概要
初代鎌倉幕府執権であった北条時政の継室だった人物。
夫である時政とは年齢が離れていたものの、仲睦まじかったといわれる。
寿永2年(1182年)11月に、北条政子に対して夫・源頼朝の浮気を伝え、亀の前の屋敷を打ち壊させる騒動の一因となっている。
元久2年(1205年)7月に北条時政と共謀して3代目将軍・源実朝を殺害し、娘娘の平賀朝雅を将軍に据えようと企むが、事前に計画が北条義時・政子にバレる。
閏7月20日に時政と共に出家し、その後、伊豆国に流された。
朝雅は討たれ、朝雅の妻だった娘は公家の権中納言・藤原国通と再婚。
時政の死後は、娘夫妻のもとに身を寄せ、都で華やかに暮らした。