マイケルは望んだ、世界がひとつになることを
世界とひとつになることを
1958年8月29日生誕 - 2009年6月25日死去
人物
マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)とは、歌手であり、ダンサーであり、音楽プロデューサー。史上最も成功したエンターテイナーとしてギネスに掲載されている。「世界で死後もっとも稼いだ有名人」でもある。
アメリカ合衆国のインディアナ州ゲーリーのアフリカ系アメリカ人街の家庭に六男として生まれた。両親が音楽好きで音楽と接する機会の多い環境で育った。
音楽界における革命を起こした人物であり、発表した作品の数々は、どれもすばらしい成績を遺している。その中でも彼が披露したダンス「ムーンウォーク」は世界的な話題を呼び、現在も大会が開かれるほど真似する人が後を絶たない。また、彼に限らずR&B系のシンガーは誰でもそんな感じだが、一節歌い終えるごとに「ッダ!」「ナ゙ッ!」などと自分で自分に合いの手を入れているかのようなスキャット(フェイク)を挿入し、ここぞという時に「ヒィーッヒィ♪」「ポゥ!」と甲高いシャウトを繰り出す独特の歌唱法は世界中でネタにされている。
1970年代は兄弟グループ「ジャクソン5」のリードシンガーとして活躍し、この頃から天才少年として知られていた。
1979年にソロ活動を本格化。1982年に発表したアルバム『スリラー』は世界一売れたアルバムとしてギネスブックに登録されており、現在まで1億1000万枚以上の売上を記録している。
また、マイケルは貧しい子どもたちのために、自ら制作した楽曲の曲名と意図を用いて、基金団体の「ヒール・ザ・ワールド基金」を立ち上げるなど、生前まで積極的にチャリティ活動を行っていた。
その数々の偉業から、マイケルは1989年のBREアウォーズの受賞時に親友であるエリザベス・テイラーから『キング・オブ・ポップ』と称される。以来、ファンやメディアの間からもこの呼称が用いられるようになった。
ジャネット・ジャクソンは妹である。
突然の死
開催後の引退を公言していたコンサートツアーのリハーサルに精を出していた最中、自宅にて心停止の状態で発見され救急搬送された。40分に及ぶ蘇生措置が行われたが2009年6月25日の14時26分(日本時間6月26日6時26分)死亡が確認された。享年50歳。
死因はマイケルの不眠治療のために使用されていたプロポフォールという麻酔薬で「急性プロポフォール中毒」であると断定。後に彼の心停止直前まで薬を処方していた主治医の過失として禁固4年の刑が言い渡された。
死去が報じられた直後は情報が錯綜し、本当に死亡したのか不透明な状態が続いた。死亡したと断定する報道は数日たってからのことだったというが、それほどに「マイケル・ジャクソン」の死は衝撃的だったことが窺える。
オリジナル・アルバム(ソニー)
- オフ・ザ・ウォール / OFF THE WALL (1979)
- スリラー / THRILLER (1982)
- バッド / BAD (1987)
- デンジャラス / DANGEROUS (1991)
- ヒストリー / HIStory (1995)
- ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア / BLOOD ON THE DANCE FLOOR (1997)
- インヴィンシブル / INVINCIBLE (2001)
- マイケル / MICHAEL (2010)
- エスケイプ / XSCAPE (2014)
代表曲
- ベンのテーマ / Ben (1972)…映画「ベン」の主題歌。
- 今夜はドント・ストップ / Don't Stop Til You Get Enough (1979)
- ロック・ウィズ・ユー / Rock With You (1979)
- スリラー / Thriller (1982)…13分にわたるMVが話題に。最後の不気味な笑い方が特徴的。
- ビリー・ジーン / Billie Jean (1982)…1983年のコンサートで初めてムーンウォークを披露した。
- 今夜はビート・イット / Beat It (1982)…マイケルを代表する名曲。MVは本物のギャングを起用している。
- セイ・セイ・セイ / Say Say Say (1983)…ポール・マッカートニーとのデュエット曲
- ウォッチング・ミー / Somebody's Watching Me (1984)…幼馴染であるロックウェルとのデュエット曲
- ウィ・アー・ザ・ワールド / We Are The World (1985)… USA For AFRICA名義。マイケル単独バージョンも存在する。
- バッド / BAD (1987)…とんねるずによるパロディもされた。
- リーヴ・ミー・アローン / Leave Me Alone (1987)…明るい曲調だが、内容は当時の誹謗中傷に対する怒りである。LP「BAD」には収録されておらず、CDで追加された。
- スムーズ・クリミナル / Smooth Criminal (1987)…ムーンウォークと共にマイケルの振り付けの代名詞になる「ゼロ・グラヴィティ」はこの曲のMVで初めて披露された。
- ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール / The Way You Make Me Feel (1987)
- マン・イン・ザ・ミラー / Man In The Mirror (1987)
- デンジャラス / Dangerous (1991)
- ジャム / JAM (1991)
- ブラック・オア・ホワイト / Black Or White (1991)
- リメンバー・ザ・タイム / Remember The Time (1991)
- ヒール・ザ・ワールド / Heal The World (1991)
- ヒストリー / HIStory (1995)
- スクリーム / Scream (1995) …ジャネット・ジャクソンとのデュエット曲
- ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス / They Don't Care About Us (1995)
- アース・ソング / Earth Song (1995)
- ユー・アー・ナット・アローン / You Are Not Alone (1995)
- ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア / Blood On The Dance Floor (1997)
- ユー・ロック・マイ・ワールド / You Rock My World (2001)
- ディス・イズ・イット / THIS IS IT (2009)
余談
- マイケルは無類のゲーム好きであり、遺品には数々のアーケード筐体がある。お気に入りのゲームメーカーは日本のセガ。来日した際にセガ本社を訪ねて、「自分を題材にしたゲームを作って欲しい」と懇願し、『ムーンウォーカー』が製作された。また、マスターアップ寸前の『スペースチャンネル5』を偶然見て「自分もこのゲームに出たい!」と懇願し、出番をねじこんだ逸話は有名。続編では主要人物としてノリノリで参加している。
- 日本のアニメも好きで、「スクリーム」のビデオにはアニメのキャラクターが叫ぶ映像が使われている。来日時には東京ディズニーランドを貸し切って遊んだことで話題になった。また、いのまたむつみの絵を気に入り、画集を買ってホテルに招いたなどのエピソードが当時のニュータイプ誌に大きく掲載されている。
- 凄まじいまでの努力家としても知られ、一度のコンサートに向けて彼が行うダンスの練習量は想像を絶し、あまりにハードなためにトレーニングルームに汗で水溜まりができていたという逸話がある。
- 映画『メン・イン・ブラック2』ではエージェントになりたがるエイリアンを演じたが、これはマイケルは前作の出来に感動し、自ら監督のバリー・ソネンフェルド宛に何回も電話で出演願いを申し出たという。だが、すでに台本や配役などがほとんど決まっていて役を割り当てるところが無かったため監督は幾度も断り続けたものの、マイケルの熱意に負け、何か少しでも入れられないかと熟考した結果、脇役のエイリアンとして登場してもらうことにした。マイケルにそれを伝えると、彼は落胆しながらも、出られるならと了承した。結果的に(自主製作されたドキュメンタリー映画を除くと)本作が映画におけるマイケルの遺作となってしまった。
- 20歳を過ぎた辺りから、尋常性白斑という身体中のメラニン色素が抜けてしまう難病を患っていた。同病気の完全な治療法は存在せず、薬などで色素の脱色を遅らせることしかできなかった。また、色素の損失によって紫外線にも弱くなってしまい皮膚癌になるリスクが高くなるため、外出中は大きな帽子、傘、サングラス、マスクが欠かせなかった。元々黒人であるだけに、時間の経過とともに肌色の変化が顕著になり、ゴシップ誌の格好のネタとなってしまった。「マイケルには白人への変身願望があり、薬で肌を脱色していた」という噂は病気への無理解とゴシップ誌の出鱈目な記事から生まれた悪質なデマである。マイケル本人の「僕は肌が白いがアフリカンアメリカンだ」という発言にもあるように、むしろ彼は自身が黒人であることに誇りを持っていた。尋常性白斑を患っていたことが公式に証明されたのは、彼の死後の司法解剖によってである。
- 尋常性白斑は父親ジョセフ・ジャクソンの家系の遺伝病であり、マイケルの姉であるラトーヤ・ジャクソン、マイケルの子供達も同じ病気を患っている。
- プライベートでマスクをしていたのは、前述の尋常性白斑により紫外線を防止するためであったが、その一方で感染症予防も兼ねていた。レコーディングやコンサートの直前に風邪などの病気になってしまった場合、ファンやスタッフに多大な迷惑がかかると考えていたからである。生前のマイケルのこの行為は当時の世間では「奇行」として捉えられ、あまり理解されなかったが、2020年にコロナ禍が発生して世の中がマスク着用を余儀なくされていた際、彼のこのエピソードが話題となり、プロ意識の高さが再評価された。
- 全盛期を越えたあたりからは児童への性的虐待疑惑、度重なる整形による顔の変化などが取りざたされるなどお騒がせセレブとしてゴシップネタに事欠かず、後半生は必ずしも幸福とはいいがたいものだった。特に性的虐待疑惑は、法的には一度も有罪判決を受けておらずFBIの長年にわたる捜査でも無罪と見做されているが、行為の有無の証明が難しい性犯罪の特性上、現在でも被害者を名乗る人物たちとマイケルの遺族の間で泥沼の争いが続いている。
関連動画
ムーンウォーク初披露時の映像(3:40あたり)
関連イラスト
pixivで投稿されるイラストは、比較的リアル系や模写が多い。
関連タグ
ワルイド・スピンドー:マイケルをデザイン・モチーフとしたキャラクター。