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久安6(1150)年~建久4(1193)年?


概要編集

河内源氏源義朝の六男で、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝は異母兄、源義経は異母弟にあたる。

出生地は遠江・蒲御厨(現在の静岡県浜松市)であり、長じてからは「蒲冠者」とも呼ばれた。母は蒲御厨の東隣にある池田宿(現在の磐田市)の遊女とされる。

晩年は武蔵国横見郡吉見郷(現在の埼玉県比企郡吉見町)を領したことから、「吉見御所」と尊称された。このため吉見範頼と言われることもある。三河守任官以降は「参州(三州)」と呼ばれたりもしている。

治承4(1180)年の頼朝の挙兵からしばらくの動向は不明であり、史料にその名前が初めて登場したのは寿永2(1183)年になってからである。


頼朝の代理として編集

寿永3(1184)年、平氏や頼朝と対立関係にあった源義仲討伐に総大将として派遣される。宇治・瀬田の戦いで義仲軍を、一ノ谷の戦いで平氏軍を破り成果を上げるが、戦いに先立って配下の御家人たちと先陣争いをするなどの所業が頼朝の耳に入り、一ノ谷の戦いの後に謹慎を命じられている。6月に謹慎が解けた後、これまでの功績により三河守に任じられた。

さらに平氏討伐のため西国への侵攻を命じられたが、元々西国を地盤とし、瀬戸内海を水軍で抑えていた平氏相手に長大となった補給路を海から断たれ、備前藤戸の戦いでその平家水軍の根拠地である児島の篝地蔵(岡山県倉敷市)を落としたものの、それでも兵糧不足に悩まされ配下の御家人の不満も高まり全軍崩壊の危機さえあった。しかし粘り強く兵を統制し、豊後緒方惟栄臼杵惟隆の船の提供で九州に上陸し豊前筑前を進撃・平定したことでようやく兵糧問題も解決することができ、屋島の戦いで義経軍に敗れた平氏軍の退路を断つことに成功した。窮地に立たされた平氏は乾坤一擲の戦いに臨まざるを得なくなり、壇ノ浦の戦いの敗戦と平氏滅亡へと進むことになった。


源氏一門として編集

範頼の地位は西国派遣軍の総大将としてのみならず、先に三河守に任じられたことでもわかる通り、頼朝の弟として相応のものが与えられている。

末弟の義経がその独断専行ぶりで頼朝の不興を買い、遂には追われる身になってしまった一方で、範頼は出しゃばらずひたすら頼朝に対して従順に尽くした結果、鎌倉武士団の中でも源氏一門のみ与えられる上級御家人の地位である「御門葉」として扱われる。他の御門葉が国司の位だけでなく、相応の領地と自前の武士団という後ろ盾を持つ有力者でもあるのに対し、範頼にはそのような後ろ盾はなく、それだけ頼朝からの評価を得ていたことがうかがえる。


没落編集

建久4(1193)年5月28日、鎌倉武士団を率いて富士へ狩りに出かけた頼朝が「討たれた」との報が鎌倉に届く。これは「曾我兄弟の仇討ち」事件が起こったことによる混乱から届いた誤報であったが、これに狼狽した北条政子に対し範頼は「後にはそれがしが控えております」と言った。

これを聞いた頼朝は範頼に謀反の疑いがあるとして、8月2日に起請文を提出させたが、その際に「源範頼」と名乗ったことを不快に思った(この時代の名字と姓名は別であり、「源」姓を使うのは頼朝とその直系にのみ与えられた特権であり、弟とはいえ家来である範頼が名乗るのは許されず、本来なら「吉見」姓を名乗るが筋である)。

8月10日夜、範頼の家人である当麻太郎が頼朝の屋敷に忍び込んでいたところを捕縛される。当麻は頼朝の判断を探るために行ったと語り、範頼への怒りを爆発させることとなった。

17日頼朝は範頼を伊豆修善寺へ配流した。

その後の消息は不明であるものの伊豆の日技神社にて、梶原景時と合戦におよび戦死した説、武蔵越前に落ち延びたなどの説がある。


範頼の舌禍については、南北朝時代に執筆された歴史書「保暦間記」にしか記されておらず、同族の排除を狙った頼朝、または「将軍の弟」という地位に脅威を感じた北条政子の陰謀であるとの説がある。



範頼流吉見氏のその後編集

ちなみに子どもたちには累は及ばず吉見氏として存続し能登や石見などに土着。戦国時代に津和野(島根県西部)を拠点とした石見吉見氏の当主だった吉見正頼大内義隆毛利元就に仕え活躍し名を挙げた。しかし江戸時代初期に正頼の孫・吉見広長毛利輝元に誅殺され、後を継いだ吉見政春(吉川広家の次男)はのちに大野毛利家を興し毛利就頼と称したため吉見氏は絶えてしまった。


関連タグ編集

源氏 源頼朝 源義経

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