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市川猿之助

いちかわえんのすけ

日本の歌舞伎役者の名跡。またはその名を名乗る歌舞伎役者・俳優(メイン画像は当代)。
目次 [非表示]

概要

市川猿之助は歌舞伎役者の名跡である。明治時代半ばにつけられた比較的新しい名跡であるが、2代目以降の活躍目覚ましく、今日では一般にもよく知られた名跡である。

屋号澤瀉屋


澤瀉屋における猿之助の地位

今日、市川猿之助の名跡は澤瀉屋にとっても重要な名跡で、歴々の当主が名乗ることも多い名前である。

しかしながら「~之助(~之介・~ノ助など)」と名乗る名跡は本来主に幼名とされる名前で、若いまたは子供の役者が名乗るものであるとされている。初代猿之助がこの名を貰った時、まだ15歳の若さであり、名題下の門弟という立場もあり、この名が使用されたと言える。

初代猿之助は後述する紆余曲折を経て、師匠である九代目市川團十郎の高弟として、その死後に名跡「市川段四郎」を貰い受け、二代目として名乗った。そのため本来澤瀉屋の当主が最終的に襲名すべき名は「段四郎」の方であった。


だが、二代目猿之助の代をもってなお、名目的にも(この時点では)実質的にも市川宗家・成田屋の門弟筋という立場であったため、新興の家として他の権門の家のように二度、三度と襲名を繰り返すようなことは困難である、と見ていたようである。そのため、二代目猿之助は父の死後も三代目段四郎を名乗らず、代わって長男に(猿之助を名乗らせず直接)三代目段四郎を襲名させた。

この二代目の「妙案」により、「澤瀉屋は猿之助と段四郎の二つの名跡をトップとする家である」「澤瀉屋の当主は一代ごとに猿之助と段四郎を交互に襲名する」という形式が不文律として成り立った、と今日では語られる。

二代目の孫であり、三代目段四郎の長男であった喜熨斗政彦は、この形式の通り祖父の名であった三代目猿之助を名乗った。しかし四代目段四郎はその長男には受け継がれず、代わって三代目の弟が四代目段四郎と名乗った。

後述するが、三代目とその長男は長らく義絶状態にあり、自らの直系血縁に後継者を持たなかった。その後、四代目段四郎の長男が四代目猿之助を襲名している(当代)。しかし四代目猿之助にも(現時点で)後継は無く、歌舞伎界に舞い戻った三代目の長男のそのまた長男(三代目の孫、現五代目市川團子)が目下その後の後継者と見做されている。


一方近年では、二代目猿之助は成田屋一門の大番頭として、三代目は「スーパー歌舞伎」など近現代の革新的な芸の体現者としてそれぞれ重鎮となったが、三代目段四郎は父と半年違いという早さで若死にし、四代目段四郎は兄の座頭公演をはじめ主に脇役に重きを置いたことから、メディアなどでは「猿之助は段四郎を差し置いて澤瀉屋ナンバー1の名跡」と解釈されることも多い。

ただ、四代目猿之助と五代目市川團子が誕生した時点で、近く名跡体系の統合が行われるのではと推察される向きがあった。すなわち、四代目市川段四郎が歿した後、四代目猿之助が五代目段四郎を継承する。團子は五代目猿之助を継承し、四代目猿之助改め五代目段四郎が歿した際には、六代目段四郎を襲名する、というような予測である。これにより、初代以来の名跡の位置に舞い戻ると言える。


ただし、2023年に後述する事件が発生したことにより、猿之助の名は「止め名」、すなわち襲名者を出さずに封印されるという説も囁かれ出している。今後この名がどうなるのかは見通せていない。


下記より、歴代の猿之助それぞれについて記す。


初代

初代市川猿之助(1855–1922)は、後の二代目市川段四郎。本名は喜熨斗亀次郎であり、名跡「市川亀治郎」はこの初代の本名に由来する。

江戸浅草に立師(立ち回り、いわゆる劇中の争い事や格闘・剣技などのシーンの振付を行う人)の坂東三太郎の子として生まれ、はじめ十三代目市村羽左衛門(後の五代目尾上菊五郎)門下で市村長松と名乗り子供芝居で初舞台。その後羽左衛門の父の義従弟にあたる五代目坂東彦三郎門下に転じ、坂東羽太作を名乗る。

更に初代河原崎権十郎(後の九代目市川團十郎)門下に転じて1870年、山崎猿之助の名を戴く。猿之助の名はこの時に初めて授かっている。ちなみに山崎姓は権十郎・権之助ら河原崎一門によく見られる姓で、屋号の山崎屋から来ている。しかし、他の門人との軋轢を起こして小芝居に勝手に出演た挙句、師匠に無断で「勧進帳」の弁慶を演じたことが師の逆鱗に触れ間もなく破門された。

その後20年に渡り「松尾猿之助」の名で活動し旅回りなどで芸歴を歩んだ。余談だが、松尾の姓は使われていないものの、名前として初代の次男が使用した(市川松尾、後に八代目市川中車)。

1890年、ようやく師から破門を解かれ、その頃師が既に市川宗家に戻って團十郎となっていたことから、ここで「初代市川猿之助」を始めて名乗る。よく誤解されるが、市川姓になったのはこの時が初めてである。翌年には名題に昇進、以後は市川一門の重鎮として活躍した。

九代目歿後の追善興行では一門を代表して口上を述べるなど、宗家からも重用される。1910年に55歳で二代目段四郎を襲名し、1922年に没した。


二代目

二代目市川猿之助(1888–1963)は、初代の長男。後の初代市川猿翁。本名は喜熨斗政泰。

弟に八代目市川中車、初代市川壽猿(早世)、二代目市川小太夫、市川芝海老(早世)。甥に評論家の喜熨斗勝(小太夫の三男)と舞踊家・二代目花柳泰輔(妹の子、泰輔の子に十一代目市川高麗蔵)がいる。

1892年に初代市川團子として初舞台。なお師は父と同じく九代目團十郎とされており、この頃までは御曹司と扱われず門弟扱いだったと見れる。父が市川段四郎を名乗ることとなったため、1910年に二代目猿之助を襲名。以後53年の長きに渡り猿之助を名乗り、その名を大きく育て上げた。

欧米への留学を経て幅広い知己を得、以降の子孫たちにも高い教養を求めるなど「学問の澤瀉屋」の異名の祖とも言える存在であり、それらの知は以降の舞台でも活用された。

九代目團十郎の死後、市川宗家は長く当主不在の状態が続いた。ちょうど二代目襲名に前後して九代目の娘婿(後の市川三升、贈十代目團十郎)が宗家当主を名目上継承したものの、彼は元々銀行員で上方などで修業をしたもののいかんせん舞台の上では技術不足であり、市川宗家の芸は門弟たちによって後継者が本決定されるまで守られることとなる。

その中でも特に最も重きをなしたのが二代目猿之助だったと言え、この頃に澤瀉屋の力は大きく高まった。しかし、前述したように親子間で二度、三度と襲名を繰り返すにはまだ力不足と考え、二代目は段四郎の名を自らが継がず長男に渡し、ここより100年近く、猿之助と段四郎の名は分離された。

最晩年の1963年に孫に猿之助の名を譲り、自らは初代市川猿翁を名乗ったが、猿翁の名はこの襲名興行の最中に名乗ったきりであり、その後舞台に立つことは無く、興行から僅か2週間後に75歳で歿した。

ちなみにこの襲名披露興行への出演は本当に危険な状態で行われたらしく、舞台上でいつ倒れてもおかしくないため、傍らに主治医が待機している状態で行われている。なお、この主治医とは、後に100歳を越えて現役であった長寿の医師・日野原重明氏その人であった。


三代目

概要

三代目市川猿之助(1939–2023)は二代目の孫。二代目の長男・三代目市川段四郎の長男。「スーパー歌舞伎」の祖。現・二代目市川猿翁。本名は喜熨斗政彦。


幼少期から親の死

祖父・父から受け継いだ市川團子の三代目として1947年に初舞台。この頃には祖父の権威も高まり、三代目は幼少期より梨園の御曹司として過ごす。

しかし1963年、祖父と父が相次いで病魔に侵され、同年に猿之助の名を祖父から受け継いで三代目となる。まだ23歳であった。襲名直後の6月に祖父・猿翁(二代目猿之助)を亡くし、同年の11月には父・段四郎をも亡くすこととなる。

当時の市川宗家・十一代目團十郎は前名の海老蔵から「花の海老様」として知られた一方、些細なことで激怒する癇癪持ちでもあり、三代目もその直前に彼の逆鱗に触れていた(一説には「雪之丞」という新名跡を作って名乗りたいとか、白猿(同じ「猿」の文字が入っているが團十郎代々の俳号または隠居名として使われる)を名乗りたいと言って、却下されたという)。そのこともあってか宗家に頼ることもなく、加えて十一代目も間もなく(1965年)死去し、後に残されたのは自分より年下の長男であった(後の十二代目團十郎)。

ちょうど女形の頂点にあった六代目中村歌右衛門から傘下に入らないかと誘いを受けるも固辞、三代目は自らの道を開拓する道を歩む。この事に関しては目上の役者からの反感もあったとされる(なお、歌右衛門の庇護に入った三代目實川延若とは、上方由来の派手な芸の伝承を通じて親密になり、延若は晩年スーパー歌舞伎にも参加している)。

とは言え自ら立ち上げた「猿之助歌舞伎」をヒットさせた。上方の役者からケレンの強い演出や、宙乗りなどを学び、それを現代に復活させることで、観客の目にも強い印象を残すことに成功している。宙乗りは三代目猿之助の芸の代名詞の一つともなり、更に彼による復活を経て徐々に他の演目でもこの演出が増加するようになるなど、後には歌舞伎界全体に与えた影響も大きかった。

三代目自身の華やかさも相まって、三代目率いる一座の公演はヒットを続け、スターの道を歩むこととなる。結果としては、年配役者たちの声を振り切って独自の道を歩んだことで、成功を収めた形となった。


家族関係

一方私生活の乱れも目立った。祖父や父を亡くした翌年に年上の女優・浜木綿子と結婚をするも、長男・照之が生まれた数年後に離婚。長男は浜に引き取られ(そのため浜の本名の苗字である香川姓を名乗った)、後継者を失った。またこの離婚劇は、三代目自身の不倫によるものである。

この不倫相手というのが、よりにもよって歌舞伎と縁の深い日本舞踊の最大流派、藤間流宗家・六世藤間勘十郎の妻である藤間紫であった。浜も三代目より5歳年上であったが、紫は16歳も年上である。幼い頃からの初恋の相手だったそうである。

紫の夫、勘十郎はまた紫より24歳、三代目から見たら40歳も年上であった。そんなわけでこんな関係になってしまった…と言われる。なお、勘十郎は三代目の踊りの師匠でもあった。こういうこともあって、同じ藤間流のもう一つの流派である藤間勘右衛門家の当主でもある二代目尾上松緑(四世藤間勘右衛門、十一代目團十郎の弟でもある)から煙たがられたとされる(三代目の派手な演出の歌舞伎を、松緑は「あれは喜熨斗サーカスだ」と揶揄したとか)。

紫の離婚は1985年を待たねばならず、更に三代目と紫が結婚したのはその後の2000年となった。勘十郎は六世と紫の長女が継ぎ、長男は紫の籍に入っている。紫は舞踊流派「紫流藤間派」を創設したが、2009年に彼女が死去すると三代目猿之助が「二代目藤間紫」を名乗って紫流を継いでいる。その後は、紫の長男の長女に三代目藤間紫を与えて後継者とした。


一方で自らの家系に相変わらず後継者がいなかった三代目であるが、長男は図らずも本名で俳優としてデビュー。これが香川照之である。

しかし、デビュー後に父に会いに来た息子に対して「舞台前の大事な時に会いに来るな」「私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。だから、今の私とあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません」と訣別の言葉を投げかけている。この辛辣な態度を取った三代目に対し、弟の四代目段四郎は「どうしてそんな酷いこと言うんだろうね」と優しく慰めたのだという。このエピソードからも、三代目の気が強くともすれば唯我独尊的な性格と、対照的な段四郎の控え目で気配りの出来る性格が見えてくると言える。

そんな感じで父子の関係は再び断絶状態に陥ったのであるが、照之に長男が生まれた2004年頃から風向きが変わった。後述する様々な出来事で精神の弱っていた三代目であったが、長年の同棲を経てようやく妻となった紫の口添えもあり、この頃ようやく親子関係は修復に向かう。

2007年に大河ドラマ初出演を果たした照之の従弟、二代目亀治郎(現在の四代目)が大河のスタッフと円滑に話が出来るよう、挨拶回りを済ませてくれたのも照之であったとされ、澤瀉屋一門との和解が進んだ。前述した2009年の紫の葬儀では照之は親族席に座り、そして2012年、照之は息子の政明と共に歌舞伎の初舞台を踏むこととなった。


壮年期以後、猿翁襲名

長男との関係修復までの三代目のその後も一部記す。猿之助歌舞伎を成功に導いた三代目は、1986年に派手な立ち回りを用いた新作「ヤマトタケル」を上演。これが「スーパー歌舞伎」の始まりである。

市川門之助親子や、三代目延若の他、中村信二郎(現・二代目錦之助)、坂東彌十郎、九代目澤村宗十郎、また初代の師匠の元の名を引き継いだ三代目河原崎権十郎らと共演しながらこれらの上演を成功させていく一方で、自らが見出した弟子たちを部屋子として引き立て、幹部級の役に投入することでこれまでの家系を重視した歌舞伎俳優の在り方にもメスを入れている。

幼少期から部屋子とした初代市川右近(現・三代目市川右團次)を始め、二代目市川猿弥・二代目市川笑也・市川段治郎(後に市川月乃助を経て現在の二代目喜多村緑郎)・二代目市川春猿(現・河合雪之丞)・三代目市川笑三郎・市川弘太郎(現・二代目市川青虎)らを輩出。特に笑也、段治郎、春猿は国立劇場歌舞伎俳優研修所出身であり、当時あまり出世の芽に恵まれず「脇役俳優の養成所」と揶揄されがちだった同研修所出身者に希望を与える一端となった。


だが2003年末、三代目は突如倒れる。当初脳梗塞と言われたその症状は、実はパーキンソン病を発症してしまっていた。加えて、三代目が一代で築き上げた猿之助一座も、その頃はチラホラと抜けが目立ち始めていた。中でも衝撃的だったのが同年7月の段四郎・亀治郎親子の一座離脱である。曰く外の世界で修業してみたかったという亀治郎の意をかなえた形となったとされるが、この事に加え三代目の発症は猿之助一座に激動の状況を与えることになった。


残された一座に参加していた幹部俳優や三代目の弟子たちは「二十一世紀歌舞伎組」(元は三代目が健在の頃、一門の若手を中心として作った集団である)として三代目の創った数々の演目をこなし奮闘する。この頃の中心となっていたのは右近と段治郎であった。

そして2012年、三代目の長男であった照之が息子を連れて歌舞伎界入りすると共に、段四郎・亀治郎親子が一座に復帰。同年の襲名披露を以て三代目はかつて祖父が最晩年に名乗った隠居名「猿翁」を二代目として襲名し、猿之助の名を亀治郎に譲ることとした。照之には叔父がかつて名乗り、永らく空位だった「市川中車」の名を九代目として与え、その子・政明には本来の後継者として澤瀉屋当主代々の幼名「團子」の五代目を与えた(注:四代目團子は段四郎)。


猿翁襲名後もその体調は芳しくない。襲名披露興行には何度か出たものの、同じ名を名乗った祖父同様、舞台上の経歴は殆ど無い状況にあった。


2023年9月13日、不整脈により83歳で死去した。


賞歴

1987年にフランス芸術文化勲章オフィシエを受章。

翌1988年の都民文化栄誉章に始まり、1990年芸術選奨文部大臣賞、2000年紫綬褒章を受ける。2010年には文化功労者に選出された。

2023年の没日に合わせ、従四位・旭日中綬章が追叙(没時叙勲)されている。


四代目

四代目市川猿之助(1975–)は2023年現在、当代の市川猿之助である。本名は喜熨斗孝彦


概要

四代目・市川段四郎の長男。二代目・市川猿翁(三代目・猿之助)は伯父、その長男の俳優・香川照之(九代目・市川中車)は従兄、五代目・市川團子は従甥、十一代目・市川高麗蔵とサッカーコーチ(2021年よりセルビア代表コーチ)の喜熨斗勝史はそれぞれ再従叔父(親の再従兄弟)にあたる。

1975年11月26日生まれ。


二代目・市川亀治郎から四代目・市川猿之助へ

1983年7月に二代目市川亀治郎を襲名し初舞台を踏む。1998年名題昇進。

その後2012年6月に「四代目市川猿之助」を襲名した。

2017年10月9日、スーパー歌舞伎「ワンピース」の公演中に負傷、左腕開放骨折により途中で降板。この時の代役は尾上右近が務め、翌年の2018年公演は右近とのダブル主演となっている。


歌舞伎役者の家に生まれ、舞台に立ちながら慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業した高学歴を生かして、クイズ番組にたびたび出演している。


歌舞伎のみならず、現代劇においてもテレビドラマ『半沢直樹』2期にて従兄の香川と共演している。


主な出演作


表記揺れ

市川亀治郎 亀治郎 猿之助

市川亀次郎(漢字間違い)


不祥事

2023年5月18日、NEWSポストセブンにてパワハラ・セクハラ疑惑が報じられた。

その同日に一酸化炭素中毒が原因で両親と共に自宅で倒れ、意識が朦朧としている状態と報道された。発見したマネージャーからの通報を受け、3人とも病院に搬送された。母親は自宅で死亡を確認、父の段四郎も搬送先で死亡が確認された。


猿之助本人も一時は意識が朦朧としていたが、幸いにも一命を取り留め、徐々に会話が出来るほどまで回復したため19日に退院した。


なお、近くに遺書のようなものがあったことから一酸化炭素中毒が故意によるものとの疑いもあり、一家心中の可能性も視野に捜査が進められている。猿之助氏も警察の聴取で「家族と話し合って決めた」と語っており、全員合意の上での一家心中の可能性が高くなった。ただ、猿之助氏が睡眠薬やビニール袋など心中の際に使用したものを調達した可能性が高まったため、警視庁は自殺幇助罪を視野に捜査を進めている。そして2023年6月27日、母親に対する自殺幇助の疑いで逮捕状を出したことが公表され、同日に逮捕された。

その後、同年7月18日に父親に対する自殺幇助罪でも再逮捕された。


なお、週刊誌報道に関しては所属事務所が「複数のマネージャーに聞き取り調査を行ったところ、弊社関係者内ではそのようなハラスメントは確認できなかった。」と否定し、「弊社外の関係者についても引き続き調査を行っていく」とコメントした。


この騒動の影響を受け、同年6月公開予定だった「緊急取調室FINAL」が無期限延期となった。また、逮捕を受けテレビ朝日系列は『最初はパー』をはじめ猿之助の出演作品の配信停止措置を行った。また、NHKでも大河ドラマ『風林火山』『鎌倉殿の13人』などが配信停止されたが、NHKにおいては後に配信を再開(この際、局の方針として「出演俳優の不祥事を理由に配信を停止することは今後しない」と決定している)。


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