなく共和制国家であるため厳密には不正確)。
また、ベトナムでは八月革命の際に、わざわざ作法に則った禅譲儀式を8月30日に行った。これによりベトナム独立同盟は阮朝最後の皇帝保大帝から国璽と剣を引き継ぎ正式に禅譲を受けた上で、9月2日のベトナム民主共和国成立に臨み国家としての正統性をアピールしたのである。社会主義革命においても他国とは違い歴史を重んじ易姓革命の伝統を意図的に踏まえた事は、後に分断国家となった際北ベトナムが優位な立場を保つ事に繋がった。(ベトナム国では皇帝の称号が使えず国長と名乗る事となり、一度返上した王位への復帰は民衆の支持が得られず、最終的にゴ・ディン・ジエムによって放伐された。)
もっとも、神話とは異なり歴史上の禅譲はほとんどが事実上の簒奪であくまでも王朝交代を正当化する為の演出に過ぎなかった。例外として五代後周から宋の趙匡胤への政権移行は概ね平和的に行われ、後周皇室の子孫も丁重に扱われており禅譲の要件を満たしていると考えられている。
比喩表現として
一般に、政党や自民党の派閥において党首や領袖が選挙によらず前任者の指名や話し合いによって決められることや、同族経営の企業において血縁のない新指導者が平和的に任命されることなどを上記に準えて「禅譲」と言う。
余談
作家の井沢元彦は著書「逆説の日本史」第三巻で称徳天皇が弓削道鏡に天皇の地位を譲ろうとしたのは禅譲ではないかと推測しているが確証はない。
関連タグ
ユフィリア・マゼンタ - 創作作品における数少ない禅譲による易姓革命の例。