人物
生没年 | 不詳~元中4年/至徳4年7月2日(1387年8月16日)? |
---|---|
父 | 足利尊氏 |
母 | 越前局(尊氏の側室) |
尊氏の子(庶子)として生まれるが、父に認知されなかっただけでなく冷遇されたことにより、叔父・足利直義(尊氏の同母弟)の養子となる。
冷遇は直義の養子となった後も続き、観応の擾乱勃発直前から養父・直義に従い、実父・尊氏、高師直・師泰兄弟と対立、直義の周旋により中国探題に任じられ、鞆の浦において幕府に無断で御家人に恩賞を与え、直義方御家人の糾合に動いた。
反抗する直冬に幕府は追討軍を差し向けるが、九州に逃れた直冬は南朝方の懐良親王と協調し南朝方有力武将として活動をはじめる。
養父・足利直義の急死後も南朝方武将として活躍、楠木正儀と協調し京都攻略に動いたりするが、徐々に衰退、正平21年/貞治6年(1366年)の書状を最後に直冬の消息は途絶えた。
なお、冷遇されたという話は太平記に書かれているもので、それ以外に当時の書物には出てこない話である。そのため、直冬は尊氏と対立するまでは、特に冷遇されていなかったという説を唱える学者もいる。