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相馬盛胤

そうまもりたね

南東北の戦国大名・相馬氏の第15代当主。
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概要


生没年:1529年(享禄2年)~1601年(慶長6年)

相馬氏の第14代当主である相馬顕胤の子。
生母は伊達稙宗の長女である屋形御前で伊達氏とは稙宗が外祖父であり晴宗が叔父、輝宗が従兄弟となる関係。

天文の乱では父と共に稙宗側に属しており、晴宗派である南の岩城氏とも争った。
1548年に父の死去により家督を継承し、妹を田村郡の田村清顕に嫁がせており、田村氏とは友好関係を保った。

伊達氏とは伊具郡(現在の宮城県丸森町)を巡って幾度となく争い、1570年には丸森城を攻め落としている。1578年に嫡男である義胤に譲って隠居し、1601年まで存命であった。

ちなみに第13代当主にあたる祖父も盛胤を名乗っているが、ピクシブ百科事典では初名の相馬定胤で紹介している。

関連人物

相馬顕胤…父。
相馬義胤…長男。相馬氏を継いだ。
相馬定胤…祖父。定胤は当初名乗っていた諱でその後は孫と同じく盛胤を名乗っている。
伊達稙宗…外祖父。伊達氏の中では良好な関係であり稙宗の娘(血縁上は叔母にあたる)を嫡男である義胤の正室に迎えた。
伊達晴宗…母方の叔父。稙宗と晴宗の争いでは稙宗側であった為対立関係にあった。
伊達輝宗…母方の従兄弟。晴宗時代と同様に争いを続けた。

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戦国時代
戦国武将
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