概要
毘沙門天が西域の兜跋国(とばつこく)で顕わした姿「兜跋毘沙門天」の兜跋の部分の音「とばつ」に「刀八」の字をあてたとも、訛ったとも誤解されたものともされるが詳細は不明。
兜跋毘沙門天は地天女の手の上に立ち、鎧やかぶり物のテイストこそ西国風であるが、それ以外は二本腕で持物も矛や仏塔と一般的な毘沙門天(多聞天)像に近い。
が、こちらは獅子に乗り、多くの腕を持ち、そのほとんどに刀を持つ姿、とかなり独自色が強いものとなっている。
蔵王権現や三面大黒天のような他の日本オリジナル尊格と異なり、起源を語る伝承も存在していない。
刀八毘沙門天をかたどった作品は室町時代から現れ始める。戦国時代において広く信仰され、武田信玄と上杉謙信も崇拝した。
図像表現
「刀八」の名の通り、八振りの刀を持つ。それらを持つ八本腕に加えもう一対、あるいは二対の腕を持つ。
この+αの腕の持物として仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛がある。
顔の数にもバリエーションがあり、一面、三面、四面のものとがある。顔の数は同じでも配置にも違いがある。頭上には仏がそのまま座していることがある。仏が二人乗っている作例も存在する。
騎獣はほぼ全てにおいて獅子。ただし滋賀県の湖東三山・龍應山西明寺の「玄武刀八毘沙門天三尊像」は獅子ではなく玄武の上に乗る。刀八毘沙門天が立っている、頭上に仏がなく自分(毘沙門天)の別の顔がある、という点でも珍しいタイプ。
刀八毘沙門天を中心に複数の神仏を描いた「刀八毘沙門天曼荼羅」も幾つか残っている。
八振りの刀を持たない表現
東睿山金剛寿院千妙寺(茨城県・天台宗)所蔵の「絹本著色 刀八毘沙門天星宿像」は弓と宝珠を持った道服姿の侍者をしたがえ、邪鬼をふみつける二本腕の姿である。南北朝時代ごろの作と推定される。
作例
像
- 瑞岩山圓光院(山梨県・臨済宗)所蔵像
顔の数は四面。正面と左右の顔のほか頭上に穏やかな菩薩形の顔を備える。+αの腕の数は二本で全ての手で刀を持つ。十本の刀のうち八本は反りのある湾刀。二本は直刀で最上部の一対の腕で持ち頭上で切っ先をクロスさせている。このほか鍔や柄頭のあたりのつくりが日本刀風でなく、不動明王が持つ倶利伽羅剣のような仏具風のものであるという特徴を有する。武田信玄の念持仏と伝わる像で、勝軍地蔵像とセットで同じ厨子に納められている。いずれも七条仏所の大仏師宮内卿法印康清の作。信玄は陣中守本尊として戦場にこの像を携えたという。山梨の文化財ガイド(データベース)彫刻。
- 吉祥陀羅尼山瀧山寺(栃木県・天台宗)所蔵
顔の数は四面ですべて平行に並ぶ。+αの腕の数は二本で宝鍵と如意宝珠を持つ。
- 春日山林泉寺(新潟県・曹洞宗)所蔵
顔の数は四面で全て平行に並ぶ。+αの腕の数は二本で利剣と仏塔を持つ。上杉謙信の曾祖父長尾能景が建てた上杉家ゆかりの寺である。上杉謙信も刀八毘沙門天を信仰した。
- 善日山千勝院(山形県・真言宗)所蔵
顔の数は四面で全て平行に並び、頭上には仏がある。+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ。
所蔵の寺院は上杉謙信が建てた千手院がおこりとされる。刀八毘沙門天に祈り「毘」の字を記した旗を陣中の本尊として掲げ連勝し、千回戦うなら千回勝つという気持ちを込めて千勝院に改称したという。
- 龍應山西明寺(滋賀県・天台宗)所蔵
本寺院には「玄武刀八毘沙門天三尊像」と共に、獅子に乗るタイプの刀八毘沙門天像も所蔵されている。こちらの特徴として、顔の数は四色かつ四面で後ろ側に白い顔がある。獅子の顔をあしらった兜をかぶり、その上に仏が座す。+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ。刀を持つ手の肌の色が異なり(黒・薄黄・朱・白)、四面の肌の色に対応している。この像の刀部分も圓光院所蔵像と同様に鍔と柄頭が仏具型である。
- 信貴山朝護孫子寺(奈良県・真言宗)所蔵
境内にある塔中(塔頭)のひとつ玉蔵院にある浴油堂にある像。+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ。顔の数は三つでいずれも黄金の宝冠を被り、中央の頭の上に仏が座す。
画
- 日光山輪王寺(栃木県・天台宗)所蔵
顔の数は四面。+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ。メイン三面の頭上に第四の顔があり、そのまた上で宝冠を被った仏が乗る。
向かって左の顔の上には月と思しき白い円。向かって右の顔の上には日輪と思しき赤い円が乗る。第四の顔は白い獅子が咥えるか、その皮をかぶったような形になっている。
顔の色がそれぞれ違っており、向かって左から薄黄色、薄い褐色、赤色、メイン三面の上の顔は緑となっている。
肌色の違いは持物をとるそれぞれの腕にもあらわれている。
- 新那智山今熊野観音寺(京都府・真言宗)所蔵
顔の数は三面。+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ。円い光背をなぞるようにして、六匹の白狐が駆け上るようにとりかこんでいる構図が特徴的。獅子が法輪の上に立つのも珍しい。
- 医王山毛越寺(岩手県・天台宗)
顔の数は四面。+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ。メイン三面の頭上に第四の顔があり、そのまた上で宝冠を被った仏が乗る。第四の顔を獅子かその皮がかぶるような構図になっている点が輪王寺所蔵図像と共通する。顔の肌の色は全て同じ。第三の顔の両側には白狐に乗った人物が一人ずついる。文化財オンラインでの紹介。
- 熊野神社(山梨県甲州市)
顔の数は一つ。兜をかぶっており、その頭上に仏はない。+αの腕の数は二本で矛と仏塔を持つ。獅子にはのらず、岩の上に立っている絵像。飯縄権現像図とともに信玄によって本神社に寄進された。もとは躑躅ヶ崎館において信玄が身近に掛けて信心に用いていた物だという。
- 葛飾北斎作
顔の数は四面で同じ列のような配置で並ぶ。それらの頭の髪に埋もれるように獅子が上半分だけ顔を出し、その上に仏が座す。+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ。国立国会図書館デジタルコレクション『北斎漫画』11編。
刀八毘沙門天曼荼羅
富山県射水市加茂中部の真言宗寺院・宝林山福王寺で新たに発見された際のニュースによると、「同様の曼荼羅の発見は国内4例目」(北日本新聞社「謙信も信仰の軍神仏画で新発見 射水の寺に室町時代の曼荼羅」2020.09.25 00:36)。
インターネット上でも確認できる作例はこれと滋賀県近江八幡市の天台宗単立寺院・姨綺耶山(いきやさん)長命寺所蔵のものがある(安土城考古博物館「刀八毘沙門天曼荼羅 一幅」)。
両者の共通点として「+αの腕の数は四本で仏塔、宝鍵、如意宝珠、矛を持つ」「顔の数は四つで横並びの配置」「頭上に獅子の顔があり、その上にいる仏が二人」「光背の三箇所から炎が出ている」「曼荼羅には白狐に乗った存在がいる」がある。