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源為朝

みなもとのためとも

源為朝とは、平安時代末期の河内源氏の武士である。古今無双の弓の名手として知られる。
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概要

生没:1139年~1170年?

平安時代末期に活躍した、清和源氏の為義流(河内源氏)の武士。
父は河内源氏の祖・源為義、母は江口(現在の大阪府大阪市東淀川区にあった歓楽街)の遊女だったとされる。

源為朝は、の名手として名高い、平安末期の武将。大人五人でようやく引ける「五人張りの弓」を常用し、その弓はを着た武士の体を射抜くほどの威力だったという。しかも為朝の弓は狙い過たず兜の星を射るほどの正確さを持っていた。

生涯

少年時代、その乱暴狼藉に手を焼いた父の為義九州に追放されるも、現地で「鎮西総追捕使」を勝手に名乗り、わずか3年の内に九州を平定する。現地の武士を従えて「鎮西八郎為朝」の通称を奉られる(鎮西は九州の別名)。
この蛮勇が香椎宮の宮司によって知らされたことで、朝廷から出向命令を下される。当初は突っぱねていたが、父が自分の蛮勇で職を解任されたと聞き、九州の猛者たちを引き連れて京へと帰参した。

保元の乱では父と共に崇徳上皇側につき、九州武士28騎を率い、兄の源義朝率いる200騎の関東武士と対戦。最終的には破れるものの、鬼神の如き活躍をみせた。

伊豆大島に島流しされた後も、島々で暴れまわり、代官の婿となって伊豆七島を支配する。最後は朝廷からの追討で自害したと言われ、後世の伝説では琉球に逃れたという。
日本史上、最初に切腹で果てた武将とも語られている。

外見

「保元物語」によると、切れ長の眼をした2mを超える大男で左腕が右腕より長かったらしい。強い弓の名手だったのもこの身体のためと思われる。

親族

源為義の八男で、源義朝の異母弟。源頼朝源義経の叔父にあたる。琉球王国の正史『中山世鑑』によると、初代琉球王舜天がこの為朝の子だという。ただし、編纂者の羽地朝秀が清和源氏を名乗っていた当時の琉球支配者・薩摩藩の歓心をかおうと執筆したという説もある。

平安時代のモビルスーツ

 成人男性の平均身長が160センチ前後の時代に身長2m越え、さらに放つ矢は一撃で300人が乗れるほどの軍船を轟沈させる。腕も左だけ四寸(12cm)長いと言われ、これが為朝を無双の弓取りとした強さの秘密と云われている。
 日本史上空前絶後の武勇を誇る武士といって間違いないと思われる。
 そんな彼にNHKの大河ドラマ「平清盛」の人物紹介で書いた言葉が「平安時代のモビルスーツ
 演じた俳優が大柄なのもあって現場での通称が「ガンダム」だったとか。
 実際放つ矢はビームライフル並である。
威力もさることながら、精密さは先にもある通り。

 また伊豆へ流刑となった際、二度と弓が引けなくなるよう腕の腱を切って力が入らないようにしたにもかかわらず、伊豆で反乱を起こした頃には三人張りの弓を引けるまでに快復し、しかも腕がさらに二寸ほど伸びてより弓を引きやすくなっていたとまでいわれている。上記軍船撃沈のエピソードはこの時のもの。……完治して五人張りが再度引けるようになったら、どうなっていたことか。
 あんたほんとに人間ですか!?(汗)

登場作品


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