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松平広忠

まつだいらひろただ

松平広忠とは戦国時代の武将であり、江戸幕府を開いた徳川家康の父である。
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生没年 1526(大永6)年~1549(天文18)年


生涯編集

三河岡崎城主・松平清康の次男。

1535(天文4)年、父の清康が尾張守山城攻めの最中に殺害される事件が起きる。その隙をつくように大叔父で父と対立していた桜井松平信定が岡崎へ侵攻。広忠は家臣である阿部定吉と清康の同盟者であった吉良持広に守られて伊勢へ脱出したが、持広の死後跡を継いだ吉良義安が清康の敵対者だった織田信秀と結んだため吉良氏を見限り、駿河今川義元を頼った。

1540(天文9)年、義元の後援で三河へ戻り、2年後の1542(天文11)年に信定の死で桜井松平家が混乱している隙をついて岡崎城を奪還することに成功した。

その後は叔父の信孝など松平氏の同族間や織田信秀との戦いを繰り広げた。1547(天文16)年の織田軍の侵攻に際しては嫡男の竹千代を今川氏への人質とせざるを得なかったが、岳父(継室の父)である戸田康光の裏切りによって織田氏へと送られた(康光はその後松平・今川連合軍によって攻め滅ぼされている)。

1549(天文18)年3月、24歳の若さで死去。岡崎城は今川氏の城代が置かれることになった。

広忠の死の直後の同年11月、義元は安祥城攻めの際に信秀の庶長子である織田信広を捕縛したのを好機とし、信広と竹千代を交換する形で奪還、改めて竹千代を今川氏へ送った。


余談編集

  • 一国人だったため無位無官だったが、竹千代改め家康が位人臣を極めた後の1611(慶長16)年に従二位権大納言を、さらに1848(嘉永元)年に正一位太政大臣を追贈された。
  • 子については、正室である於大の方との間に家康を儲けただけと思われがちだが、継室である戸田康光の娘・真喜姫や側室との間に最大で五男三女を儲けたとされる(但し真偽不明)。これらの庶子とされる人物を家康が重んじた様子はない(於大の方が再婚先で産んだ家康の異父弟達が後に大名にまで引き立てられたのとは対照的である)

於大の方との離縁編集

「於大の方の実家である水野家が今川家と手を切って織田家と結んだために広忠は於大の方と離縁した」との説が信じられてきたが、そもそも家康が生まれた頃の今川家は駿河国東部の支配権を巡って北条家と戦っている最中で、三河に出兵したり、織田家と戦っている余裕はなく、今川家と織田家のどちらかを選択するような状況になるのはもう少し後の話である、という疑問が出されている。

これに代わって浮上したのは、於大の方と離縁する前に発生した「広忠と重臣達が家中で専横をきわめる叔父(清康の弟)の松平信孝を追放した事件が原因」との説である。

これは、幼少の広忠の後見人として松平氏の外交を仕切ってきたのは信孝であり、松平家と水野家の同盟や広忠の婚姻を取りまとめたのは信孝であったと考えられるからである。家中の評判はともかく、対外的にはまだ若い広忠よりも長く外交の場にいた信孝の方が信用が高く、水野家からすれば「信孝を信用して同盟を結んだのに、その信孝を追放する広忠を信用出来るのか?」という不信感が強まったことで同盟が維持できなくなったというのである。

なお、継室の父である戸田康光は渥美半島から三河湾を挟んだ対岸の知多半島にも勢力を広げており、知多半島の支配を巡ってしばしば水野家と対立していた。水野家と敵対関係になった広忠としては、次の婚姻同盟を結ぶ相手としては最適であったと考えられる。


竹千代の人質送り編集

「戸田康光が織田信秀に買収されて竹千代を信秀の元へ送った」との説が信じられてきたが、近年になって「信秀によって岡崎城を攻め落とされた広忠が、織田への臣従のあかしとして竹千代を信秀の元へ送った」との説が出てきている。

この説によれば、今川からの独立を画策した広忠ら三河国人衆に対し、織田・今川連合が三河へ侵攻。先に岡崎を落とした織田氏が広忠軍を吸収する一方、織田への降伏をよしとしない一部家臣が今川に降ったことで、織田・広忠軍VS今川・広忠旧臣軍によって第二次小豆坂の戦いが起き、それに敗北した広忠が今川に再度降伏したとしている。


関連タグ編集

戦国時代 松平清康 徳川家康 於大の方

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