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影武者徳川家康

かげむしゃとくがわいえやす

隆慶一郎の時代小説およびそれを原作あるいは原案とするドラマ・漫画。
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概要編集

作家・隆慶一郎が手がけた、俗に唱えられる江戸幕府初代征夷大将軍・徳川家康影武者説を題材にした時代小説


静岡新聞にて1986年1月4日から1988年11月30日まで連載され、1989年に新潮社から上下巻で刊行された。その後1993年には、上中下の全3巻で文庫化されている。


作者の死後に漫画化、TVドラマ化されている(後述)。


漫画版編集

1994年から週刊少年ジャンプにおいて同タイトルで漫画化され、約1年連載された。作者は、同じく隆慶一郎の小説を原作とする『花の慶次』を手がけた原哲夫

後に主人公を島左近に変更した上で、大幅にアレンジを加え新たにストーリーが描き直された『SAKON-戦国風雲録-』が、1997年から2000年まで月刊少年ジャンプにて連載された。


pixivにおける本項関連のイラストはこの二作品を題材にしているものが大半を占めている。

因みに、月刊コミックゼノンにて連載中の『義風堂々!!直江兼続』においても、本作を意識した徳川家康の影武者が登場している。


TVドラマ版編集

テレビ朝日版

1998年4月から6月まで、テレビ朝日系列にて放送(全10話)。

制作は東映。主演は高橋英樹が務めた。


テレビ東京版

2014年1月2日、テレビ東京開局50周年特別企画番組「新春ワイド時代劇」にて放送(1回)。

制作は松竹。主演は西田敏行が務め、上記のテレビ朝日版にて主演を務めた高橋英樹も島左近役として出演した。

作品としては上記高橋英樹版と比べても明らかに原作改変が多くコレのような印象を受けるかもしれない。


あらすじ編集

時は戦乱の世、太閤豊臣秀吉亡き後、再び乱れようとしていた世を治めるべく動き出した徳川家康と、主君秀吉亡き後の豊臣家を守るべく立ち上がった石田三成が、東西に分かれ争った関ヶ原の戦い


その火蓋が切られたまさに時、家康は西軍の大半が徳川と内通し寝返っていることを読んでいた三成の軍師・島左近の放った刺客・甲斐の六郎の凶刃にかかり、命を落とした。


家康の死により味方の劣勢を危惧した側近衆は、急遽、家康と瓜二つの影武者である世良田二郎三郎を本物の家康に仕立てあげる。二郎三郎は手探りながらも家康を演じつつ、ときには奇抜な采配を振るい見事に東軍を勝利に導いた。


戦後、家康の死は一部の者のみに語られ、決して誰にも知られないように隠されることとなり、二郎三郎は徳川家康として生きていくことになる。しかし、家康の三男・徳川秀忠は二郎三郎を利用し天下人としての地位を奪わんと策謀を巡らせ、二郎三郎もまた、非人道的な手段で自らの地位を確立せんとする秀忠の人格を否定し、徐々に両者は溝を深めていく。


登場人物編集

世良田二郎三郎元信(せらだ じろうざぶろう もとのぶ)

本作の主人公。

徳川家康の影武者で、家康とは瓜二つと言われるほどにそっくりな容姿である。

元々は「道々の者」と呼ばれる諸国を流浪していた傭兵であり、火縄銃を片手に多くの戦場を転戦していた過去を持つ。道々の者の性分から、自由を愛し束縛を嫌い、成り行きで家康を演じることに当初は難色を示していたが、利己的な秀忠の人格を嫌い、自らが人々が争わない自由な世の中を作るべく秀忠と対立する。


徳川家康(とくがわ いえやす)

関ヶ原合戦の東軍総大将。二郎三郎らの主君。

戦況に苛立ち、癖である指の爪を噛む仕草をしたため刺客・六郎に正体を見破られ暗殺される。


島左近(しま さこん)

本作のもう一人の主人公。

石田三成の筆頭家老であり、「三成に過ぎたるもの」と詠われた名軍師。

関ヶ原で戦死したかに思われていたが、重傷を負いながらも生き延びた。三成の遺言に従って主君・豊臣秀頼を守るため、二郎三郎と手を結び共に秀忠の陰謀と戦っていく。


甲斐の六郎(かい の ろくろう)

島左近に仕える忍び。

左近の命を受け、関ヶ原の合戦開始直後に徳川家康を暗殺するが、二郎三郎の機転により敵勢の士気は下がらず味方は敗北、重傷を負った左近を救助し落延びる。

その後、再び家康(二郎三郎)の暗殺を企てるが、逆に二郎三郎から左近との協力を申し出され、以降は二郎三郎に仕えながら両者の連絡役を務める。後に風魔小太郎の娘・おふうと婚姻する。


石田三成(いしだ みつなり)

関ヶ原合戦の西軍総大将。左近らの主君。

豊臣への恩義のために家康を討たんと兵を挙げるが味方の裏切りにより敗走。

落延びていたところを徳川軍に捕らえられ、首実検にて総大将である家康(二郎三郎)と対面するが、彼が影武者であることに気付きつつ敢えてそれを明かさず、彼の人望を信じ主君・秀頼の今後を託した。


本多弥八郎正信(ほんだ やはちろう まさのぶ)

徳川家家臣。影武者・二郎三郎を見出した人物。

二郎三郎とは三河一向一揆に参加した際に知り合い、彼を家康の影武者にせんと行動を共にし知己となる。その後、後北条氏の下人になっていた二郎三郎を京で発見し、本多忠勝を通して徳川家康の影武者にさせた。

関ヶ原の際は秀忠に従っていたため家康の死は合流後に知らされるが、二郎三郎の処遇についてこのまま身代わりを続投させるよう主張し、以降は秀忠の動向を二郎三郎に伝える役目を担う。


本多忠勝(ほんだ ただかつ)

徳川家家臣。関ヶ原合戦時に徳川家の武将で唯一、徳川家康の死を知っていた人物。

関ヶ原では二郎三郎を補佐し、合戦を勝利に導く。二郎三郎の能力を評価しており、戦後の彼の処遇については正信と共に秀忠派と対立姿勢をみせる。


お梶の方(おかじのかた)

家康の側室。絶世の美女であるとともに聡明な才女でもある。

関ヶ原合戦の後、周囲の静止を振り切り家康の下を訪れるが、その言動から直ぐに偽物だと気付く。はじめは家康の死を知り動揺するも、二郎三郎の人柄に触れ彼を愛するようになり、影武者の正体を隠し、尚且つ豊臣家との関係を取り持つために様々な機転を効かせる。


おふう

お梶付きのくノ一。風魔忍軍頭領・風魔小太郎の実娘。

後に六郎と夫婦となり、彼との間に子・七郎をもうける。

なお、漫画『花の慶次』にも同名のキャラクターが登場するが、こちらは漫画版オリジナルキャラクターであり人物としての関連性はないとおもわれる(名前自体はオマージュの可能性も)。


徳川秀忠(とくがわ ひでただ)

徳川家康の三男で、後の江戸幕府二代将軍。

野心家であり、父の影武者である二郎三郎のことを快く思っておらず、彼を利用した上で自らが天下を治めんと策謀を巡らせる。家臣・柳生宗矩とその配下を利用し、徳川家の後継者候補である兄弟、ひいては父・家康(を演じる二郎三郎)や豊臣家の人間を亡き者にせんと企むなど、自身の出世のためならたとえ肉親であろうと手にかけることを厭わない歪んだ性格の持ち主。


余談編集

実際の影武者説編集

地方官吏・村岡素一郎の提唱した「松平広忠の嫡男・竹千代は元服して松平二郎三郎元信と名乗り、桶狭間の戦いで今川軍の先鋒として活躍し、当主の今川義元の没後に松平家を独立させたが、数年後に不慮の死を遂げた。その後に現れる家康は“世良田二郎三郎元信”という、全くの別人が成り代わったものである」という説を皮切りに、「大阪の陣にて家康は真田信繁に討たれ、混乱を避けるため影武者が設けられた」といった影武者説が存在するが、いずれも確証に至る裏付けが存在せず、また矛盾点も指摘されており俗説とされている。


原作・隆慶一郎はこれらの影武者説を取り入れ、とくに家康の性格の変動が色濃く見られた関ヶ原の戦い以降をベースに物語や影武者の人物像を構成したとされる。

因みに、ゲーム『信長の野望』シリーズにおいても本作の影武者を意識した同名のキャラクターが登場したことがある。


漫画版の容姿について編集

漫画版において、同じく原哲夫が作画を務める作品でありながら『花の慶次』『影武者徳川』『SAKON』の3作品における家康の容姿があまりにも異なることがファンの間では話題になっている(『慶次』では原作・隆のリクエストで俳優・勝新太郎をモデルとしたふっくらとした老人だったが、『影武者』では“少年誌漫画の主人公”であることを意識してか、作画・原が過去に連載していた漫画の主人公たち同様の筋骨逞しい長身小顔の偉丈夫として描かれ、『SAKON』では主人公が左近に変更されたこともあってか、原作小説でのコミカルな人物像を強調した熊髭顔の屈強な中年男性となっている)。


関連タグ編集

隆慶一郎 時代劇 戦国時代 創作戦国

小説 漫画 ドラマ

徳川家康 島左近 影武者

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