「はくこ」「しろぎつね」とも読む。
概要
稲荷信仰により神格化されやすい狐であるが、白い動物は世界各地の伝承を見て回っても幸運の証などとされており、通常の狐よりも徳の高い存在とされる。
『日本書紀』卷第二十六では斉明天皇の時代に石見国(現在の島根県)で白狐が目撃された記述があり、同巻三十七では桓武天皇の時代、延暦元年四月に重閣門に白狐が現れたとある。また『続日本紀』卷第六では元正天皇の時代、霊亀元年(715年)に東方に瑞雲が見えたのち近江(現在の滋賀県)から白狐が献上されている。
これらは単に珍しいアルビノ個体が瑞兆とみなされた例と思われるが、やがて霊獣としての狐として明確に位置付けられるようになる。江戸時代末期の『宮川舎漫筆』収録の「狐ものがたり」では善狐の(生まれつきの)五種族の一つとされる(他の四つは天狐・金狐・銀狐・黒狐)。
白狐の白とは「透明」の意であり、霊的存在として人の目にとらえられないことを意味するともいう。
有名な白狐には安倍晴明の母親とされている葛の葉や白蔵主、阿久良の白狐などがいる。
アイヌ神話においても、チロンノップカムイ(狐神)においては白狐が一番位の高い神で、次が黒狐、赤狐の順となる。白狐が神々と人間の両方の世界を魔物から救ったという話もある。
信仰における狐
日本の稲荷信仰においては、老翁形や天女形などの姿をした稲荷神の騎獣や引き連れる眷属として白狐が描写される。
稲荷神のほか、「稲荷」の名を冠した寺社で信仰される仏教系の尊格(荼枳尼天や日蓮系の最上位経王大菩薩)、それ以外でも飯綱権現や秋葉山三尺坊はしばしば白狐に乗る姿で描写される。
ダキニ天の場合、本来の騎獣は野干だが、モデルのジャッカルが日本におらず、騎乗する野干が白色だったこともあり、描写は白狐そのものになっていった。
厳密に言えば、白狐に乗る神々は上記の神仏に限定されない。例えば後述の「荼枳尼天曼荼羅」や長命寺の「刀八毘沙門天曼荼羅」においては、明らかに彼等彼女等とは別の存在が白狐に騎乗している(参考)。
稲荷神社の主祭神となる神々はウカノミタマなどの人の姿で顕れる神々であり、神使としての狐が稲荷神社に合祀されることはあっても、稲荷神そのものは狐ではない。
が、稲荷を狐とする俗信が存在しており、明治時代に江戸時代の記録をまとめた『百家説林』では「稲荷といふも狐なり 狐といふも稲荷なり」と女童が歌っていた記載がある。
この俗説は現代にも続いており伏見稲荷神社の公式サイトの「よくあるご質問」コーナーでは直接否定する項目がもうけられている。
全国的に普及している稲荷神社の境内には狐の像が狛犬のように置かれている。彩色がなされる場合は白狐であることが多く、狛犬式のほか小型で陶器などでできた真っ白な像も奉納される。
また道端やビルの屋上などの社には稲荷神そのものではなく、狐を祀っている場合が多く、そのほとんどは白狐である。
狐を祀る経緯は様々であり、ご利益祈願以外では、狐の祟りを畏れ鎮めるため、というのもある。ビルが建つ前、開発される前にその場にあった狐の祠が移動される事も多い。
ビルのテナント内の企業が撤退したりしてその場を離れる場合、さらに寺社に移築されることもある。
畏れられる狐
稲荷神の眷属としての狐は荒々しい側面を備えており、祠や神体を粗末に扱うといった直接的な理由だけでなく、祭祀を怠る、といった理由でも怒りを示し祟りをなすという側面があるとされる。
一例としてJR九州日豊本線下ノ江駅構内の鳥越稲荷神社にまつわる出来事がある。当駅では開業当時、周辺で自殺や轢死事故といった凶事が重なり、村人から「狐の祟りだ」という声があがったため、駅長が別府市の霊媒師に相談、駅の建設時に狐の巣を壊してしまったために怒りを買ったのだと返答があった。関係者に確認をとったところ駅から500メートル北の鳥越山を切り崩す際に狐の巣を壊していた事実があったこともあり、霊媒師が薦めるまま稲荷神社が建立されることになった。これにより災いは止まったが、次の代の駅長が忙しさのあまり例祭を怠ったところ、構内で大事故が起こり死傷者が出る惨事とが起こった。これ以降例祭はきっちり行われることになった。
インターネット上においても、「お稲荷様」と結びついた狐が、扱いを間違うと祟る神として広く認識、イメージされているのが確認することができる。