概要
概要
大和屋の重要な名跡の一つで、今日ではそれに連なる大和屋宗家・坂東三津五郎に次ぐ程の格を得たとも言える。
ただし、元々は若手や幼少時に名乗る名前であり、当代が名乗ったのも14歳の時。五代目が一代でその名を大きくしたとも言える。
初代が三代目坂東三津五郎の養子となり、子役時代にその名を使用した。二代目は初代の養子であったが後に離縁している。
三代目は歴代唯一の女性で、舞踊家だが若手歌舞伎や女歌舞伎にも出演した。三代目の父は江戸三座の一つ、森田座(守田座)座元名跡十二代目守田勘彌であり、兄に七代目坂東三津五郎・弟に十三代目守田勘彌を持つ。
十二代目の養父・十一代目勘彌は四代目坂東三津五郎でもあり、それ以前の九代目勘彌など代々座元・喜の字屋と役者・大和屋に密接な関わりがあり、今日の複雑な名跡関係の基となっている。
四代目は、三代目の弟、十三代目守田勘彌の養子。実母は三代目の妹であった。初名として四代目玉三郎を名乗り、その後三代目坂東志うかを経て、養父(叔父)の死の翌年・十四代目勘彌を襲名した。
次より記す当代(五代目)は、その四代目が門閥外から敢えて選び取った養子である。