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秋葉山三尺坊

あきばやまさんしゃくぼう

秋葉山三尺坊とは静岡県の秋葉山に伝わる天狗である。
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概要

静岡県の秋葉山の天狗。中世の祈祷文「天狗経」において列挙される四十八の大天狗の一人である。
秋葉山の山岳信仰における神「秋葉権現」と同一視される。飯綱権現と同様、白狐に乗り、火焔を背負った烏天狗のような姿で描写される。

1803年に藤長庚が書いた『遠江古迹図会』で紹介される伝承によると、もともと人間の修行者であった。
彼は越後国(現在の新潟県)の天台宗寺院「蔵王堂」の十二坊(坊、僧侶が住む寮、僧坊のこと)の一つ「三尺坊」に住んでいた人物であり、秋葉山に来て護摩行を行い、修行の末に背中に翼が生えて天狗となり、秋葉山の守護神となった。
彼はかつて住んでいた僧坊の名称を自分の呼び名とし、白い狐に乗って自在に空を飛び、火の神としての徳を発揮した。
その後起こった火災において不動明王としての本質を顕にしたという。

秋葉権現

仏教の神仏の化身であることを示す「権現」の呼称を持つが、神社でも祀られる。山岳信仰と神仏習合の側面を併せ持つ神である。
秋葉信仰の発祥地に立つ秋葉山本宮秋葉神社でも廃仏毀釈以前は秋葉大権現を主祭神名としていた。
火災防止の神であり、明治以降は同じく火に関する神である火之迦具土大神が祭神とされている。

1813年編纂の『神名帳考証』収録の「秋葉事記」、1797年の『東海道名所図会』では祭神は大己貴命(オオクニヌシの別名)で、この神と同じ社に祀られる山の守護神として三尺坊の名が挙げられる。なお境内には仏教寺院「秋葉寺」もあり、この本堂の本尊は観世音菩薩である。
これらの記載では別人扱いである。前述の『遠江古迹図会』では秋葉権現と三尺坊の宮が別個にある事を挙げて、両者を同じとするのは誤り、とわざわざ記している。

秋葉三尺坊大権現

秋葉山にある大登山秋葉寺(元「新義真言宗」寺院、戦国時代に荒廃したが江戸時代に再建され曹洞宗に改宗)では両者の同体説が説かれた。
1717年に編まれた『遠州秋葉山本地聖観世音三尺坊略縁起』では『遠江古迹図会』と同様、元人間の修行者としつつ、大筋では共通しつつも若干異なる出自を語っている。
信州(信濃国、現在の長野県)出身者であり、観音信仰篤い母から生まれた彼は、出家すると越後の蔵王堂に住み、主と認められるほどになった。
不動三昧という境地を目指す修行が満ちた時、「烏形両翼にして左右に剣索を持ちたる霊相」(秋葉総本宮可睡斎につたわる伝承では観世音菩薩の三十三身の一つである「迦楼羅身」)がその身に現れ天狗と成った。
飛行能力を得た彼は観音菩薩の化身とみなされた。そんな彼の前に白い狐が現れた。
三尺坊は白狐に乗り、その狐がおりた場所を安住の地とし衆生救済に励むと決めた。そうして彼を乗せた白狐が降り立ったのが秋葉山なのだという。
809年に秋葉山に来た彼は、811年から諸国を巡り、各地の霊山を訪問しながら世の人々を助けて回った。
秋葉山に戻ったのは出発から400年以上あと、1294年のことだという。

秋葉信仰

貞享2年(1685年)に「貞享の秋葉祭り」と呼ばれるムーブメントがあった。秋葉山の神輿を担いだ信者たちがノボリを立て、太鼓を鳴らしながら江戸や京都を目指して行進する、というもの。
途中で参加する人々も多く現れ、禁止令が出るほどの規模となった。が、これは秋葉信仰を世に広める結果となり、各地に「秋葉講」と呼ばれる互助会が結成された。
秋葉講では資金を集め合い、代表者を秋葉山に送る、という事が行われた。当時の庶民には全員で行くための費用は捻出できないため、代表者にかわりに参拝してもらうのであるが、地元に秋葉権現を勧請し、社を立てる、という事も行われた。
こうして秋葉信仰は日本全国に広まることになった。その中には秋葉権現と三尺坊を同体とする「秋葉三尺坊」系も含まれる。

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