平盛綱
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たいらのもりつな
鎌倉時代初期の武士。北条氏得宗の家司として北条義時・泰時・経時・時頼に仕えた。
概要
生没年 不詳
出自もわかっておらず、平重盛の次男・資盛の子とも曾孫とも伝えられている。
鎌倉幕府の実力者・得宗・北条義時に家司(北条氏個人の家来)として仕え、侍所の所司(次官)、承久の乱後には安芸国巡察使を歴任、元仁元年(1224年)の「御成敗式目」制定にも奉行としてかかわるなど、第3代執権・北条泰時を実務面で支え、泰時の死後も第4代執権・北条経時、第5代執権・北条時頼兄弟に仕えつづけた。
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時を継ぐ者 第29話 「最期」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第29話です。よろしくお願いします🙇♂️ ドラマの後の展開については、さまざまな資料を参考にしながら、貧弱な脳みそ😭を駆使して考えて書いていますが、間違えていましたら誠に申し訳ございません🙇♂️ 今回はサブタイトルどおりの内容となっております😭 本シリーズは、次の第30話でラストエピソードを書いて完結する予定です。 全力で書いてまいりましたが、力足らずで未熟な内容となり、まことに申し訳ございません🙇♂️ なお、北条義時さんの四男・北条有時(ありとき)さんですが、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』には登場しなかったため、扱いをどうするか悩みましたが、とりあえず本文中には経歴を記載しました🙇♂️4,596文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 に想う
私は、父上が死に物狂いでやってきたことを、決して無駄にはしない 最終回 「報いの時」
今回は、北条泰時さんの視点のお話です。 急いで入力したため、あとで修正加筆する予定です🙇♂️6,953文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第27話 「介入」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第27話です。よろしくお願いします🙇♂️ ドラマの後の展開については、さまざまな資料を参考にしながら、貧弱な脳みそ😭を駆使して考えて書いていますが、間違えていましたら誠に申し訳ございません🙇♂️ 今回も話の内容が難しく😭、また家庭内のいざこざにより、難儀してしまいました😭 いよいよクライマックスが近くなりましたので、あともう少しお付き合いくださるとうれしいです🙇♂️3,789文字pixiv小説作品 - 時のかたみに
遠い呼び声
承久三年五~七月、平盛綱(鶴丸)から見た、過去の回想と承久の乱のお話。盛綱視点は書きやすいかと思ったのですが案外難しかったです。ドラマではかなり圧縮されていた承久の乱ですが、個人的には泰時と時房の大将軍姿を見られただけでもう満足でした。でもせっかくなので、『吾妻鏡』『承久記』『増鏡』からドラマと矛盾しない程度にエピソードを補ってみました。『承久記』は二系統あってややこしいのですが、慈光寺本の傲岸不遜な義時(メインビジュアルの黒執権そのもの!)と、日和見中の武田・小笠原を手紙一本でさらっと調略する有能すぎる時房が好き。ただなぜかメインのはずの瀬田・宇治の戦いが抜けているので、そこは古活字本で。こちらは泰時が大暴れしています(いろんな意味で)。盛綱が御大将の仰せを伝えにせっせと駆け回っているのも可愛い。あとさすがにそのままは使えなかったけど『増鏡』の義時と泰時の別れのシーンもしんみりして泣けます。たぶん創作だろうと言われているけど、わかるよ創作したくなるよね! と古の作者に勝手に同意したくなるのでした(←身の程知らず) 執筆時BGM:https://www.youtube.com/watch?v=ArQvRDWulns17,468文字pixiv小説作品 - 時のかたみに
都の春風
承久四年、都での初めての春を迎えた泰時の話。六波羅探題在任中の様子については資料が少ないのですが、当時の文化の中心地である都でいろいろな人から学んだ形跡があります。仕事は忙しかったでしょうが、もしかしたら泰時にとっては人生でいちばん自由で楽しい時間だったかもしれません。なお貞応二年七月頃までは、南方の時房が執権探題として朝廷との交渉などもメインに行っていたという説があり、この話ではそちらを採用しました。 西八条禅尼(千世)が住んだ西八条邸はもと平清盛邸で、のちに源氏将軍家の所有になったものだと知ったときは驚きました。政に関わることはなくとも、政子とは別の形で「後家」としての役割を果たしていたんだなと。話の中に出てくる「栂尾の上人」は明恵のことです。泰時との交流で有名ですが、仏教の素養が皆無の私には書けそうもなくあきらめました。代わりにご登場いただいたのが藤原定家。ドラマに登場しないかな、とひそかに期待していたのですがやはり叶わず(名前だけは出てきたけど)。いろんな意味で癖の強いお方なので、三〇さんがどう描くのか見てみたかったんですよね…。「お前は俗物だ、だからお前の作品は人の心を打つ」という台詞はわりと定家にも当てはまる気がして。じつはこの定家、義時より一年早く生まれ、泰時より一年早く亡くなっています。彼が55年に渡って書きついだ日記『明月記』は、『吾妻鏡』から現代の研究者にまでネタを提供しつづける貴重な同時代の記録。この方のおかげで現代に残った古典も多いので、平安鎌倉好きは足を向けて寝られません。この話の定家はもちろん捏造ですが、定家と猫のエピソードの前半は実話です。「べつに猫なんて興味なかったけど、妻と一緒に面倒をみるうちなついてきて可愛くなった」とか書いてあり……ツンデレか! ただ承久の乱前後の『明月記』は欠けているので、泰時と会ったことがあるかどうかも、当時また猫を飼っていたかもわかりません。でも猫を一度飼った人はまた飼いたくなるものじゃないかな?と。あとたぶんこの猫、名前はまだ無い(笑) p2は参考資料です。 執筆時BGM:https://www.youtube.com/watch?v=hcjkuKhwLOM10,438文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 に想う
あいつに勝(まさ)っていたはずの俺は、結局はあいつには勝てずに終わる 最終回 「報いの時」
今回は、三浦義村さん視点のお話です。 今日で中学校二学期が終わって冬休みに入り、甥っ子が私のスマホを使用する時間が圧倒的に多くなる(ていうか、ほぼ一日中😭)ので、当分の間は、投稿は遅くなると思います🙇♂️4,875文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
『時を継ぐ者』 基本設定
まだ大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は放送中ですが、ドラマの後の物語のシリーズの基本設定を考えてみました。 実際に最後まで書けるかどうか、まったくわかりませんが😭、がんばりたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いします🙇♂️ なお、このシリーズは、あくまでも二次創作ものですので、ご了承お願いします🙇♂️1,595文字pixiv小説作品 - 宇宙戦艦ヤマト × 鎌倉殿の13人
沖田十三の13人 最終回 「報いの時」⑧
なんだ、これ(・_・; お亡くなりになったあとも、息子の北条泰時さんを守ろうとする北条義時さん😭 う〜ん、これだと、北条泰時さんが名執権と言われるようになった理由がわかる⁉︎😭2,520文字pixiv小説作品 - 時のかたみに
星月夜
建保二年秋、時政の見舞いに伊豆を訪れる泰時と盛綱の話。 第42回「夢のゆくえ」のラストに置かれたエピソードですが、『吾妻鏡』の伝える時系列では、建暦三年5月和田合戦→建保三年1月時政死去→建保四年11月唐船建造開始→建保五年4月唐船入水失敗、という順序になっています。つまり実際はあの時点で時政はすでに亡くなっていたはずなのですが、演出上の意図があってあえてここに入れたと推測されます(夢幻のようなシーンでもあるので、ドラマとしてはあの流れで正解だったと思っています)。 ただし、この話では『吾妻鏡』どおりの時系列を採用し、和田合戦の翌年、時政死去の前年に泰時が伊豆を訪ねたことにしました。とはいえ「史実」にこだわっているわけではなく、あくまで話の進行上の都合です。映像では季節も曖昧に見えましたが、里芋の収穫時期を考えて秋という設定にしました。ついでに江間と修善寺を訪ねてもらったのは完全に私の趣味です。 「星月夜」は月がなく星が明るい夜のことで、「鎌倉」にかかる枕詞です(ただし定着したのは室町時代以降)。本物の月夜よりは暗いということで、「くら(倉→暗)」に掛けているらしいですが……鎌倉ってやっぱり暗黒のイメージなの!?(←多分違います) 我ひとり鎌倉山を越え行けば星月夜こそうれしかりけれ (藤原実成女『永久百首』) 詠まれたのは平安時代ですが、この歌を見たときに夜の山道をゆく泰時(と盛綱)のイメージが浮かびました。作者は貴族女性なので実体験ではないかもしれませんが、淋しいのに不思議な明るさがあっていて心ひかれる歌です。 執筆時BGM:https://www.youtube.com/watch?v=v_RnRdWSs4g11,333文字pixiv小説作品 暴れ馬の悲愴は毬を砕く
鎌倉を舞台にしたお話の二次創作です。本物は一切関係ありません。誹謗中傷の意図もありません。三代目鎌倉殿が暗殺された後に、安達景盛が哀しんで出家した事を泰時と盛綱に報告(文)する内容。文の中ではあえて幼少名でやり取りしてます。思い出話半分、鎌倉殿逝去による悲しみ、義時をあまり強く非難出来ないという色んな感情が混じる内容。本物汚さないで、二次創作無理という方は回れ右。3,100文字pixiv小説作品- 時のかたみに
波路の果て 下
貞永元年八月、鎌倉の海を前に。 やっとここまでたどりつくことができました。長い道のりだった……。御成敗式目の制定までは書こうと決めていたのですが、そこに至るには寛喜二年の時氏死去~寛喜三年の大飢饉という悲劇を避けて通ることはできないわけで。中世最悪ともいわれる大飢饉を引き起こした冷害については寒冷期だったとも、地球のどこかで起きた大噴火の影響だったともいわれているようです。異常気象に災害とくれば現代の私たちにも他人事とは思えませんが、さすがに飢饉でその辺に死体がごろごろしているような状況は想像を絶するものがあります。跡継ぎを含む子ども三人を失った痛手がまだ癒えない中で泰時もよくぞ立ち向かったと思いますが、むしろ仕事に打ちこむことで辛さを忘れようとしたというほうが正しいのかもしれません。御成敗式目がこの直後に制定されたのも偶然ではなく、当時でいう徳政、いわば「復興政策」の柱として打ち出されたようです。本来の対象だった御家人だけでなく庶民や公家・寺社にまで浸透することになったのは想定外だったと思いますが、それだけ幕府への期待が大きかったということなのでしょう。 竹御所(たぶん一幡の同母妹)を登場させるかどうかについてはずいぶん悩みました。でも、ただ不幸な女性として彼女をとらえるのは何か違う気がして。少なくとも彼女は周囲から大切にされていたようですし、政子の後継者となることを期待されていたふしもあります。彼女は彼女なりに置かれた立場で精いっぱい生きたのだと思いたくてこういう描き方になりました。 三浦義村の嫡男の泰村はのちにもう一人の泰時の娘と再婚したようですが、彼女も若くして亡くなってしまいます。つまり泰時は政子と同じく、少なくとも息子二人と娘二人を亡くしたことになるわけで(あああ……)。もしどちらかの泰村の妻が長生きして嫡男を生んでいれば、三浦一族の滅亡は少なくとももう少し先のことになったかも、などと考えてしまいます。 なお前半に引きつづき、泰時の和歌をかなり自由に使ってしまいました。個人的には、泰時も実朝も場所柄のせいか海に関する歌に印象的なものが多い気がしています。泰時の和歌は正直うまくはないと思うのですが(仮にも勅撰歌人に向かってすみません)、ふと浮かんだ感慨をそのまま詠んだり、あえて東国の地名を詠みこんだりしているあたりにそこはかとなく実朝の影響を感じるんですよね……。歌人としてより優れていたといわれる政村や貞時の歌より、現代人の目にはずっと個性が出ていて面白いです。ただ「言いたいことはなんとなくわかるけど言葉足らず」みたいな歌が多くて訳しずらいのも事実(笑)。なので正確な訳ではない可能性もありますがご容赦ください。苦難の連続だった泰時の人生ですが、歌という表現手段を得たことは、彼にとってささやかな慰めのひとつではなかったかと思います。 本編はこれで完結となりますが、あとはこれまでの連作に入れられなかった短いエピソードを小話集としてまとめる予定です。よろしければもう少しだけお付き合いください。 執筆時BGM:https://youtu.be/aHT8TRLgP-c22,688文字pixiv小説作品 - 時のかたみに
小話集 二
短いエピソード集その2。承久の乱以後の話です。この連作はこれにて完結となります。放送が終わって一年三ヶ月、まさかここまで引っ張ることになるとは自分でも思いませんでした。書きたかったことを書き終えて今はほっとしたような、淋しいような不思議な気持ちです。 最後のページは、この連作全体で参考にした本の一覧です。興味のある方はどうぞ。 ⑤村雨過ぐ 承久三年七月、承久の乱後に源具親(比奈の再婚相手)に会ったことを泰時に報告する朝時。『遠い呼び声』に入れる予定だったのがどうしても組みこめなかったエピソードです。朝時・重時兄弟はなんだかんだ具親親子と交流していて、親しみを感じていたことを想像させます。藤原定家によると具親は「歌人のくせに歌にはあまり熱心でなく、武芸をもてあそぶことを好んだ」そうですが、そういう人だから武家に親近感があったのかもしれません。比企も元は京にゆかりのある家で、比企尼の娘には歌人もいます。 朝時の話にちらっと出てくる夫婦は、『秋空に思う』で比奈さんと一緒に京へ上った萱野と弥七郎です。 ⑥彗星 貞応元年八月、彗星を見て泰時の成長を思い返す義時。この彗星は有名なハレー彗星です。もちろん彼らがそんな名を知るはずはありませんが、鎌倉の義時と京の泰時たちが同じ彗星を見上げていたと想像すると楽しいです。なにげに安倍晴明の子孫の陰陽師たちが鎌倉で活躍しているのも面白いところ。彗星や日蝕・月蝕などは正体がわかっていてもどこか不気味なものですし、当時の人にとってはさぞ不吉に思えたのでしょう。なお義時が亡くなるのはこの翌年です。 ⑦夕凪 寛元二年十月、泰時亡き後に時頼を見守る盛綱。この二年後に経時が亡くなり、時頼が五代執権に就任します。宝治合戦で三浦が滅びるのはさらにその翌年のことです。 平盛綱の没年は諸説あってはっきりとはわかりません。吾妻鏡では、宝治合戦の前に三浦泰村に時頼からの和平の書状を届け、合戦後にそれを回収して時頼に返すのが盛綱の活動の最後になります。三浦の滅亡を彼はどういう思いで目にしたのでしょうか。それにしても初さんの人生も政子様に劣らずハードモードですよね……。 歴史上はこの後も盛綱の孫(推定)と安達景盛の孫がガチバトルを繰り広げるとかいろいろありますが、結局盛綱の子孫の長崎氏は最後の得宗高時、「中先代」時行にいたるまで、泰時の子孫と運命をともにすることになります。 昔、永井路子氏の小説や湯口聖子氏の漫画がきっかけで鎌倉北条氏にはまり、吾妻鏡も読みかじったことがあったのですが、それが二十数年を経て大河で再燃するとは。もちろんドラマは史実そのものではありませんが、これだけ妄想をかきたてられたのは、やはり登場人物たちがとても魅力的かつ多面的に描かれていたおかげだと思います。キャストの方々が出演されている他作品(映画や舞台や歌舞伎)を観に行ったのも楽しい思い出になりました。 鎌倉へは長いこと行けていませんが、ようやく書き終わったので、いつかゆかりの地をゆっくり回ってみたいなと思っています。 ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございました! 執筆時BGM:https://youtu.be/x-vW0GpmyGQ15,794文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 × どうする家康
『御成敗式目』からつながる縁(えにし)に、私は 〜第73回紅白歌合戦〜 (28) 第9回 「守るべきもの」
なんだ、これ(・_・; おかしすぎるだろ、タイトルが(・_・; 2022年の第73回『紅白歌合戦』で、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の北条義時さん役の小栗旬さんから、『どうする家康』の徳川家康さん役の松本潤さんにバトンタッチされた企画場面を元にしたお話です🙇♂️ 歴史IFではありますが、徳川家康さんが北条泰時さんと対面したならば、狂喜乱舞したことでしょう☺️ すみません、戦国時代はあまり詳しくないので、史実は参考にしているものの、適当に書いています🙇♂️ しょせんはギャグ小説なので😅 ようやく、一部ではありますが、ドラマ本編に食いこむことができました😭 ここまでくるのに、時間がかかってしまいました😭5,215文字pixiv小説作品 - 時のかたみに
波路の果て 上
貞永元年七月、和賀江島築港中の由比が浜にたたずむ泰時。 この連作もようやく終わりに近づきました。おなじみの人々が次々に世を去っていくのはやはり書いていてしんどいものがあります。貞永元年の時点で存命なのは、泰時たち兄弟と初、盛綱、時房、三浦義村・光村、安達景盛、結城朝光、長沼宗政、千世、あと後鳥羽上皇くらいでしょうか(のえさんは史料では没年不明)。 政子が最後に日照りと疫病のため盛大な僧供養を発案したことは吾妻鏡にあり、なんとなく『源氏物語』御法巻の紫の上を連想させます。しかもその後本当に雨が降っていたりして、大江殿が「尊い……』とうっとり拝んでいそうな。 今回は話の進行上、ドラマやこれまでの話には出てこなかった人たちが何人も登場しています。特に泰時の息子たち。個人的にドラマの初は「三浦義村の娘」と「安保実員の娘」を合わせたようなキャラだと思っているので、時実くんも仮に初の子ということにしておきます。頼全くんがドラマでは実衣の子のように描かれていたのと同パターンで。時氏は承久の乱の話で出そうか迷ったのですが、通称が泰時と同じ「太郎」なので紛らわしくなりそうで出せませんでした。実はあのときもいたということにしてやってください……。 前に難しくて書けないと言った明恵さんですが、少し調べただけでもじつに魅力的なお方。肖像画にはほんとに小鳥や栗鼠が描きこまれていたりします。泰時との歌の贈答がまたいいんですよね。宇都宮頼綱との関係といい、泰時はどこか年上の相手に対して甘え上手なところがある気が。父との関係が実際どうだったのかはわかりませんが、やはり愛されて育った人なのかなという雰囲気は感じます。 孫の戒寿くんは言わずと知れた後の五代執権、時頼です。彼の乳母夫が平盛綱というのがまた美味しいポイントですね。完全に「お坊ちゃまとじいや」の関係性で。あと、ドラマに一切出てこなかった諏訪盛重を名前だけでもここで出しておきたかった理由は、某漫画をご存じの方ならきっとわかってくださるかと。 お話は後半へと続きます。 執筆時BGM:https://youtu.be/2zKeW_ksfys13,713文字pixiv小説作品