阿久良王とは、日本の伝承に登場する妖鬼の大将。阿久羅王、阿黒羅王とも。
岡山県倉敷市の瑜伽山(以下由加山)に棲む鬼として坂上田村麻呂伝説に登場し、日本三大権現のひとつ「瑜伽大権現(由加大権現)」の縁起として語られる。
来歴
吉備国児島の由加山に棲む阿久良王は三人の家来(東郷太郎、加茂二郎、稗田三郎)を率いる妖鬼の大将として大変強力な鬼で、悪事の限りを尽くして良民を苦しめたため、朝廷は阿久良王討伐に田村将軍を差し向けた。
田村将軍は船を通生の浜につけて吉備国へと上陸し、神宮寺八幡院に籠って7日7夜に渡り悪鬼調伏の祈願を行い、竜王山を越えて由加山へと向かうことにした。
由加山へと向かう途中、戦勝祈願に金の甲(甲は鎧、よろいのこと)を山頂付近に埋めたのが金甲山の由来という。
田村将軍が竜王山の東麗に留まっていると老人が現れて人が飲めば薬となり、鬼が飲むと毒となる霊酒を授かった。
元は人間であったという稗田三郎の降伏や霊酒の助けもあって、追い詰められた阿久良王は東郷太郎、加茂二郎と共に田村将軍へと攻めこんだ。
霧となり霧と消える変幻自在の妖術を使う阿久良王と、神宮寺八幡院や由加大権現の加護を得た田村将軍は7日7夜に渡って激しい戦いを続けるが、最後は阿久良王が敗れ、その死の間際にこれまでの悪行を悔い改め、由加大権現の神使として世のため人のために人々を助けたいと改心した。
こうして田村将軍に首を落とされた阿久良王の遺骸は、金色の光を放って飛び散り75匹の白狐になった。阿久良王の首は近くの鬼塚に埋葬され、阿久良の白狐は由加大権現に使えたという。
俗説
阿久良王の正体は早良親王であるとする文献がある。『備陽国史』『東備郡村誌』などに記されるもので、桓武天皇の皇太弟である早良親王は藤原種継暗殺事件によって淡路国へと配流される途中で憤死とされるが、密かに児島へと逃れて阿久良王を名乗ったという。
また三人の家来(東郷太郎・加茂二郎・稗田三郎)は、東郷太郎・加茂次郎・西郷三郎(稗田三郎とも)の三兄弟として宇喜多氏の系譜に現れる。これは『宇喜多氏系図』などに見えもので、備前児島半島を東児島、中児島、西児島と三つに分け、東児島を東郷太郎、中児島を加茂次郎、西児島を西郷三郎と、三兄弟がそれぞれ居住したとされる。しかし江戸時代には完全否定されている。
いずれも伝説に過ぎないため伝説をそのまま史実であったとするのは問題もある。