北条綱成
ほうじょうつなしげまたはつななり
北条家の家臣。第3代玉縄北条氏当主。
父は今川家の重臣・福島(くしま)正成(異説有)。弟に福島綱房(北条勝広とも)がいる。子は氏繁(康成)や氏秀(三郎とは別人)。
父が花倉の乱で今川義元や武田信虎と戦い敗死したため北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。
河越合戦などで活躍し、その旗印より「地黄八幡(黄八幡)」と呼ばれ畏怖された。戦場においては「勝った! 勝った!」と叫びながら敵に突撃していたという。
また、若い時の北条氏康が臆病な性格だったこともあったことから、氏康に代わり当主にしようとする動きがあった。
武田信玄との駿河国深沢城攻防戦では老齢だったにもかかわらず敵陣に突撃して長男の康成に呆れられたこともあった。
ちなみに、このときに地黄八幡の旗を武田軍の加津野信昌(真田信尹)に奪われ、信玄は信昌に旗を与えたという。ちなみにこの旗は長野県松代市の真田宝物館に保管されている。
氏康の死後、康成に家督を譲って隠居。上総入道道感と名乗って剃髪した。
しかし、1578年に氏繁(康成)が下総国飯沼城にて病死し、嫡孫の氏舜が後を継ぐも1581年頃に病死するなど子や孫に先立たれる不幸に遭う。
天正15年(1587年)に死去、豊臣秀吉による北条征伐の3年前である。
なお、玉縄北条氏は氏舜の弟の氏勝が継ぎ江戸時代になり下総岩富藩主となった。なお氏勝の養嗣子の氏重は大岡忠相の外祖父であるため系図上では忠相は綱成の女系子孫にあたる。
信長の野望シリーズ
後北条家最強レベルの武闘派で、統率や武力は毎回トップクラスの値を誇る。
ファンからの愛称は「キレンジャー」(もちろん、命名の由来は「秘密戦隊ゴレンジャー」である)。
ただし、これは元ネタは旗印の色だけではない。
後北条家が主君を支える五人の重臣たちにシンボルとして色を与えた(北条五色備)のも由来で、それが赤(北条綱高)、青(富永直勝)、白(笠原康勝)、黒(多目元忠)といかにも戦隊物的な揃い方をしていたためである。
もっとも、ただでさえ高い国力と優秀な文官を併せ持つ北条家に強力な武官まで揃えてはゲームバランスが崩壊しかねないせいか、彼以外が登場する事は無かった。しかし天道PKにて多目元忠、富永直勝の2人がステータスがやや抑え気味ながらも登場し、そして創造PKにて笠原康勝と北条綱高が初登場を果たした。これで北条五色備えがようやく全員集結した事になった。