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足利基氏

あしかがもとうじ

足利基氏とは、南北朝時代に活躍した武将である。足利尊氏の四男。
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室町幕府初代将軍足利尊氏の四男。初代関東公方として兄で二代将軍の足利義詮を助けたが早逝した。


プロフィール編集

生没年:興国元/暦応3(1340)年~正平22/貞治6(1367)年

最終官位:従三位左兵衛督


父:足利尊氏

母:赤橋登子(鎌倉幕府16代執権赤橋守時の妹)

同母兄:足利義詮

異母兄:足利直冬(叔父・足利直義の養子)


概要編集

基氏が物心ついてから父・尊氏、執事・高師直と叔父・直義一派の対立である「観応の擾乱」が激化していた。

このため正平4年/貞和5年(1349年)、尊氏は嫡男・義詮を鎌倉府から京に呼び戻し、わずか9歳の基氏を鎌倉に派遣した。当時、新田氏当主の新田義宗やその兄の新田義興などの南朝方豪族や北条時行などの鎌倉幕府残党はいまだ健在であり、基氏を補佐する執事として上杉憲顕(山内上杉氏の祖)や斯波家長(足利高経の長男)を置き、この人事が「関東公方」「関東執事」(後の関東管領)の始まりとなった。


基氏は6年もの間拠点を武蔵国入間川に置いたことにより「入間川殿」と呼ばれた。補佐役の関東管領は畠山国清→高師有→上杉憲顕に替えながら室町幕府の勢力拡大に大きく寄与していく。

正平18年/貞治2年(1363年)6月、一時追放していた前越後・上野守護職の上杉憲顕を呼び戻すにあたって現越後・上野守護職の宇都宮公綱から守護職を剝奪し、憲顕に守護職を与え足利氏の勢力を強める。


正平22年/貞治6年(1367年)、急病によって死去。享年28歳。

関東公方職は嫡男の氏満が継いだ。死因ははしかと伝えられるが、自殺説もある。

なお、同年12月には同母兄・義詮も37歳で死去している。


関連タグ編集

南北朝時代(日本) 室町時代 室町幕府 足利尊氏 足利義詮

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