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勧進帳

かんじんちょう

(1)日本仏教の道具のひとつ。仏門布教のため、入信者の名を記録するための帳面。のちに寺社仏閣へ寄進の概要・寄進者・寄進した金品を記す記録帳となった。 (2)歌舞伎の演目。源義経の都落ちを描いた一段で、「歌舞伎十八番」にも数えられる有名な演目。特に主役である武蔵坊弁慶の勧進帳読み上げと、終幕で義経を追いかける「飛び六法」の所作で知られる。
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勧進帳とは――

  1. 日本仏教における道具(帳面)の一種。
  2. 1.に由来する歌舞伎の演目。

帳面としての「勧進帳」編集

仏教において、仏門を布教して入信させることを「勧進」と言い、僧侶の重要な使命とされてきた。

この際、入信者の名前を記録する名簿が勧進帳である。


これが時代が下っていくと、寺社仏閣が祠堂や社殿の改築をおこなう際の理由を記した弁明書へと変化し、さらに寺社仏閣に寄進(信仰心を理由とする寄付)を為したものの名前と寄進した金品の詳細も加えて記した台帳になる。


歌舞伎十八番「勧進帳」編集

源義経の都落ち伝承の一場面「如意の渡し」を描いた歌舞伎の演目。


元はの一曲『安宅(あたけ)』を歌舞伎として改訂したもので、江戸時代の元禄期に初代市川團十郎が創始したのが最初とされる。

後に歌舞伎以前の伝統芸能を歌舞伎に書き替えた「松羽目物(まつばめもの)」の嚆矢ともされる。


あらすじ編集

源頼朝の怒りを買った源義経は、都から落ち延び追っ手を振り切るために東北を目指す。

途中、加賀国の安宅のを越えるため、義経一行は強力(ごうりき/山伏)に扮して関所の役人の目を欺くことになる。

しかし関守の富樫左衛門(とがしさえもん)は、既に義経一行が山伏に扮してこちらへ向かっていることを掴んでおり、山伏の関所越えを禁止するよう命じていた。


関所にたどり着いた義経一行は、源平合戦で焼損した東大寺の補修工事のための勧進に回る山伏を演じるが、関所の役人と富樫は頑として聞き入れようとしなかった。

これに武蔵坊弁慶を始めとした一行は、憤りながらも「調伏の呪文」を唱えて富樫たち関所の役人を混乱させ、本物であると信じ込ませようする。

これに参った富樫は、彼らの目的が勧進であることを思い出し、勧進帳を読み上げてそれを証明するよう言い渡す。対する弁慶は、丁度懐にあった白紙の巻物をあたかも勧進帳に見立て、澱みなく肝心の趣旨を朗々と読み上げていく。(これが表題でもある「勧進帳読み上げ」の段)

さらに富樫の山伏の秘法について問い、これにも弁慶は明解に答える。


ここまで見事に山伏に成りきった義経一行を見て、富樫は彼らを本物の山伏と認めて関所の通過を許す。

しかし富樫の部下が去ろうとする一行を呼び止め、義経が扮する強力の纏う華奢で優雅な雰囲気を訝しみ、笠で隠した素顔を晒すよう命じる。

これに慌てた弁慶は、咄嗟に義経を金剛杖で激しく打ち据え、罵倒しながら折檻し始める。これを見た富樫と役人は驚き、弁慶を制止して一行を関所から立ち去らせた。

※当初は富樫がまんまと騙された筋書きだったが、のちに全てを理解しつつ一行の忠義に心打たれて騙させる振りをする人情の好漢へ変更された。


関所を過ぎた後、義経は弁慶の数々の機転に感心して褒め称えるも、弁慶は主君に狼藉を働いたとして深々と詫びる。それを義経は弁慶の手を取って快く赦し、かつて共に合戦で戦った日々に思いを馳せる。

そこに富樫が登場し、関所での非礼を詫びて一行に酒を振る舞った。弁慶は大きな盃に注がれた酒を飲み干すと舞を披露し、その隙に義経たちを先に行かせ、富樫が去った後に弁慶も義経の後を追って立ち去った。

※この舞台から去る所作が有名な「飛び六法」と呼ばれる。


関連タグ編集

ノート 仏教 名簿


歌舞伎

十八番

源義経 武蔵坊弁慶 富樫左衛門

変装 逃避行 人情


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