概要
1955年10月18日生まれ。本名は原武裕美(はらたけひろみ)。
1972年に『男の子、女の子』で歌手デビュー。
『よろしく哀愁』『マイレディー』『哀愁のカサブランカ』や、樹木希林とのデュエット曲『林檎殺人事件』などヒット曲多数。
代表曲『2億4千万の瞳』の歌詞「ジャパーン!」は、曲の枠を超えて各所でネタとして使われるほどに浸透しており、2011年以降はこの曲を使ったものまねメドレーが大ヒットするほど。
デビューのきっかけは、近所のおばさんが勝手に映画のオーディションを申し込んでしまったことだった。そのオーディションには通らなかったものの、審査員の一人だったジャニー喜多川社長の目に留まり、事務所に呼ばれる。言われた通り2週間後に渋谷の事務所に遊びに行くと、NHK大河ドラマのプロデューサーが待ち構えており、ものの15分でデビューが決まった。さらに、そのままフォーリーブスのコンサート会場まで連れていかれ、「僕たちの弟分のひろみです」と紹介された。すると会場から「レッツゴーひろみ!」と声援が飛び、ティンときた社長により、レッツゴーひろみ→ゴーひろみ→郷ひろみ、と、その場のノリで芸名が決定されてしまったという。
当時の郷は少女のような愛らしい顔立ちと、鼻にかかった甘いハイトーンボイスが魅力的な美少年だった。演歌出身で、抜群の歌唱力を持つ野口五郎、ロックシンガーとしてスターの地位を固めつつあった西城秀樹に対し、郷はそのルックスを武器にして売り出した。社長の読みは当たり、郷は10代の女性から爆発的な人気を得て、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞、翌年にはブロマイド年間売上実績No.1を達成するなど、一躍アイドルスターへの道を駆け上がっていった。そして、野口五郎、西城秀樹と並び、「新御三家」と呼ばれることになる。
しかし、あまりにも急激にスターになった郷は、将来への不安を覚えていた。「他の歌手に比べて、歌もダンスも中途半端。このままいったら俺はどうなってしまうんだろう」と悩んだ郷は周囲に相談するが、事務所の戦略が変わることはなく、郷は移籍を考えるようになる。
その話を聞きつけたバーニングプロの周防社長が郷獲得に動き、渡辺プロの渡辺社長の仲介などもあり、移籍が決定した。ジャニー喜多川社長にとって、郷は理想のアイドルであったため、この出来事に社長は長期間体調を崩すほどショックを受けたという。
ろくにレッスンも受けないままデビューし、そのままスターとなってしまった郷は、同年代のスターと自分を引き比べ、コンプレックスの塊となっていた。歌、ダンスはもちろん、体のラインも気になってしまう。何とか男らしさを強調したいと考えるあまり、芸能人水泳大会では水着の中にタオルを入れていたほどだった。
移籍後の郷は実力をつけようと、何事にもがむしゃらに取り組んだ。大人の歌手へとイメージチェンジを図り、『バイブレーション』などのセクシーな楽曲や、『ハリウッド・スキャンダル』などのバラードに力を入れるようになる。
コメディドラマにも出演し、樹木希林とのコミカルなデュエットソング『林檎殺人事件』が『ザ・ベストテン』で1位を獲得するなど、新境地を開拓することにも成功した。また、年齢が近いこともあり、このころ世界的なスターとなりつつあったマイケル・ジャクソンを目標として、ダンスにも磨きをかけていく。
そんな郷が出会った曲が『お嫁サンバ』だった。当初はメロディはともかく、その歌詞に拒否反応を示した郷だったが、周囲の説得に押し切られる。結果的に郷はこの曲でその年の日本有線大賞音楽賞を受賞した。このヒットにより、甘い歌声と雰囲気を強調したバラード系の路線に加え、派手でキャッチーなダンス系という、郷のもう一つの路線が確立された。
そして1984年、このダンス系路線の『2億4千万の瞳』がスーパーヒット。ギミックの「ジャパ~ン!」は郷の代名詞となった。
90年代前半には『僕がどんなに君を好きか、君は知らない』、『言えないよ』『逢いたくて仕方ない』のバラード三部作を立て続けにヒットさせ、磨きのかかった歌唱力と表現力を存分に発揮した。
そして1999年、「アーチーチーアーチー」の『GOLDFINGER '99』がメガヒットを記録。プロモーションとしてゲリラライブを行ったところ、交通渋滞を引き起こす騒ぎとなってしまい、あらためてその人気の高さが認知されることになった。
2000年代に入ってからも、精力的に新曲を発表し続けている。ハードなステージに耐えられるように厳しいトレーニングを続けており、身体能力は30代をキープしている。
余談
若いころから惚れっぽく、あちこちで一目惚れしては浮気がバレての破局を繰り返している。この悪癖は郷自身自覚し、自虐ネタとして語っているが全く改まる気配はない。しかしすでにこの女癖も郷のキャラクターの一つとなっているため、もはや誰も気にしていない。