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北条氏規

ほうじょううじのり

北条氏規とは日本の戦国武将の一人である。
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概要

北条氏規(うじのり)は後北条氏3代目・北条氏康の5男として生まれる。美濃守(自称。今の岐阜県)のちの4代目当主氏政や北条氏照北条氏邦らは同じ母親から生まれた兄弟。
幼名は助五郎、伊豆韮山城城代。

経歴

幼少時は駿河今川氏へ人質として出されていた。しかし、酷い扱いは受けておらず
むしろ一時は今川義元の養子の一人とされていたため氏真(今川氏真)の次だったという。
その後は小田原に戻り武田、上杉、伊達、蘆名などの大名間での外交役だったという。
一方で武田信玄の伊豆侵攻の際には韮山において撃退して見せるなど文武に優れた武将だった。
小田原征伐の際も甥・氏直から外交役として豊臣家に派遣される。
(本人は秀吉に臣従するようにといっていたといい、秀吉との交渉もうまくいかず合戦になってしまう)

小田原合戦では織田信雄と交戦(籠城戦)を行い手勢で劣るにもかかわらず4ヶ月耐える善戦をした。その後、徳川家康黒田官兵衛の説得のもとに降伏。
徹底抗戦を主張する兄・氏政や甥・氏直を説得する役目も果たした。
戦後は氏直と共に高野山へ、のちに秀吉に許されて所領を得る。(後の狭山藩。幕末まで続いた)
1600年2月に死去。56だったという。後は子の氏盛がつぎ北条家は狭山藩で幕末を迎えた。

逸話

・徳川家康とは駿河人質からの親友であり住居も隣同士だったという。
北条上洛の際の手続きなど家康が氏規を北条・徳川(豊臣)の窓口としていた可能性は高い。
(豊臣秀吉が家康に頼んだといえる。後で氏規が許されていることからも秀吉からも信頼されてたことがうかがえる。)

・兄の氏政や氏照を自分が介錯し、そのまま後を追おうとしたが止められている。

関連項目

曾祖父・伊勢盛時(伊勢宗瑞)
祖父・北条氏綱(伊勢氏綱)
父・北条氏康
兄・北条氏政 北条氏照 北条氏邦 
弟・北条景虎(上杉景虎) など
子・北条氏盛 など

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